青年にとって、職業の悩みは大きい。
 自分には、どういう職業が向いているのか。今の職業で、いいのだろうか--こう悩む人も多いにちがいない。
 私も青年時代に、悩んだ。
 はじめ私は、戸田先生の出版社で少年雑誌の編集をした。あこがれの職業であった。しかし、経営が悪化し、雑誌は廃刊。
 私の仕事は、一番嫌いな金融の仕事に変わってしまった。しかも、月給さえもらえない時期が続いた。冬になっても、オーバーも買えなかった。しかし私は、文句など一言も言わなかった。願いはただ戸田先生の苦境を打開することであった。そのために、ひたむきに働いた。
 私は、戸田先生を我が師匠と決めていた。一度そう決めたのだから貫くしかない。師弟は、「弟子がどう戦うか」で決まる。戸田先生も、牧口先生を師匠と定めたゆえに、ともに牢獄に入り、辛酸をなめ尽くされた。
 しかし、戸田先生は「あなた(牧口先生)の慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました」と感謝を捧(ささ)げられたのである。何と崇高(すうこう)な弟子の姿か。これが「本物」の師弟である。師弟は弟子で決まる。
 戸田先生は、職業の悩みをもつ青年に対し、こう指導されていた。
 「職業を選ぶ基準。これは三つある。すなわち美・利・善の価値だ。『自分が好き(美)であり、得(利)であり、社会に貢献できる(善である)仕事』につくのが、だれにとっても理想である。しかし、実社会は、君たちが考えるほど甘くない。はじめから希望通り理想的な職業につく人は、まれだろう。思いもかけなかったような仕事をやらなければならない場合のほうが多い」
  たとえば――。
 “生活ができて、社会の役に立つが、どうしても向いていない、好きになれない”(利があり、善だが、美ではない)
 “「好き」で「人の役に立つ」職業でも、食べていけない”(美と善があっても利がない)
 “「もうかって」「好き」な仕事でも、社会の迷惑になる”(利であり、美であるが、悪である)
 このように、現実には「美」「利」「善」の三つの価値は、なかなかそろわない。特に今は、不景気でもあり、就職の困難は増している。
 それでは、どうすればよいのか。戸田先生は教えられた。
 「こういう時、青年は決して、へこたれてはいけない。自分の今の職場で全力を挙(あ)げて頑張ることだ。『なくてはならない人』になることだ。
 嫌な仕事から逃げないで、御本尊に祈りながら努力していくうちに、必ず最後には、自分にとって『好きであり、得であり、しかも社会に大きな善をもたらす』仕事に到着するだろう。これが信心の功徳だ。
 それだけではない。その時に振り返ると、これまでやってきた苦労が、ひとつの無駄もなく、貴重な財産として生きてくるのです。全部、意味があったとわかるのだ。私自身の体験からも、こう断言できる。信心即生活、信心即社会であり、これが仏法の力なんだよ」と。
 戸田先生は、不世出(ふせいしゅつ)の天才的な指導者であられた。先生の言葉の正しさは、私の経験からも本当によく実感できる。
 自分が今いる場所で、勝つ以外にない。
 仏法でも「本有常住(ほんぬじょうじゅう=本来そなわっていて、三世にわたって存在すること)」「娑婆即寂光(しゃばそくじゃっこう=現実の娑婆世界が、本来、仏の住する素晴らしい世界であること)」と説く。
 その場で光ることである。当面の仕事を避けないで、全力で頑張り抜いていけば、必ず、一番よい方向へと道が開けていく。
 やがて“これまでの苦労には、全部、意味があった。すべて、自分の財産になった”--こうわかるようになる。その時こそ、諸君は勝利者である。


1995.7.1掲載
7・3記念の本部幹部会、学生部総会でのスピーチ