自分の「慢の心」に打ち勝った強い人のみが、人生の凱歌の「記録」を残すことができるのである。
 私もこれまで、「もう、これでよい」などと思ったことは一度たりともない。あらゆる艱難の嵐に一歩も退くことなく、諸君らのため、社会のために前進を重ね、厳たる勝利の歴史を残してきたつもりである。
 一人の平凡な人間が、どれだけの仕事ができるか。どれだけの力を出せるか。その人間としての「証」を後世に示しておきたい。偉大なる「人生のランナー」として走り、また走り続けたい――。その信念のままに今までの十倍、二十倍と、働き続けていく決心である。
 若き諸君も、どこまでも謙虚に自身を磨き、あくなき“自己への挑戦”を重ねていっていただきたい。そこにこそ、かけがえのない“青春の新記録”が刻まれていく。
 一流の選手ほど、こう言う。「上には必ず上がいるものだ」と。そして「自分より真剣な奴がいる」と言った人もいる。“これほどやっているのだから”と自分で思っても、世界は広い。想像もつかないほど努力している人間が必ずいる。
 ゆえに、自分より上の人をつねに見つめながら、「それ以上に練習しよう」「その何倍も勉強しよう」――この努力に次ぐ努力が、勝負の世界の鉄則である。
 人間として、社会人として、力をつけていかなければ、結局、だれからも信用されない、わびしい人生となってしまう。
 他人が何と言おうが、自分は自分の内にある“王者の力”を信ずる。そして、その力をどこまでも発揮していく――これが人間としての本当の勝利への道である。
 剣の達人・宮元武蔵は「千日の稽古を鍛とし、萬日の稽古を練とす」と、『五輪書』に書いている。これは、いわば武蔵なりの“人生の指針”であり、“勝負の哲学”ともいえると思う。
 鍛錬によって人は、自らを縛る自身の欠点から解放される。自分自身を鍛錬し、培った力こそが、自身の勝利を支える土台となる。要するに、“鍛錬が人を自由にする”のである。
 鍛錬なき青春時代は、一見、楽なようで、うらやましく見えるかもしれない。しかし、やがては、現実という激しい“風雨”に耐えきれず、敗北の実態をさらけ出してしまう。
 私も六十年の人生経験から、このことははっきりと断言できる。
 より高く、より遠く、より速く、より美しく、より大きな世界へと飛びゆくための使命の翼は、暴風の中で鍛えられてこそ、自在に大空へと羽ばたけるのである。


『創立者とともに』VOL.1
1989.9.30
創価中学・高校、東京創価小学校合同第2回学園祭



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