たとえ、どんな窮地に追い込まれても、絶対に弱気になってはいけないよ。
一番怖いのは、自分に負けてしまうことだ。就職だって、すぐには決まらないかもしれない。
しかし、挑戦、挑戦、挑戦だ。最後まで、希望をもって、勇気をもって、挑戦し抜くんだよ。それが学会精神だ。
新・人間革命 第12巻 新緑の章
*******
5年ぶりにブログを更新します。
みなさまからのコメントを久しぶりに読み感動し、生存報告とともに活動体験を報告させていただきたいと思います。
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牙の大河です!
2023年3月、私は職場のパソコンの前で今までに経験したことのない痛みを感じていました。同僚と対応の難しい案件で社内チャットをし始めたときでした。
両手はガタガタと震え、心臓はズキズキと痛み動機が激しく、そして両方のこめかみはグリグリと圧迫されるような偏頭痛…
心臓発作や脳梗塞の前兆かと思いましたが、調べるとどうも違うようです。
あまりの痛みと震え続ける手は、1時間経っても全く収まらないため、その日は早退。帰宅するうちに症状は治まりました。
上司から病院での診察を勧められた私は、直感的に精神科を選び、翌日人生で初めて精神科に行きました。
医師からは「早く来ていただいてよかったです。まだ何か病気ということはありませんが、身体がストレスを感じてサインを出していると思われます。何か思い当たることはありませんか?」と聞かれました。
当時は超重点区の法戦をグループの男子部責任者として戦っていたため、大変さをあげればキリがありません。
ただ、考えてみるとストレスといえば職場の人間関係かもしれないと思いました。
私は当時勤務していたITベンチャー企業が大好きで、難しい課題や厳しい上司もいたものの、成長させて頂いている実感を持って前向きに仕事をしていました。
職場は通勤に1時間20分ほどかかり少し遠かったものの、仲の良い同僚もたくさんおり、ストレスを自覚していなかったのです。
しかし、手の震え、動機、偏頭痛が始まったのも職場である特定の一人と接していた時でした。
その後もその方とコミュニケーションを取っている時だけ、動機、偏頭痛、手の震えが始まる状態になってしまいました。
症状が出始めた1か月ほど前から、その方となんとか笑顔で話してはいたのですが、その方の怒りの感情を前面に出すコミュニケーション、何かとマウントを取ってくるような態度が「合わないな」とは感じていました。
思い出してみるとその方と初めて1対1で話したとき、ものすごい勢いで私を含めた会社の仕組みや状況に対する怒りをぶつけられ、大の男であるにもかかわらず涙目にされるほどでした。
診察翌日に上司と相談し、4月末で退職することに。
妻とは辞めることになるかもしれないとは話していました。
しかし、次の仕事が何も決まっていない状態にも関わらず、休職や異動の選択肢をきちんと相談できないまま、退職の道を選んでしまったのは、今思えば身体的なサインが出ているだけでなく精神的にも参りきっていて正常な判断ができなかったのだと思います。
県男や諸先輩方にも何も相談せずに退職を決めるというあり得ない状況でした。
数日は大好きな会社を辞めることになったショックと法戦でいくらでもやることはあり、転職活動も手が付きませんでした。
とはいえ、妻と娘2人がいて無職になるわけにもいかないですし、法戦で戦いきって、実証を示すチャンスだと捉え、
・怒る人がいない職場
・今より近い職場
・在宅勤務がある
・給料が現職以上
・やりたいと思える仕事
というご祈念項目を立てて祈り、行動を開始。
もちろん法戦も一歩引かずに、過去最高の戦いをするなかで、転職活動を行いました。
無職はまずい、無職はやばいと焦りまくっていたなかで最初に受けた面接で、「牙の大河と申します!よろしくお願いいたします!」と会合の司会のときのように明るく勢いよく挨拶したところ、「お、元気いいですね。採用で。一応面接はしますね。」と、開始数秒の挨拶だけで採用を決めていただくというありがたい会社もありました。
1個内定が出たことで、その後は焦らずに転職活動をすることができました。
結果的には4社から全て内定をもらい、最終的には、4月の後半戦投票日の数日前に大手法律事務所のIT部門から内定をいただくことができました!
勤務地は地元から電車で1本の場所にあり、通勤時間は片道80分から40分になりました。
また、裁量労働制で残業代が年俸に含まれていた前職に比べてベースの給料はほぼ一緒で残業代が出る分給料は増えました。
週3日の在宅勤務、フレックスタイム制で子どものお迎えに間に合う時間に退勤することもできます。
子育てにもさらにコミットでき、家族も喜んでくれています。
また、牙城会の着任も有給や早退することなく間に合うようになりました。
実は、同求人には「(プログラミング)開発経験があること」が必須条件で、私は合致していませんでした。
たまたま前職の人事部門で懇意にしていた人材エージェントの方に紹介された求人で、「学生時代からの憧れの事務所ではあるので応募したいですが、私には開発経験がないので記念受験みたいになってしまいますよ」とエージェントの方に伝えたところ、「面接まではなんとかねじ込みますから!」と言われ、書類選考を通過し、オンライン面接と対面の面接を1回ずつ全て通過することができたのでした。
内定後に人事の方へ採用理由を聞いたところ、1次のオンライン面接も2次の対面での面接でも、面接官全員が「なによりバイタリティ(生命力)を感じた」とのことでした。
本当に信心の功徳、お題目のすごさを実感することができました。
元々学生時代は創価大学ロースクールで弁護士を目指していました。
司法試験に落ち、リーガルテックベンチャーの営業、もう1社を経て前職のITベンチャー企業でのIT部門と人事部門でキャリアを進めてきたところ、大手法律事務所で働くことができるようになり、本当に全てに意味があったと、縁してきた方々に感謝の思いでいっぱいです。
内定後に迎えた後半戦では、グループとして前回よりも得票数を伸ばし、また市内全グループ完勝することができました。
今後も池田先生の弟子として、何があっても負けない人生を歩み抜いてまいります!
一番怖いのは、自分に負けてしまうことだ。就職だって、すぐには決まらないかもしれない。
しかし、挑戦、挑戦、挑戦だ。最後まで、希望をもって、勇気をもって、挑戦し抜くんだよ。それが学会精神だ。
新・人間革命 第12巻 新緑の章
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5年ぶりにブログを更新します。
みなさまからのコメントを久しぶりに読み感動し、生存報告とともに活動体験を報告させていただきたいと思います。
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牙の大河です!
2023年3月、私は職場のパソコンの前で今までに経験したことのない痛みを感じていました。同僚と対応の難しい案件で社内チャットをし始めたときでした。
両手はガタガタと震え、心臓はズキズキと痛み動機が激しく、そして両方のこめかみはグリグリと圧迫されるような偏頭痛…
心臓発作や脳梗塞の前兆かと思いましたが、調べるとどうも違うようです。
あまりの痛みと震え続ける手は、1時間経っても全く収まらないため、その日は早退。帰宅するうちに症状は治まりました。
上司から病院での診察を勧められた私は、直感的に精神科を選び、翌日人生で初めて精神科に行きました。
医師からは「早く来ていただいてよかったです。まだ何か病気ということはありませんが、身体がストレスを感じてサインを出していると思われます。何か思い当たることはありませんか?」と聞かれました。
当時は超重点区の法戦をグループの男子部責任者として戦っていたため、大変さをあげればキリがありません。
ただ、考えてみるとストレスといえば職場の人間関係かもしれないと思いました。
私は当時勤務していたITベンチャー企業が大好きで、難しい課題や厳しい上司もいたものの、成長させて頂いている実感を持って前向きに仕事をしていました。
職場は通勤に1時間20分ほどかかり少し遠かったものの、仲の良い同僚もたくさんおり、ストレスを自覚していなかったのです。
しかし、手の震え、動機、偏頭痛が始まったのも職場である特定の一人と接していた時でした。
その後もその方とコミュニケーションを取っている時だけ、動機、偏頭痛、手の震えが始まる状態になってしまいました。
症状が出始めた1か月ほど前から、その方となんとか笑顔で話してはいたのですが、その方の怒りの感情を前面に出すコミュニケーション、何かとマウントを取ってくるような態度が「合わないな」とは感じていました。
思い出してみるとその方と初めて1対1で話したとき、ものすごい勢いで私を含めた会社の仕組みや状況に対する怒りをぶつけられ、大の男であるにもかかわらず涙目にされるほどでした。
診察翌日に上司と相談し、4月末で退職することに。
妻とは辞めることになるかもしれないとは話していました。
しかし、次の仕事が何も決まっていない状態にも関わらず、休職や異動の選択肢をきちんと相談できないまま、退職の道を選んでしまったのは、今思えば身体的なサインが出ているだけでなく精神的にも参りきっていて正常な判断ができなかったのだと思います。
県男や諸先輩方にも何も相談せずに退職を決めるというあり得ない状況でした。
数日は大好きな会社を辞めることになったショックと法戦でいくらでもやることはあり、転職活動も手が付きませんでした。
とはいえ、妻と娘2人がいて無職になるわけにもいかないですし、法戦で戦いきって、実証を示すチャンスだと捉え、
・怒る人がいない職場
・今より近い職場
・在宅勤務がある
・給料が現職以上
・やりたいと思える仕事
というご祈念項目を立てて祈り、行動を開始。
もちろん法戦も一歩引かずに、過去最高の戦いをするなかで、転職活動を行いました。
無職はまずい、無職はやばいと焦りまくっていたなかで最初に受けた面接で、「牙の大河と申します!よろしくお願いいたします!」と会合の司会のときのように明るく勢いよく挨拶したところ、「お、元気いいですね。採用で。一応面接はしますね。」と、開始数秒の挨拶だけで採用を決めていただくというありがたい会社もありました。
1個内定が出たことで、その後は焦らずに転職活動をすることができました。
結果的には4社から全て内定をもらい、最終的には、4月の後半戦投票日の数日前に大手法律事務所のIT部門から内定をいただくことができました!
勤務地は地元から電車で1本の場所にあり、通勤時間は片道80分から40分になりました。
また、裁量労働制で残業代が年俸に含まれていた前職に比べてベースの給料はほぼ一緒で残業代が出る分給料は増えました。
週3日の在宅勤務、フレックスタイム制で子どものお迎えに間に合う時間に退勤することもできます。
子育てにもさらにコミットでき、家族も喜んでくれています。
また、牙城会の着任も有給や早退することなく間に合うようになりました。
実は、同求人には「(プログラミング)開発経験があること」が必須条件で、私は合致していませんでした。
たまたま前職の人事部門で懇意にしていた人材エージェントの方に紹介された求人で、「学生時代からの憧れの事務所ではあるので応募したいですが、私には開発経験がないので記念受験みたいになってしまいますよ」とエージェントの方に伝えたところ、「面接まではなんとかねじ込みますから!」と言われ、書類選考を通過し、オンライン面接と対面の面接を1回ずつ全て通過することができたのでした。
内定後に人事の方へ採用理由を聞いたところ、1次のオンライン面接も2次の対面での面接でも、面接官全員が「なによりバイタリティ(生命力)を感じた」とのことでした。
本当に信心の功徳、お題目のすごさを実感することができました。
元々学生時代は創価大学ロースクールで弁護士を目指していました。
司法試験に落ち、リーガルテックベンチャーの営業、もう1社を経て前職のITベンチャー企業でのIT部門と人事部門でキャリアを進めてきたところ、大手法律事務所で働くことができるようになり、本当に全てに意味があったと、縁してきた方々に感謝の思いでいっぱいです。
内定後に迎えた後半戦では、グループとして前回よりも得票数を伸ばし、また市内全グループ完勝することができました。
今後も池田先生の弟子として、何があっても負けない人生を歩み抜いてまいります!