いのちの限りに咲いていた。
だから、いのちを込めて見なければ失礼だと思った。
埋め尽くす色彩の饗宴。
山の中に海があった。花の海だ。白とピンクと紅の「花の波」が打ち寄せていた。
兵庫の氷上町。関西の墓地公園を訪ねた秋だった。
九二年の十月二十二日。常勝総会を終えた午後、車で周辺を回った。お世話になっている地域を、少しでも知っておきたかったからである。
稲田が広がり、民家が点在していた。農作業をしている方もいる。
丹波の山間(やまあい)は、古くから文化が開けた土地らしい落ち着きがあった。
加古川の支流だろうか、川沿いの道があった。やがて突然、山陰に、別世界が開けた。
花の野に、陽は柔らかに、秋の桜が風にうなずいていた。野の向こうでは、枯れ草を焼くのか、白い羽飾りのような煙が昇っている。
秋桜(コスモス)の園(その)に立てば、だれもが懐かしく平和な気持ちになるに違いない。
人気は高く、今、コスモス園は全国にあるという。この涼しげな花に、人は何を求めているのだろう。
人間らしい優しさが通じない、むごい世の中への悲しみを癒すためだろうか。
きれいな心で生きているあなたに、この世は、どんなに傷つくことばかりだろう。心たかぶった人達には、善意が通じない。そればかりか、かえって意地悪く踏みにじられて。
それでも健気に微笑んで生きるあなたを、コスモスは、しなやかな腕で抱きとめてくれる。「そのままでいいの」「真心は、きっといつか通じるから」「だから、優しさを胸の奥に、しまい込まなくていいのよ」と励ましてくれる。
そよ風に揺れて、花たちが歌う。歌っているのは「柔らかな心であり続ける強さ」。一番大切な強さ。
けれど、優しきもの、美しき世界を守るためには、どんなに死にものぐるいの戦いが必要なことか。
コスモスの、たおやかな姿に、だまされてはならない。
あるかなきかの風にさえ挨拶する繊細なこの花は、実は、強い強い花なのである。
日当たりさえ良ければ、どこにでも生える。土質(どしつ)を選ばない。荒れ地にも、やせ地にも生える。むしろ、肥料が多いと、育ちが悪いそうだ。一度つくると、毎年、こぼれる種子で、また生えてくる。
風で倒されても、倒れたまま天に向かい、倒れたところから根を出し、たくましく起き上がってくる。
戦後、東京の焼け跡に、いち早く姿を現したのも、コスモスだった。
強さは、強がりの虚勢にはないのだろう。淡々とした、なすべきことをなす覚悟の中にあるのだろう。
秋桜は一年草。
だから、この秋に――ただ一つの秋に巡り合うために生まれてきた。
ただ一つの笑顔を青空にほめられたくて、背を伸ばし、伸ばししている、その一途さ!
だれのまねもしていない。
だれをうらやみもしない。
一心に、本気で生きている彼女には、くよくよするひまもない。ただ、かけがえのない今を生きるだけ。だから楽しい。苦しくても楽しい。
人も、この一生(ひとよ)に、ただ一つの花を咲かせるために生まれてきた。
自分にしかできない自分の使命(つとめ)を開花させるために。何かあるはず。自分にできる何かがあるはず。
自分にできることを、すべてした人。その人が「花」だ。
だから、あなたよ、花と咲け。二度とない人生。だれに遠慮がいるものか。花と咲け。
花よ咲け。心に咲け。暮らしに咲け。大きく咲け。
心の花こそが、この世の旅路のその果てまでも、あなたを飾る明かりとなる。
コスモスの名前は、ギリシャ語のコスモスから。宇宙とか調和の意味のほか、美、装飾などの意味がある。花の美しさから名づけられたという。
宇宙のような巨大なものと、秋桜のような可憐なものが同じ名前とは。しかし、不思議ではないのだ。
花は一つの宇宙なのだし、宇宙も一つの花なのだから。
立ち去ろうとすると、大きな風が立った。秋桜の幾万、幾十万の茎が震えた。野原いっぱいの大きな大きな「緑の竪琴(ハープ」の無数の弦を、秋風が掻き鳴らした。
花野(はなの)は歌った。人よ、美しくあれ、仲良くあれ、謙譲であれ。
風は運んだ。花たちの「ありがとう」の声を。生きていることに、ありがとう。大地に、ありがとう。虫にも、光にも、ありがとう。
風は走った。心から心へ、心を運ぶ使者として。
風は見えない。見えないけれど、花の揺れに、風が見えた。
心も見えない。見えないけれど、花と咲く人の姿に、心は見える。
花は色法。風は心法。花と風の戯れは、そのまま色心不二の経であり、生命の開花の詩だ。始めもなく、終わりもなく、幾世の果てから朗らかに吹き続け、鳴り続ける、宇宙(コスモス)の祈りの声だ。
広野(ひろの)は、きらきらと陽に耀(かがよ)って、花の一つ一つが宝冠に見えた。
無数の腕が、何かを胴上げしているように見えた。
生命(いのち)の讃歌を歌うために、太陽へ手を伸ばし、手を差し上げながら、合唱しているかのようだった。
聖教新聞1999.9.19
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第1回 兵庫 秋桜の風