他の人々の目には、子路の「利害」を度外視した純粋な生き方は、「一種の不可解な愚かさ」に映った。しかし、師匠・孔子だけは、この弟子の生き方の「無類の美点」を知り、だれよりも高く評価していたのである。
 一方では、子路ほど叱られる弟子もなかったという。それは、つねに、師匠に体当たりぶつかっていったからである。「他の弟子たちのように、嗤われまい叱られまいと気を遣わない。それが子路であった。
 自分が偉くなりたい。また、偉く見せたい。そのために、へつらったり、威張ったり、気取ったり。相手によって態度を変え、いつも他人の評判に右往左往する――そんな生き方では、あまりにも空しい。そのような浮ついた心では、未来に残る仕事を成すことはできない。必ず行き詰る。一度、「わが道」を決めたならば、人が何と言おうと、人がどう変わろうと、忍耐強く、誠実に、変わらずに、「わが道」を進む。それが人間として偉大な生き方である。最後には勝つ。
 また、そういう人を登用していくべきである。何千何万の人生を見てきた私の結論である。


2006.1.17
神奈川・静岡合同協議会