“この人は自分なりに、一生懸命に働いてきたにちがいない。しかし、誰もが一生懸命なのだ。それだけで良しとしているところに、「甘さ」があることに気づいていない”
 伸一は、力強く語り始めた。
 「まず、同じ失敗を繰り返さないためには、なぜ、不作に終わってしまったのか、原因を徹底して究明していくことです。成功した人の話を聞き、参考にするのもよいでしょう。そして、失敗しないための十分な対策を立てることです。真剣勝負の人には、常に研究と工夫がある。それを怠れば成功はない。信心をしていれば、自分の畑だけが、自然に豊作になるなどと思ったら大間違いです。仏法というのは、最高の道理なんです。ゆえに、信心の強盛さは、人一倍、研究し、工夫し、努力する姿となって表れなければなりません。そして、その挑戦のエネルギーを湧き出させる源泉が真剣な唱題です。それも“誓願”の唱題でなければならない」
〈中略〉
 「“誓願”というのは、自ら誓いを立てて、願っていくことです。〈中略〉日蓮仏法の祈りは、本来、“誓願”の唱題なんです。その“誓願”の根本は広宣流布です。
 つまり、“私は、このブラジルの広宣流布をしてまいります。そのために、仕事でも必ず見事な実証を示してまいります。どうか、最大の力を発揮できるようにしてください”という決意の唱題です。これが私たちの本来の祈りです。
〈中略〉
 仕事は生活を支える基盤です。その仕事で勝利の実証を示さなければ、信心即生活の原理を実証することはできない。どうか、安易な姿勢はいっさい排して、もう一度、新しい決意で、全魂を傾けて仕事に取り組んでください」
〈中略〉
 伸一は、農業移住者の置かれた厳しい立場をよく知っていた。そのなかで成功を収めるためには、何よりも自己の安易さと戦わなくてはならない。敵はわが内にある。逆境であればあるほど、人生の勝負の時と決めて挑戦し抜いていくことである。そこに御本尊の功力が現れるのだ。ゆえに逆境はまた、仏法の力の証明のチャンスといえる。


『新・人間革命』開拓者の章


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 今の自分には、本当に本当に耳の痛い言葉でした。
 結果が全ての資格試験。
 
 勝ちたい、きっと勝てるはず、そう自信を持っていたつもりでしたが、それは砂上の楼閣のような儚い拠り所でした。
 人より努力せずに、人より工夫せずに、最難関の相対評価の試験で絶対に勝てるわけがないのに、そこに正面から向き合わず、自分なりにがんばることで良しとしていた自分がいました。

 
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中島敦『山月記』より

己(おのれ)の珠に非ざることを惧(おそ)れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々(ろくろく)として瓦に伍することも出来なかった。己(おれ)は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚(ざんい)とによって益々己(おのれ)の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己(おれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了(い)ったのだ。今思えば、全く、己は、己の有(も)っていた僅かばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡(すべ)てだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己は漸(ようや)くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼かれるような悔を感じる。


※『山月記』は1969(昭和44)年9月20日初版発行から50年が経過し、著者は亡くなっています。
青空文庫でテキストが公開されています。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/card624.html

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 高校1年の時だったか、『三月記』を読んで、抜き書きした一節です。
 「こうなっちゃいけない」という戒めのために。


 今月の本幹、創大時代からの親友のがんばりで、友人を本幹に連れ出し、一緒に勤行することができました。
 3人でお互いの祈りを共有して、唱題することができたのは大きな前進でした。
 本幹の親子活動体験も凄く心に響きました。

 それもこれも、真剣な題目があったからこそなんだと思います。
 
 
 7/26とその1ヶ月後に、人生左右する大事な試験。

 “誓願”の唱題で、一日一日、勝利の因を積み重ねていくこと。
 人生の勝負の時と決めて、挑戦し抜いていきます!!
 自分磨いていきます!!