一流を見ていれば、二流・三流はすぐわかる。二流・三流を追っていては、どこまでいっても一流はわからない。一流の人物と接する。一流の音楽を聴く。一流の書物に親しむ。一流の美を鑑賞する。そこに、一流の人格も磨かれる。


世界との語らい 第4回
世紀のバイオリニスト ユーディ・メニューイン


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 一流になりたい!!
 そして、日本を変えたい!!
 世界を変えたい!!

 そのために、今の自分を変える!!


 先日、バスケサークルの先輩との雑談のなかで、

 「日本の女優も枕(枕営業)多いらしいよ」

 とおっしゃった。
 
 僕は笑いながら、「えー?それソース(情報源)なんなんですか?」と聞いた。

 先輩は、「ん、なんか週刊誌とかで書いてあったよ」とフツ―に言い放った。


・・・・・・。

 国際連合研究会というサークルで、国際問題を研究するなかで、情報収集のイロハを教えてもらった。
 文章表現法とかいう授業でも、信頼できる著作の見分け方なんかを教えてもらった。
 だからまぁ僕は普通の大学生よりもソースに対して敏感なのかもしれない。

 けれど、そのやりとりの瞬間、僕は絶句してしまった。
 それは、先輩が何の疑いもなく、信じ切っていたから。

 週刊誌の情報なんて、まともな一次情報なんかほとんどなくて、「○○の関係者は××について、△△との噂がある」みたいなのをつなぎ合わせてるのかと思ってた(テレビのワイドショーとかで週刊誌の記事が紹介されるのを何度か見てのイメージですが・・・)。
 だから、エンターテイメントとして楽しむものかと思ってた。
 そりゃまぁちゃんと取材して、スクープとかあんのかもしんないけどさ。
 

 とにかく、世の中じゃ僕のソースに対する感覚はフツ―じゃないのかもしれないと思ったんだ。
 学術論文でも、法律実務でも、ソースが曖昧なものなんて何の意味もない。
 それが当たり前と思ってた。
 
 そう、だからネット上で誰かが何かをほざいてても、「はいはい。」くらいにしか思わなかった。
 考えることといったら、それがホントかウソかではなくて、「なんでこの人はこんなことを言うんだろう?」ってことくらい。


 余談として、ネットに本音があるなんて思ったら大間違い(らしい)。
 お店や商品の口コミ・レビューに、その関係者が消費者を装ってイイ感じの評価をするなんてめずらしいことじゃない(らしい)。
 確かめる術はないけど、そりゃそうだ。
 集客・販売促進のためなら自作自演もするわいな。経費ゼロだし。
 
※(らしい)を付けたのは、あえてです。
 

 それはそれとして、ネットにはいろんな主張が溢れてる。
 情報リテラシーやネットリテラシーとかいって、その一つに「対立する意見を比較して判断する」みたいのがある。
 だけど、そもそも比較するほどの価値ある意見なのか怪しいもの多くない?

 あらゆる言葉には、「意図」がある。
 その「意図」を見なきゃ、言葉に乗せられてしまう。
 
 そこで考えたいのが、目の前にある主張・言葉が、「一流かどうか?」
 僕はそう思う。
 
 
 「一流って何?」

 と、問われれば、

 「そんなもの国語辞典で調べてくれ!」

 と、答えたい(特別な断りなく使ってるんだから辞書的な意味です!そんな多義的な単語でもないし!)。


 ま、一流のものなんてそんなあるわけないんだけどさ。
 それでも「一流」にこだわるのは、四流・五流のものになんか絶対引きずられないようにするため。
 
 本当に言いたいことは、
 ネット上にいるたくさんの人たちの中には、人の足を引っ張ってやる気をなくさせることが生き甲斐の三流以下の人格の持ち主がいるってことです。
 もっと具体的に言えば、池田先生の人格を全く理解できず、健気に学会活動に励むお母さんたちの人格を馬鹿にし、未来ある若く純粋な人格を捻じ曲げることなんかでしか、自身の存在意義を感じれない人がいるってことです。


 「自他共の幸福を想う心」のない人格には、絶対に紛動されない。

 
(そして、もっと流麗な文章を書くように心がけます。)