きょうは、歴史に残る、第二十三回栄光祭おめでとう。 諸君は、私の宝である。諸君は、私の意志を継いでくれる一人一人である。諸君は、世界に雄飛し、私の切り開いた道を完成しゆく一人一人である。
 そのことを思うと、私は最高の幸福者である。そして、何の心配もないし、何の憂いもない。私の人生の幸福は、王者のごとくである。諸君のますますの成長と健康をお祈りしたい。また、ご家族の皆さま、教職員の方々に、私は心から感謝と祝福を申し上げます。
 きょう七月十七日は、私の出獄の記念日である。その意義も含めか本日はまず、アーマンド・ハマー博士の自伝に基づき、博士のお父さんの話を少ししたい。
 じつは、ハマー博士は、最も多感な青春時代に、お父さんを裁判にかけられ、投獄をされるという、つらく苦しい歴史を刻んでいる。それは、医師であるお父さんが、殺人罪で告訴されたことである。くわしい事情は略すが、患者さんを思ってのお父さんの善意の行動が、曲解された。そしてまた、社会運動に関心をもっていたお父さんを陥れようとする反対勢力の動きもあった。
 ハマー青年は、父の潔白を信じ、懸命に訴えた。だが、父を守るべきはずの弁護士が、これまた悪徳弁護士で、少しも役に立たない。そればかりか、勝てるはずの裁判をかえって不利に進めたのである。また、悪意のマスコミにも興味本位に書かれた。裁判を戦う者にとって、これらは致命傷ともいえる。
 本来は正しき人のため、権力をもたぬ立場の人のために戦うのが弁護士等の職業である。しかし現実は、必ずしも、そうなってはいない。その矛盾した社会を変革するために諸君がいる。今や学園出身者の中からは、多くの弁護士も誕生しており、私はうれしい。その成長と活躍を心から期待している。
 結局、ハマー博士のお父さんは、裁判に負け、有罪の判決を受ける。
 「愛する親が、被告席に座っていたり、囚人服を着せられた姿を平然と正視できる人はきわめて少ないだろう」(アーマンド・ハマー『ドクター・ハマー』広瀬隆訳、ダイヤモンド社)と、ハマー博士は振り返っている。ハマー博士の人生にあって、まさに「悲しくて絶望に満ちた時期であった」(同前)。しかし、当時まだ医学生だったハマー青年は、歯をくいしばって勉強を続けた。
 “今は何もできない。しかし今に見よ!ともかく力をつけよう。学びに学ぼう。そしていつか、父の正義と真実を証明するのだ仇を討つのだ”
 ――私には、そうしたハマー青年の心情が痛いほど伝わってくる。
 私の恩師戸田先生も、そうであられたからである。先生は、権力によって獄死させられた牧口先生の正義を証明するために、一人立たれた。そして私は、戸田先生の正義を証明するために一人立った――。
 やがて、大学を卒業すると、ハマー青年はアメリカから、父の祖国ロシアへ渡る。当時、チフスがはびこっていたこの地で学んだ医療を役立てよう、そしてまた、刑務所の独房に捕らわれの身となったお父さんに、懐かしい祖国の革命後の様子を伝え、励まそう――そうした気持ちがあった。一流の人物は、逆境をバネとして大きく力をつけていく。“もうだめだ”と結論するのは、その人の心の弱さの証明でしかない。
 ハマー青年は、父の投獄という最も悲しい悔しい体験をバネとして、自身の舞台を大きく世界に開いた。「アメリカとソ連の架け橋」としての行動を、雄々しく開始したのである。後に、ハマー青年は、ソ連で事業を成功させ、出獄したお父さん、お母さんをアメリカからモスクワに招いて、親孝行をしている。
 そして、何よりも、世界を舞台にした目覚ましい活躍の姿を通して、父に着せられた汚名をそそいでいったのである。また事実、ハマー博士は有罪判決をくつがえす裁判を起こし、一九四三年に、父の無罪判決を勝ち取っている。(寺谷弘壬『ドクター・ハマーが動いた!』KKベストセラーズ、参照)まことに味わい深い、素晴らしい人生のドラマといってよい。博士の経歴のうえから、諸君の何らかの参考になればと思い、紹介させていただいた。
 「世界を制覇せんとするものは、汝自身の悲哀を制覇せよ」との言がある。私の好きな言葉である。
 多感な青春時代、諸君にも大なり小なり、つらいこと、苦しいことがあるかもしれない。しかし、そこで負けてはならない。強く、また強く耐えながら、学びに学び、力を磨き、人生の勝利者に育っていけばよいのである。私は諸君の活躍を、いつも見守っている。また一生涯、見守っていく。

 次に、これも「捕われの身」に関連するが、真実の勇者、真の戦士とは誰か、いかなる人物かということに触れておきたい。

 ――大海の深き淵は見えない。青空の遠き奥も見えない。
 大いなる勇気も、浅き世間の目には見えない。それどころか、しばしば臆病にさえ見える場合がある。
 今春、卒業式で、彫刻家ロダンのお話をした。彼の傑作の一つに「カレーの市民」がある。これは14世紀の史実に題材をとった作品である。
 カレーとは、フランス北端の港町。ドーバー海峡をはさんでイギリスと向かい合っている。
 物語は、イギリスとフランスとの「100年戦争」(1337~1453年)中のことである。
 1347年。カレー市民は、イギリス軍に包囲されていた。もう、一年間もこんな状態が続いている。
 市に助けを出すべきフランス王フィリップ6世にも、見捨てられてしまった。
 その時、市民はどう生きたか――。この極限の状況のなか、今なお全ヨーロッパの人々に語り継がれる人間のドラマが、カレー市に生まれたのである。
 その魂の劇を描いたのはドイツの作家ゲオルク・カイザー(1878~1945年)。反ナチスの作家としても有名な彼の戯曲「カレーの市民」は、全世界の人々に感銘を与えた。
 日本でも上演され、またよく読まれた。原作は少々難しい面もあるので、本日は、青春時代の記憶に基づき、ごくあらすじのみ、お話しさせていただきたい。

 その日の朝、カレーの市民たちのもとに、イギリス王エドワード3世からの使者が届いた。「町を破壊されたくなかったら、一つの条件をのめ」というのである。負け戦のカレー市としては黙って耳を傾ける以外にない。
 負けることは惨めである。悲惨である。人生もまた断じて勝たねばならない。
 その条件とは――。使者は言う。
「明日の朝までに、6人の代表の市民を英国王のもとに差し出すのだ。その6人は、帽子をつけてはならぬ。靴もはいてはならぬ。裸足(はだし)で、哀れな罪人の衣を着、首に縄をかけて来い。そして国王の前に命を差し出すのだ。そうすれば、町は破壊から救われよう」
 屈辱的な要求であった。人間を愚弄する傲慢の言であった。
 戦争の場合でなくとも、優位な立場をカサに、人を見下し、抑えつけ、利用しようと、威張る人間は、いつの世にもいる。そうした権威・権力に断じて負けてはならない。

 市民たちは怒った。とうてい、こんな申し出を聞くことはできない。「武器をとろう!」。声があがった。しかし玉砕は100パーセント確実である。
 女性も、子供も、老人も全員が、犠牲になるであろう。町も港も破壊されよう。
 それでも、「皆、共に死のうではないか!」という声が優勢であった。フランス軍のデュゲスクランが、そうした人々を煽(あお)った。
「戦おう!」隊長の声は勇ましかった。人々は興奮状態にあった。
「華々しく突進して死ねばよいのだ!」その方が潔いし、この長い苦しみからも逃れられる――。隊長の剣(つるぎ)の上に、一人また一人と、誓いのための手を置いていった。この若者も、あの老人も――。
 しかし、一人だけ手を置くことを拒んだ者があった。それまで静かに議論を聞いていたサンピエールだった。彼は言った。
「私は反対だ。我々は、何よりも大切なこの港を守らねばならない。後から続く人々のためにも――」
 「この港は、我々市民が営々たる労働でつくったものである。市民が自分の腕(かいな)で重い石を運び、背を曲げ、ぜいぜい息を切らして働いた結晶である。こうして、湾は深く掘り下げられた。立派な防波堤が築かれた。あらゆる国の船が安心して停泊し、航海できる港ができたのだ」
 「6人の市民を犠牲にすることは、もとより断腸の思いである。しかしカレーの港は、我が命よりも貴(とうと)いと思わねばならない。なぜなら、この港は、世界の万民に幸福をもたらすからである」――。
 この学園も一つの、人類のための“幸福の港”である。
 大切なこの宝の港を断じて守り抜かねばならない。悪に蹂躙(じゅうりん)されてはならない。権威に利用されてもならない。人類のために、正義のために――。
 その“港を守り抜ける”真実の勇者は一体、誰なのか。ここに問題がある。建設するのも人間、破壊するのも人間。一切は人間で、人物で決まるからだ。

 無謀な戦闘をいさめるサンピエールの言に人々は、「何という臆病者だ!」「卑怯ではないか!」と口々に罵(ののし)った。
 しかし、諄々(じゅんじゅん)と説くサンピエールの冷静な声に、次第に賛同の意見が増えていった。
「それでは――」。一人の市民が発言した。「誰がイギリス国王の前に行くのか!」
 自ら死ぬ者は誰なのか――。この問いかけに、場内は一瞬にして、水を打ったように静かになった。誰もが顔をこわばらせた。そして……。
「では、私が行こう!」 立ち上がったのはサンピエールだった。本当に偉い人物は、いざという時にこそ泰然自若としているものである。

 人々の間に異様な感動が走った。もう彼のことを臆病者などと言う人間はいない。いるはずがなかった。
 私は思う。人々をけしかけて、無謀な玉砕へと赴かせるような人間が“勇者”なのか。自らの生命を捨てて人々を守り、祖国を守る者が“勇者”なのか。
 大勢の人々に命令し、でき上がった組織を使って、何かをやらせることは簡単である。また華々しいし、力があるようにも見える。また、それが必要な場合もあるかもしれない。しかし、それは真の「勇気」ではない。

 一人立ったサンピエールのもとに、もう一人の市民が、静かに寄りそった。「2人目」であった。魂は魂を揺さぶる。「よし、おれも!」、3人目も立った。4人目、5人目と続いた。あと一人である。人々をけしかけた、あの隊長は名乗り出ない――。
「よし、私が!」2人の兄弟ジャックとピエールが同時に声をあげた。6人でよいところが、7人になってしまったのである。予想外の出来事であった。どうするか。「では、クジ引きで一人を除こう!」。場所を変えて、抽選することになった。

 それは恐ろしい光景であった。はじめ7人は、命を捨てる覚悟だった。ところが、ここで生命が助かる新しいチャンスが出てきたのである。妻の顔、子供の顔が浮かんでくる。母が、恋人が、「どうか、あの人がくじに当りますように!」と泣き崩れる。
 勇者の心の宇宙にも、暴風雨が吹き荒れた。自分の「勇気」はもう、申し出ることで立派に証明した。助かってもいいのではないか? 人間の心理は微妙である。次々と不安と苦悩の黒雲がわきおこってきた。
 布をかけた皿に7人が一人ずつ手を入れる。青い玉なら死。命を賭けた、クジである。1人目、青い玉だった。2人目、また青い玉だった。3人目、4人目、5人目、皆、青い玉だった。「どうなっているんだ!」。耐え切れず、一人が布をあけた。
 何と7つとも全部青い玉だった。驚く人々にサンピエールは言った。
「私がそうしたのだ! なぜか? はじめ我々は命を捨てる覚悟だった。しかし、皆に迷いが起こってしまった。決心が緩(ゆる)んだ。これでは命を捨てての大業を成し遂げることはできない!」
 誰が選ばれても、選ばれなくとも、皆の心に恨みと悔いのシミを残してしまう、と考えたのである。皆の、目に見えない「一念の緩み」を彼は見逃さなかった。彼一人は、いささかも心が揺れていなかったからである。
 結局、彼の提案で、明朝、市場に最も遅れて着いた者が、犠牲を逃れることになった。

 翌朝――大勢の市民が市場に集まっていた。誰が最初にくるか? 皆、サンピエールが一番だと疑わなかった。ところが――。
 3人の勇士が相前後して着いた。人々は彼らに罪人の衣を着せ、裸足にし、首に縄をつけた。
「サンピエールは、一体どうしたのか?」「次にきっと来るよ」。しかし4番目も別の人であった。皆の瞳に動揺の色が濃くなった。5番目、そしてついに6番目!
 それでもサンピエールは来ない。これでは、この6人が犠牲になるのか――。
「我々はだまされた! 彼は初めから来ないつもりだったのだ。今頃、我々の馬鹿正直を笑っているだろう!」6人の内の一人が叫んだ。
 市民の全てが怒った。「彼は我々皆を裏切った!」殺気だった人々が彼の家に押しかけていこうと走った。その時――
 黒い布をかけた一つの棺(ひつぎ)が、しずしずと運ばれてきた。そばにはサンピエールの老父が立っていた。老父は言った。
「これはサンピエールです。息子はこう言いました。“私は先に行くから、6人の人よ、あとに続いてくれ”。そう言い残して死にました」
 サンピエールは、ひとたび立った勇士たちを、誰一人、迷わしてはならないと思ったのであろう。誰が最初とか、誰が最後とかではなく、自ら立った“選ばれた勇士”の誇りを皆に全うさせたかった。そのためには、自分が真っ先に、手本を示す以外になかったのである。
 ここに真正(しんせい)の「勇者」がいた――。6人の魂は奥底(おうてい)から震えた。そして大磐石の決意で、皆が見守る中、町の外へと歩み始めた。
 もう何の迷いもなかった。晴れ晴れとしていた。姿は罪人でも、心は皇帝であった。王者であった。たとえ世の非難を一身に受け、牢につながれる身となろうとも、心は永遠の王者である――これが恩師に仕えて以来、貫いてきた私の不変の生き方である。ゆえに私は何ものも恐れない。
 いかなる批判と偏見、中傷と誤解が渦巻こうとも、また同志すら、私の心がわからない場合があろうとも、「真実」は必ず後世に証明されると信じているからである。また諸君が必ずや証明してくれると信じているからである(大拍手)。

 この出来事は、いち早くイギリス王のもとにも伝わっていた。6人の前に王の使者が走ってきた。「まだ、遅れてはおりません!」6人は使者にそう言った。責められるかと思ったのである。ところが使者は「国王の特別のはからいで『誰の命も絶ってはならない』との命令である! カレーの町は救われた!」と告げた。
 やがて王が町に入ってきた。そしてサンピエールの棺の前に、王自らが膝を折り、その前に額(ぬか)づいたのである。敵味方を超えて、人間としての本物の戦士に敬意を表するために。こうして、一個の美しき高貴なる魂によって、カレーの町も、港も、市民も救われたのである。

 人生は戦いである。人は皆、戦士である。戦人(いくさびと)として生きねばならない。それが生命の掟(おきて)である。戦いを避けることはできない。それ自体、敗北である。
 しかし、戦いが常に華々しいものとは限らない。むしろ地味な、孤独な「自分との戦い」が、その99パーセントを占める。それが現実である。
 ある場合は、人前で格好よく旗を振ることも大事であろう。しかしそれ以上に、他の人を守るために、あらゆる犠牲を「忍耐」して、一人、前へ進む人のほうが偉大である。真の勇者は、時に格好悪く、地味そのものなのである。
 また、大勢、仲間がいる時は誰でも勇気が出てくる。「戦い」を口にすることも容易である。しかし、新の「責任」をもった人間かどうかは、一人になった時の行動で決まる。
 私のモットーは、一つは「波浪は障害に遭うごとに、その頑固の度を増す」である。そして、もう一つは「一人立てる時に強き者は、真正の勇者なり」である。これは16歳からの私の信念となっている。

 先日、関西で「ノブレス・オブリージュ(指導者には高貴なる義務あり)」のお話をした。その後、こうした哲学と指導者論が国際化時代には不可欠であるとの言論も、多く見られるようになった。
 それはそれとして、この「カレーの市民」は、フランス人の勇者が、イギリス王の心をも動かした歴史である。それをドイツ人が物語った。
「個人」が、あらゆる艱難(かんなん)を超えて、高貴なる信念に生き抜いていく――。そこにヨーロッパの最良の伝統がある。
 私が、この話をする理由も、何より諸君が、個人として偉大であれ、崇高であれ、高貴であれと望むからだ。
 卑しい人間だけにはなってほしくない。浅はかな人生を生きてほしくはない。他人はどうあれ、自分は自分の信念として、偉大な自分自身の人生を創っていっていただきたい。
 集団主義の熱狂と、無責任。権威へのよりかかり。無定見に「煽(あお)る」人間にだまされ、乗せられやすい風土が日本にはある。
 そうした精神土壌とは、全く異なる新しい人材を私は育てたい。世界的な人物を、「本当の人間」を、この学園で育てたいのである(大拍手)。
 特に若い間は、派手な活躍に憧れがちである。それも決して悪いことではない。成長のバネになる場合もある。また時に広い舞台で、思い切り暴れることも大事であろう。
 しかし、諸君の本格的な活躍の舞台は、21世紀である。その時に、先輩の築いた“幸福の港”を守り、責任をもって勝利していくために、今は満々たる闘志を秘めながら、じっと忍耐する勇気、勉強しぬく勇気と根性を貫いていただきたい。
 その「勇気」ある人は、いざ、自らの“武器”をもって戦うべき時には、真っ先に敵陣を破る英雄となるに違いない(大拍手)。
 巨匠ロダンの手で見事に魂を得た「カレーの市民」の像は、今もカレー市庁舎の前に厳然とあり、市民を見守っている。
 諸君には、これから長い長い人生がある。今日の私のスピーチが、その素晴らしい勝利のために、何らかの糧(かて)になれば幸いである。本日は本当におめでとう。素晴らしい演技もありがとう(大拍手)。

1990.7.17
創価学園第23回栄光祭