「大作、いいか。絶対に命に刻んでおけ。学会の闘士は、この御聖訓を忘れるるな!」
 今回は、入信の直後、わが師・戸田城聖先生から、烈々たる気迫で魂に打ち込んでいただいた御金言を共々に拝したい。
 法華経の涌出品第十五には「昼夜に常に精進す 仏道を求めんが為めの故に」(法華経466㌻)と説かれております。
 これは、大地より出現した無量千万億の地涌の菩薩が、無数劫という過去から、師匠である仏の智慧を習い修めてきた。その修行の姿を説いた経文です。
 地涌の菩薩は、無量の長い時間、昼夜を問わず一心に「師弟の道」を精進し、巍々堂々たる境涯を開いたのです。この法華経の一文を受けられて、日蓮大聖人は仰せになられました。
 「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書790㌻)
 すなわち、今、末法の我々は、この瞬間瞬間の生命の内に億劫の辛労を尽くしゆくのだ。それが南無妙法蓮華経の唱題行なのである、との御文です。
 それまでの仏道修行は、「無量劫」という想像を絶する長遠な時間をかけて行わねばならないとされてきました。そうではなく、南無妙法蓮華経と唱えることによって、わが「一念」に「本来無作の三身」、すなわち、もともと(本来)自分自身に具わっている、ありのまま(無作)の仏の生命を湧き上がらせることができる。
 いわば、永遠を一瞬に凝結して行ずる修行が、私たちの唱題行なのです。


御書と師弟 第3回 「御義口伝」と青年
永遠を一瞬に凝結しゆく唱題行