広宣流布のための「破邪顕正の活字文化」――「聖教新聞」を配っておられる“無冠の友”の皆さまこそ「最高の正義の人」である。
 「聖教新聞」の配達には、それ自体、折伏に通ずる功徳が現れる。永遠の生命から見れば、絶対に「勝利者」となる。究極的な幸福境涯となることは間違いない。
 「配達即折伏」「配達即広宣流布」「配達即友好活動」「配達即拡大」である。 
 どうか“無冠の友”の皆さまは、お体を大切にしていただきたい。寝不足にならないよう、聡明に工夫しながら、「絶対無事故」でお願い申し上げたい。
 「無冠即無事故」「無冠即健康」「無冠即長寿」「無冠即福徳」であれと、私も妻も、毎日、真剣に祈っている。

『池田大作全集』第92巻所収

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 2017年12月4日付の聖教新聞に掲載されていた池田先生のご指導です。
 朝から折伏精神を燃え上がらせて、絶対無事故で配達していこうと改めて決意させてもらえました。
 
 なぜ池田先生がここまで無冠の友を激励し、聖教新聞の配達を、そしてまた聖教新聞を重視されるのか考えました。

 それは、一つには聖教新聞が現代における法華経の表現そのものであるからではないでしょうか?
 法華経は、釈尊(ブッダ)が悟った真実の法(法華経)を賛嘆しまくりです。そのすごさを比喩(たとえ)を使ったり、数限りない聴衆で示したり、計り知れない大きさやすばらしさの場で表したりしています。全編にわたって大部分が法華経のすごさを説いています。
 
 そこで聖教新聞はどうか。末法(現代)における法華経である南無妙法蓮華経の功徳による体験談があり、創価学会という法華経をたもつ和合僧の前進を報じ、御書を紹介し、師匠の言葉を載せています。それはある意味で法華経を賛嘆する内容に近いものがあるのではないかと思うのです。

 聖教新聞を読めば成仏(人間革命)できるという類の意味ではありません。
 でも、聖教新聞を読めば、南無妙法蓮華経のお題目を唱えたくなり、成仏(人間革命)へ加速していけるようになれるんじゃないかと感じています。

 よく聖教新聞は師匠・池田先生からのお手紙であると思って読んでいますというお話を聞きます。ぼくもそう思っています。それは師匠である日蓮大聖人が門下に宛てたお手紙が、いま御書となっているのと同じように、新・人間革命だけでなく聖教新聞の内容は、ある意味で後世には御書のように重要なものとなっていくはずです。


 12/29、今日が今年最後の聖教新聞です。
 じっくり読み、また新年、聖教新聞を読んで、池田先生とともにスタートしていきます!