広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

女子部 永遠の五指針

 私たちの信心の根本は題目である。
 広宣流布へ、師弟が心を合わせて祈る。
 同志が異体同心で祈る。
 そこから新しい前進が始まる。戦いの勢いも生まれる。功徳も大きく広がる。
 朗々と、伸び伸びと、前へ前へ、水が流れていくような題目こそ、「勝利のリズム」である。
 白馬が大草原を走っていくような、清々しい音律が大事である。
 題目こそ、絶対勝利の力なのである。
 師弟不二の祈りと、異体同心の団結で、どこまでも、晴れやかに、生き生きと、女子部革命を成し遂げていっていただきたい。
 
 御本尊に題目を唱え、真剣に広宣流布に進む皆さんが幸せにならないはずがない。
 今世はいうまでもなく、三世永遠に幸福になる。
 現実は、経済苦や病気、家庭内のけんかなど、悩みは尽きないものである。
 しかし、表面上は不幸の格好に見えたとしても、南無妙法蓮華経と唱えていくならば、全部、変毒為薬できる。
 すべてを乗り切っていける。成長のバネとしていける。
 根本的には、もう、すでに勝っているといってよい。
 それは、「劇」のようなものである。
 悩んでいる姿を演じているけれども、このドラマの結びは、絶対に幸福であり、 勝利である。
 不幸で終わるわけがない。生々世々、必ず幸福になれる。永遠に勝ち抜いていける。
 ゆえに、何の心配もいらないのだ。
〈中略〉
 世界一の婦人部は、本年3月に発表された「婦人部 実践の五指針」を掲げて前進されている。
 すなわち――

  「絶対勝利の婦人部」

  一、祈りからすべては始まる
  一、わが家は和楽の前進
  一、後継の人材を伸ばす
  一、地域と社会を大切に
  一、生き生きと体験を語る

 ここで、新たに、「女子部 永遠の五指針」をお贈りしたい。

  一、朗らかな幸福の太陽たれ
  一、世界一の生命哲学を学ぶ
  一、何があっても負けない青春
  一、正義と友情の華の対話を
  一、永遠に師弟勝利の門を開く

 この「永遠の五指針」を胸に、妙法の誉れの青春を、最高に誇り高く、希望に燃えて生き抜いていただきたい。


2009.6.6
創価女子会館開館3周年記念協議会

青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ

「なぜ山に登るのか」
「そこに山があるからだ」と
かつて
ある著名な登山家は言った
 
我らは今
広宣流布の山である
二十一世紀の山を
登攀せんとしているのだ
 
我が 青年達よ
妙法正義の旗を振りながら
満ちたりたる人生の自立のために
二十一世紀の山を
勇敢に登り征け
 
そのためにも
大なり小なり
自己に直面する日々の現実の山を
一歩一歩
また一つ一つ
登りゆかねばならない
その厳しき現実と
社会の山を登りゆかんとする
その生命の中にのみ
真実の充実しきった
青春の価値があるからだ
そして その深く
自身の決めたこの道にのみ
無言にして
無限の言い知れぬ
広びろとした広野の如き
自己自身をつくり
見つめゆくことができるのである
 
我が 門下の青年よ
生きて生きて生き抜くのだ
絶対不滅にして
永遠の大法のために
また この世に生を受けた
尊き自己自身の使命のために
さらに
我らの信条である
世界に平和の鐘を
社会に正義の旗を
打ち建てゆくために

今日も太陽は昇る
春の桜の朝にも
かの炎熱の日々にも
紅葉の秋にも
吹雪と嵐の曇天にも
悠然と太陽は昇る
と共に逞しく
未来に生きゆく青年の胸中にも
大法輝く太陽が
刻々と昇りゆく
青春であらねばならない

若き君たちよ
青春とは太陽の異名である
その無限の可能性に
光り輝く太陽を抱きながら
今日一日を
すべてに勝ち取っていく
日々であっていただきたい

我が 太陽の仏法昇りきたりて
法灯連綿七百年
そしてまた
「源遠ければ流長し」の
原理のもとに
その大河は
満々と世界に流れ広がった

昭和二十六年
その太陽の仏法を掲げて
勇敢にして信念の
青年部の先輩立ちて三十年
その時集いし不屈の
凛々しき若武者と
清純なる乙女ら
二百六十余人
今 ここ三十年の流れに
ある時は
岩にぶつかり
ある時は
嵐に水かさを増しながら
ある時は
炎熱の日々に水かさを減じながら
今や四百万人の脈々たる奔流となる
会長の後継者も
全て青年部出身者であったことを
忘れないでもらいたい

この悠々たる大河の流れは
誰人も
決して止めることはできない
いかなる権力をもってしても
いかなる邪悪な妨害ありとも
時代の先取りとしながら
さらにさらに
水かさを広く深く拡げながら
大海に向かって
流れていくに違いない

この若き青年諸君の
勇猛(ゆうみょう)にして精進の弘法の力により
日蓮大聖人の太陽の仏法は
我が国を超えて
世界へと輝きわたる
また その妙法流布の大河の流れも
九十数か国に流れわたった
平和のため
生命尊厳のため
世界の大仏法として
あらゆる慈悲を与えながら
滔々と歓び渡る

その先駆を切りし人々は
すべて青年であったのだ
御書に曰く
「日蓮が慈悲曠大ならば
南無妙法蓮華経は万年の外
未来までもながるべし」と

信教の自由を守るための
我らの慈悲と哲理の秩序ある行進には
階級もない
国境もない
全ての人が本源よりの
自らの使命と権利と幸福を
創りゆくためへの行進なのだ

我らは 絶対に暴力に反対する
我らは 絶対に戦争に反対する
この大仏法を基調として
平和と文化の賛同を得ながら
国境を越え
イデオロギーを超え
共鳴の華の輪を拡げゆくのだ
人間は誰人たりといえども
幸福になりゆく権利があるからだ

私は諸君の成長をひたすら待っている
否 祈っている
それしか広宣流布の道がないことを
知っているからだ
そこで 私は申し上げたい
現実の二十一世紀の山へ
登りゆくためへの原動力は
勤行 唱題であることを
忘れてはならないということである

「一丈のほりを こへぬもの
十丈 二十丈のほりを こうべきか」
の御聖訓のままに
今 君達が存在するその場所で
断じて勝たねばならない
仏法の真髄である
題目をあげぬいた人には
誰人もかなわないからである
この一点を
君達は忘れてはならないし
実践しぬいてもらいたい

いかなる苦衷の最中(さなか)に入っても
希望を失ってはいけない
希望は力である
これこそ信心であるからだ

ともあれ 人間のみが
希望を生み出す
価値ある存在であるからだ
かりに 不運にも
姿は敗れることがあったとしても
信心の二字だけは
決して敗れてはならない
信心の二字が不撓であるならば
いつの日か必ずや
その人には
勝利の満足の証(あかし)が待っている
その証は
社会の中に厳然として
明確に証明されるのが
事の仏法であるからだ

ここで 若き君達は
聡明なリーダーとして
成長していただきたい
また
民衆と共に歩みゆくことを
絶対に忘れてはならない
民衆が主権者であるからだ
民衆は常に賢者であることを
知らねばならない

その民衆の支持と信仰があるかぎり
我らの行進は
いやが上にも
限りなき前進の歴史を
築くことができるからだ

故に 若き君達は
労多きことを誇りとしながら
良き市民の人生の案内役
そしてまた
若き哲学者であっていただきたいのだ

来るべき時代は
かかる若きリーダーを
望み待っていることを
私は知っている
信仰と哲学なき人は
羅針盤のなき船舶のようなものだ
もはや
物の時代から心の時代
心の時代から生命の時代に
刻々と移りかわっている
そこにのみ真実の人生の幸福という
価値あることを人々はめざめ始めた
いまや
有名とか 財産で偉さが決まる時代は
全く過ぎ去ったといってよい
大衆による大衆の時代なのだ

この大衆の時代に
大衆より信頼を得た人が
真実のリーダーなのである
人間は皆 すべて平等である
上下などある筈がない
若き君達よ
朝な夕なに大衆と常に接し
共に生き
大衆と温かき連係をとりながら
そして大衆と呼吸し
共鳴してゆく
若き新世紀のリーダーに
なっていただきたいのだ

私は 君達を信ずる
君達に期待する
君達を愛する

私も
人生の恩師と定(き)めた
戸田門下生の一人として
あらゆる迫害を浴びながらも
その時 誓いあった広宣流布という
民衆のための法戦を
貫き通してきたつもりである
いわれなき冤罪は
歴史が厳然と裁くことを
断言しておきたい

いかなる
権威 権力をもって迫害されても
一人の人間として
どこまで難を乗り越えられるか
その姿を示しゆくところに
人間革命の実証があるとの
信念に殉じて生きてきた

絶対に
卑怯者にはなりたくなかった
また なってはならない
裏切り者であってはならない
それは
いかに正義ぶった
論調を展開しようとも
もはや 野干になりさがった
言々であることを知悉しているからだ

若き青年リーダーたちよ
問題にあたって
常に鋭く
その事件の本質を
見抜きゆく洞察力を持たねばならない
また 様々な法戦にあって
その背後にある
陰謀 画策の構図を
見破らねばならない

故に 未来に生きゆく青年たちは
賢者であらねばならない
愚者であってはならない
騙されてはならない
聡明と智恵者であらねばならない
これこそ
「天晴れぬれば地明らかなリ」との如く
信心の要件といわねばならないからだ

詮ずる所は
不幸と幸福
邪悪と正義
魔と仏の戦いが
仏法の仏法たる所以であることを
自覚していただきたいのだ
ともあれ 若き君達は
同信退転の
あわれな友を乗り越え 乗り越えて
生命の宝塔の
求道の人々と交わりながら
ひたすらに
運動の繰り返しを
回転しぬいていただきたい

真実の
充実しきった意義ある人生には
真実の
偉大な仏法と信仰が必要なのである
君達の最高の誇りは
日蓮大聖人の仏法を持(たも)ち
青春を乱舞しぬいているということに
つきることを知らねばならない

二十一世紀の山は近い
もはや彼方に見える
二十一世紀は
全てが君達のものだ
君達の暁であり
檜舞台である
君達が存分に活躍しゆく
総仕上げの大舞台である

二〇〇一年五月三日――
この日が
私共の そして君達の
大いなる
目標登攀の日であるといってよい
広布第二幕の勝負は
この時で決せられることを
忘れないでほしいのだ
愛する君達よ
その日まで労苦の修行を
足も軽やかに
健康で
日々歩んでいただきたい

全てが自身のためと思い
そして 民衆のためと思い
悩める友のためと思いながらの
修行であっていただきたい
そして永遠に刻みゆく
忘れ得ぬ自己自身の
歴史の綴りであることを思いながらの
精進であっていただきたい
どうか 苦しき時
行き詰まりそうになった時に
あの雄々しき多くの同志がいることを
忘れてはならない
また 彼の地にも
あの先輩が
あの同志がいることを
決して忘れてはならない
そのために 自身に克ちゆく唱題も
忘れてはならない

我らの そして君達の
行動と活躍の全ては
三世を通観なされる
日蓮大聖人の御照覧が
常にあることを忘れてはならない
また この経を持(たも)つ人には
必ず諸天の厳たる護りがあることを
疑ってはならない
これを信心というのだ

少々の屈辱と侮蔑の
非難を浴びせられても
釈尊もそうであられたし
ましてや
日蓮大聖人の大迫害よりみるならば
あまりにも小さき難であることを
凡夫である我々は
感謝しなければならないのだ
かの熱原の法難を
そして近くは
我が学会の誉れある
初代 二代会長の法難を
想い起こしてもらいたい

どうか 後継の諸君よ
老いたる親を大切に
そして社会を大切に
泥沼の如き労苦の社会の中にこそ
「如蓮華在水」の原理があることを
知っていただきたいのだ
その複雑きわまりなき社会にあって
若き地湧の後継者たる君達は
厳然として自己の宮殿をひらきながら
悠然と
ある時はさらに走り
ある時は耐え
そして
ある時は青春の叫びを訴えながら
またと来らざるこの一日一日を
前へ前へと
進みゆくことを願ってやまない

信仰とは
何ものをも恐れぬことだ
自己をして自己の信念を
法と人と社会のために
果たしゆくことだ
社会は厳しい
甘えてはならない
刻々と変遷しゆく
社会に流されるのではなくして
君達は堂々と歴史を作りゆく
主体者であることを自覚されたいのだ
表面的な社会の現状に紛動され
毀誉褒貶の八風に
侵されゆく自分であっては
もはや大聖人門下の
偉大なる信仰者とはいえないのだ

私が願ってやまない
若き 仏子達よ
今再び
スクラムを組みかえながら
たまには菜の花の広野で
次の目標への打ち合わせをしながら
また ある時は
「紅の歌」
「緑のあの道」を
高らかにうたいながら
堂々と若き後継の友を拡大しながら
ついに目指した
金剛の二十一世紀の山へと
共進を開始していただきたいのだ

その二十一世紀の
山に登りきったならば
あとは一切
君達のものである
それからは 広宣流布第三章の
平和と幸福への
歓喜の法戦を
全て君達に託したい


1981.12.10
青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ

蓮華、青春

 この信心は、皆が堂々と、胸を張って生きるための信心である。
 自分らしく、生き抜き、勝ち抜くための信心である。
 全国の婦人部を代表して、総東京婦人部の皆様に、次の一首を贈りたい。

 因果倶時
  仏法 見つめん
      蓮の花

 蓮華は、花と実が同時に成長していく。これは他の花々には見られない特徴である。仏法では、花を「因」、実を「果」に、よく譬える。
 すなわち蓮華は、南無妙法蓮華経の「因果倶時」(成仏の「原因」と「結果」が同時に一瞬の生命にそなわること)の譬喩に用いられているのである。
 本気になって祈り抜いた時、その祈りは、根底では、すでに叶っているのだ。
 「因果倶時・不思議の一法」(御書513頁)と仰せの、この偉大な法理を確信して、ともに広宣流布の大道を進んでまいりたい。

〈中略〉

 戸田先生は、青年部に厳命された。
 「青年は、先駆者たれ! 先駆の気概を持て! 広宣流布を成し遂げるのは、君たち青年の力なのだ」
 青年部、頼むよ!
 人がどうあれ、環境がどうあれ、若き皆さんが、広宣流布を成し遂げていくのだ。
 昭和31年(1956年)の戦いは、東京は「絶対に勝つ」と言われ、大阪は「絶対に負ける」と言われた。私は大阪の指揮を任された。
 「負ければ、おもしろい」と冷ややかに見る人間もいた。私は一人、師子奮迅で立ち上がった。
 嗤う者は嗤え!
 謗る者は謗れ!
 私は、まっすぐに大聖人を信じ、御書を根本に指揮を執った。ただ、戸田先生に喜んでいただきたい――その一心で戦った。「師弟一体」で勝ったのである。
 この心を、若き皆さん忘れないでもらいたいのだ。

〈中略〉

 ワイルドは、ある戯曲の中で、登場人物に、こう語らせている。若者への励ましの言葉である。
 「きみにはこの世でもっともすばらしい味方がいるじゃないか――青春というものが!」(西村孝次『オスカー・ワイルド全集2』青土社)


新時代第29回本部幹部会、広布第2幕第15回青年部幹部会

題目の音声

 「私は今、御本尊に命が惜しいとは願いません。たとえ五分でも十分でも、生きている限り、広宣流布のために、ご奉公させていただきたいと願っているのです」
 恩師・戸田城聖先生は、晩年よく語られました。先生の題目は、広宣流布に全生命を注がれゆく深き強き一念の祈りです。
 先生と共に唱題させていただくたびに、勝利への生命力が全身に躍動してきました。
 「師弟共に唱うる」(御書748㌻)妙法の師子吼を、わが生命に轟かせながら、私は、あらゆる闘争に連戦連勝の栄光史を残してきました。師と心を合わせた「不二の祈り」は無敵であります。
 師弟一体の強盛な祈りに、十方(全宇宙)の仏菩薩、諸天善神も感応する。広布の闘士を守りに護るのです。
 「御義口伝」にはこう仰せです。
 「今日蓮等が類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり」(同742㌻)
 題目は、わが生命を限りなく強くし、そして人々の生命をも変えゆく「大風」を起こしているのだ、との大宣言です。
 この御金言は、法華経見宝塔品第11の「譬えば大風の小樹の枝を吹くが如し」(法華経388㌻)の経文について、日蓮大聖人が講義なされた口伝です。

〈中略〉

 若き日、私は日記に綴りました。青春闘争の結論です。
 「第一にも、題目しかない。第二にも、第三にも、宿命打開は、題目しかない。実践。――実行。――勇敢に、撓まず。観念論では、一分の変革もなし得ない」
 今こそ題目をあげきって、どういう結果が出るか、実践し切ろう! 解決してみよう! だれが何と言おうが、私は私なりに御本尊にぶつかってみよう!――この決心で、十万遍、二十万遍、三十万遍、五十万遍と、題目をあげて、あげて、あげ抜きました。
 先生のお体、先生のご家族、先生の会社、そして、先生の作られた学会、先生が育てられた同志……歩いていても、電車に乗っていても、いつもいつも心で題目を唱えながらの闘争でした。
 祈りが、まだまだ足りない。まだまだ弱い。まだまだ小さい。自らを叱咤しながらの勇猛精進だったのです。
 戸田先生の弟子として、御本尊に願い切っていこう! 働き切っていこう! この一念しかありませんでした。
 そして、生活の上に、境涯の上に、厳然たる解決の証拠が出たのです。「御本尊はすごい!」という大確信を、若き命に刻んだのであります。
 今、未曾有の大不況にあって、全国・全世界の同志が、地域社会の一大変革のために、真剣に題目を唱えながら、人生の現実と格闘されています。
 崇高なる仏の大音声が、生命を揺さぶらないわけがない。必ずや変毒為薬し、その地その国を、宝土と変えていけることを確信し抜いてください。

〈中略〉

 戸田先生は断言なされました。
 「題目で勝ちなさい。何があっても、あげきった題目の福運は厳然と残る。絶対に消えないのだ」
 勝負は、我ら自身の一念です。行き詰ったならば、それは「前進している証しだ!」と胸を張って、何ものにも負けず、堂々と歩み抜きましょう。
 創価の師弟の大音声――唱題と対話の「大風」を、縦横自在に社会へ吹きわたらせようではありませんか!

颯爽と
 また決然と
  指揮とれる
 君が動けば
  勝利の天地に


2009.6.4
御書と師弟 第16回
題目の音声

人間革命

人間革命――それは、まず自分が生まれ変わることだ。
身近な「一人」を心から励まし、苦楽を分かち合い、ともに立ち上がっていくことだ。


2007.11.10
第2回関西最高協議会 
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