雪柳

 「光」が噴き上がっていた。
 「命」が噴き上がっていた。
 「咲きほとばしる」と言うべきか、抑えても抑えても、抑えきれない春のエネルギーが、真っ白な「光の噴水」となって、勢いよく湧き出していた。

 あれは一九八三年(昭和五十八年)の四月五日。私は中部の高校生・中学生の代表と語り合った。中部文化会館の屋上である。
 三月初旬の愛知・三重訪問に始まり、関西、沖縄、九州、中国を回って、前日に再び愛知に戻ってきたところだった。
 暖かい陽射しだった。青い空に、絵のような名古屋城が、そびえていた。「しっかり勉強するんだよ」「名古屋城のように、堂々とした人間に育つんだよ」
 なかには、お父さんの病気に心を痛めている子もいた。私は一生懸命、励ました。
 城を背にして、記念撮影のために並ぶと、カメラの向こうに、遠く、雪柳が盛りの命を咲いていた。
 透けるような純白の輝きが、未来部の友の姿と重なった。

 雪柳は「雪」であり「花」だった。「冬」であり「春」だった。
 白という光の中に、春と冬が溶け込んでいた。まるで、希望と苦悩が渾然一体になっている青春時代のように。
 青春は、苦しい。悩みばかりだ。しかし、悩みがあるから、心は育つ。うんと悩んだ日々こそ、一番不幸だと思った日こそ、あとから振り返ると、一番かけがえのない日々だったとわかるものだ。
 だから苦しみから逃げず、苦しみの真ん中を突っきって行くことだ。それが森を抜ける近道だからだ。
 寂しければ、その寂しさを大事にすることだ。寂しさや悲しさを、遊びなんかで、ごまかすな。使い捨てるな。耐えて、耐えて、自分を育てる「こやし」にしていけ。
 逃げたくなることもある。
 でも、雪柳は動かない。雨の日も、寒風の日も、じっと自分の場所で根を張って頑張っている。頑張り抜いたから、みんなのほうから「きれいだねぇ」と来てくれる。
 人間も、魂の根を張ったところが「自分の故郷」になる。
 完全燃焼したところが、心が安らぐ「自分の居場所」になる。

 私は、みんなにお願いした。
 「お父さん、お母さんを大切に」
 君たちが生まれる時、どんなに、お母さんがたいへんだったか。あなたが大きくなるために、両親は、どんなに疲れても、眠れなくても、大事に面倒を見てくれた。苦しい仕事にも耐えて働いてくれた。
 あなたが初めて声たてて笑った時、初めて歩いた時、どんなに両親は幸せでいっぱいになったか。病気になったとき、どんなに、おろおろと心配したか。
感謝できる人は幸せな人だ。
 雪柳は太陽への感謝を忘れない。
 太陽は、いつも惜しみなく光を注いでくれた。いつも、ありのままの自分を、そのまま受けとめ、光で包んでくれた。だから今、雪柳は「太陽への恩返し」のように、明るく周囲を照らしている。

 人間だって、花と同じように、光がいる。人も、人から大事にされないと、心が枯れてしまう。だから君が、みんなの太陽になれ。
 人間だって、花と同じように、水がいる。自分で自分を励ましたり、喜ばせたり、心を生き生きさせないと、心は枯れてしまう。
 自分で自分を励ませる人は、すてきな人だ。人のつらさも、わかる人だ。自分で自分を喜ばせる言葉を、強さを、賢さを!落ち込んだ心を、よいしょと自分で持ち上げて!
 自分で自分を好きになれないと、人だって愛せない。

 記念撮影を終えて、私は雪柳に近づき、カメラを手にした。

 天をさして咲く花もあれば、地を向いて微笑む花もあった。それぞれの個性が集まって、光の束になっていた。
 そして雪柳は、すべての力を、ただひとつのことに傾けていた。
 天から与えられた自分の生命を生ききること。自分が種子として持っていたすべてを、表現しきること。自分本来の姿へと開花すること。それ以外、何も願わなかった。
 ほかの花と自分を比べようなんて夢にも思わなかった。人が自分をどう思うかなんて、どうでもよかった。自分にできるかぎりのことをすること、それしか思わなかった。
 今、だれもが個性、個性と簡単に言う。「自分らしく生きる」と言う。でも本当は、それは茨の道である。みんなと同じようにしているほうが楽だからだ。

 柳のようにしなやかな雪柳の枝に、無数の星が光っていた。無数の宝石で飾られた王冠のようだった。
 そう、自分の道を歩み抜いた人は、だれでも英雄だ。「みんなが一等賞」なのだ。宝冠の人なのだ。
 だから「自分にできないこと」ばかり数えて落ち込んだり、文句言ってるなんて愚かだ。「自分にも今、できること」が何かある。必ずある。それを、やり抜く人が偉いのだ。その人が最後は勝つ。
 雪柳は敏感だった。だれかが通り過ぎただけの風にも揺れる。
あなたも、恥ずかしがり屋なら、そのままでいい。無神経になり、デリカシーをなくすことが「大人になる」ことじゃない。コンクリートみたいに固い花はない。花は、みんな柔らかい。初々しい。傷つきやすい。人の思いに敏感なままの、その心を一生咲かせ続ける人が、本当に「強い」人なのだ。

 運命は外からやってくるんじゃない。君の心の中で毎日、育っているのだ。
 毎日がつまらない時。それは自分が、つまらない人間になっているからかもしれない。
 人生をむなしく感じる時。それは自分が、からっぽの人間になっているからかもしれない。
 人生に、うんざりした時。人生のほうが君にうんざりしたと言っているのかもしれない。
 人間は結局、自分自身にふさわしい人生しか生きられない。
 だから、成績は中くらいでもいい、人間が大であればいい。頭がいいとか悪いとか、成績だけで分かるものじゃないし、生きる上で大したことではない。
 ただ、自分が「不思議だ」と思う疑問を大事に追求することだ。そのことを考えて、考えて、考え抜くことだ。
 そして、いざという時、真理と正義のためなら、自分を犠牲にできる人になれ。そんな人が一人でも増えた分だけ、この世は美しくなる。

 世界のどこかに、君にしかできない使命が、君の来る日を待っている。指折り数えて待っている。待たれている君は、あなたは生きなければ! めぐりあう、その日のために!

 輝くためには、燃えなければならない。燃えるためには、悩みの薪がなければならない。
 青春の悩みは即、光なのだ。

 雪柳も、冬の間に積もった冷たい「雪」たちを、枝から染み込ませて今、「花」に変えて噴き出しているのだろうか。
 中国では、その名も「噴雪花」という。


池田名誉会長の写真紀行 光は詩う
第18回 雪柳 光の王冠