壮年は、創価の要であり、広布の勝敗を決する最終ランナーだ。
 壮年は獅子である。堂々たる壮年の姿を見れば、皆が安心する。その厳たる声が響けば、皆が勇気をもち、大衆は勝利する。
 わが獅子たちよ!
 尊き、わが広布の戦友よ!
 21世紀の夜明けを開く、狼煙は上がり、決戦の幕は落ちた。遂に、われら壮年の出番が来た。
 今、立たずして、いつ立つのか! 今日、戦わずして、いつ戦うのか!
 人生とは、限りある命の時間との闘争である。
 使命を果たさずして、人生の価値はない。志をつらぬかずしては、いかに自分を正当化しようが、あとに残るのは空しさと悔恨である。
 御聖訓には「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(御書970㌻)と。
 さあ、白馬にまたがり、広宣の旗を掲げ、使命の大舞台を痛快に疾駆せよ。


随筆 新・人間革命
われら壮年の活躍


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 挑戦の心を失えば、もはや青年とはいえません。
 先生は、「飽くなき挑戦の心こそ、青年の魂だ。」と『新・人間革命』新世紀の章で教えてくださっています。
 
 人間というものは、歳を重ねるにつれて新しいことに対する興味、好奇心を失いがちになると聞いたことがあります。
 長く生きれば生きるほど、それまでの経験と価値観(人生観)の範囲で出来事を意味付けし、処理することができるようになり、その経験・価値観(人生観)で意味付け、処理できないものを捨象してしまうのではないでしょうか。
 そうなると、新しい経験を得ることが難しくなり、新しい経験をしたときの感動なんかも薄れてしまい、終いには新しい経験に対するインセンティブもなくなる。
 こうして、人は子ども心を失い、挑戦の気概も失せてしまうんじゃないかと思います。
 (「捨象」とは、事物または表象からある要素・側面・性質を抽象するとき、他の要素・側面・性質を度外視すること。)
 

 死ぬまで、青年の心で、挑戦を続ける人生を生きたい。
 牧口先生が日蓮大聖人の南無妙法蓮華経に出会い、入信されたのは、なんと57歳の時。すでにいくつかの小学校の校長の職を経験していました。
 その2年後に1930年には、戸田先生とともに創価教育学会を創立されます。

 そして、晩年の獄中においても、カントの『価値論』等を読み、研鑽を続けられていたといいます。
 すごい。僕らも負けてられません!!


 上記、御指導で引用されている御文は「富木殿御書」にあります。富木常忍も30代後半で入信し、60代で出家し、大聖人の遺文の収集等の重要な役割をしました。

"Do not spend this life in vain and regret it for ten thousand years to come."

The Problem to Be Pondered Night and Day
Major Writings of Nichiren Daishonin, Vol. 5, p167.


Be Young!!