苦難は、人間を強くします。
 大難は、信心を鍛えます。
 難に挑戦して信心を鍛え抜けば、我が己心に「仏界」を現していくことができる。
 大難が襲ってきても「師子王の心」で戦い続ける人は、必ず「仏」になれる。
 日蓮大聖人の仏法の真髄は「信」即「成仏」です。
 その「信」は、自身と万人の仏性を信ずる「深き信」であることが肝要です。また、何があっても貫いていく「持続する信」でなければなりません。そして、いかなる魔性にも負けない「強靭な信」であることこそが成仏を決定づける。
 この「信」即「成仏」の深義を説く「開目抄」の次の一節は、あまりにも有名です。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑わざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(御書234㌻)
 いかなる苦難に直面しても「疑う心」を起こしてはならない。諸天の加護がなく、現世が安穏でなくとも、「嘆きの心」にとらわれてはならない。不退の心で信仰を貫く人が、真の勝利者である。信心の極意を示した根本中の根本の御指導であり、永遠の指針です。


『開目抄』下巻


*******


元品の無明の晴れないときの俺は、ずっとこう思ってる。
「祈らなくたって適当に生きていける」
「祈ったからってどうなるのさ」
そんな、諦観と悲観、安易な現状肯定と妥協の肯定。
大切な人のことなんか忘れて、自分だけのせせこましい世界で、侘しく自分を守り続ける。

難と戦う気概を失った若者の行き着く先は、人と深く関わるのを避け、何も感じないかのように振る舞い、情熱的な人間を冷やかに嗤う、保身と嫉妬に身を焦がす憐れな青春だ。
外なる悪と戦わない人間は、内なる悪とも戦えないんだ。
三障四魔と戦わない人間は、三障四魔に喰い破られるんだ。

ぜっっったいそんなの嫌!!!
祈る!戦う!!勝つ!!!!