広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

写真紀行 光は詩う

ブルーハワイ

 青は不思議な色だ。
 青は、いつも「遠く」にある。
 海の青は、手ですくったとたんに、消え去る。空の青は、近づいても近づいても、透き通るばかり。
 水の重なりが海の青になり、空気の重なりが空の青になり、青はいつも「遠く」にある。
 だから、ノヴァーリスは「青い花」を理想の象徴にしたのだろう。
 だから、メーテルリンクは「青い鳥」を幸福の象徴にしたのだろう。
 青――そのように平和も遠くにあるのだろうか。行けども行けども届かない夢のようなものだろうか。そうかもしれない。
 しかし、その「はるかなる夢」に向かって歩み続ける精神力にこそ、人間の人間としての栄光があるのだ。
 「赤は生命の色」「青は精神の色」と言われる。
 精神の力とは、理想に向かって「断じて、あきらめない」力だ。岩をも砕く波のように、障害が大きければ大きいほど、いよいよ大きな力を出せ!

 訪問中、「マウイ研修センター」の開所式をした。センターは、皆の手作りである。友は手を血豆だらけにして、原生林のような荒れ地を整地し、ユーカリの木を植え、木造二階建ての平和のセンターを建設した。何と尊(たっと)い「精神力の勝利」か。
 何でも「手作り」にこそ魂がこもり、不滅のものができていく。
 私が世界への第一歩をここハワイに踏み出したときも、お膳立てされているものなど何一つなかった。「すべて手作り」で、ここまできた。

 精神の力は無限である。その限りないエネルギーは、万人の胸の奥に、ひろびろと広がっている。大海のように、大空のように。
 だから、海を見るとき、わが内なる潮騒が鳴る。空を仰ぐとき、わが内なる永遠が羽ばたく。
 その内と外との交響の色が「青」なのだ。
 はるかなるもの、永遠なるもの、いのちの根源にある偉大なるものが目覚める――その魂の輝きが「青」なのだ。


2000.3.12
池田名誉会長の写真紀行 光は詩う
第20回 ブルーハワイ(抜粋)


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 創価学園のスクールカラーである「青・黄・赤」は、それぞれ「英知・栄光・情熱」の意義があります。
 創価学会の三色旗の「青・黄・赤」は、それぞれ「平和・栄光・勝利」の意義があります。

 余談ですが、僕は学生部本部牙城会という人材グループで世界青年会館と創価旭日会館の会館警備を担当するという訓練を受けさせて頂いたので、「赤」が大好きです。牙城会のシンボルカラーは「赤」なのです(朱色とも言えるかもしれませんが…)。
 「青」は永遠のライバルである創価班のシンボルカラーになっています。

 ともあれ、東京に住んでる僕にとっては、八王子は緑が多いと言っても、「青」が一番大きく、一番目にする色と言えるかもしれません。
(僕は普段から結構上向きに生きてるので、あまり下のコンクリートは見ません☆)
 空の「青」が持つ爽やかさは、心まで澄み渡らせてくれる気がしますよね!!

 昨日、創価学園でスクールカラーの「青」が意味する英知を冠した記念日、「英知の日」の記念式典がありました。
 7年前、高校3年生のとき、「英知の日」に向けて、それまでの「英知の日」記念式典での創立者のスピーチを研鑽する機会があり、たくさんのスピーチを読んだのを思い出します。
 あのとき、僕の「精神」の土台は、知らず知らず築かれていたんじゃないかと思います。
 
 今でも、僕の生きる道は、あのとき決めたものとほとんど変わっていないから。

桜樹燦爛

枝垂れ桜

 花に心あらば、何を思って咲くのだろう。
 花に言葉あれば、何を語ってくれるだろう。

 創価大学の枝垂れ桜。
 光が「紅の滝」のように垂れていた。紅は燦々と輝き、爛々と燃えて、麗春の喜びを、命いっぱいに歌っていた。
 四月も半ばを過ぎ、都内では、すでに葉桜の季節になっていたが、大学の若き枝垂れ桜は、今が「花時」であった。
 竹林のある静かな庭に、ゆったりと花の波、花の滝。花の衣に花錦。
 創価大学の緑は、武蔵野の自然を残すとともに、創立の後も、何かにつけて樹を増やしてきた。
 「年々歳々、樹々が育つように、若き学徒よ大樹に育て」と祈りつつ。

 木を植えるは、十年の計。
 人を育てるは、百年の計。
 各地の桜の名所も「次の世代の人たちを喜ばせたい」。そういう気持ちの人たちがいたからこそ、今、花を楽しめるのではないだろうか。

 私のふるさと大田の多摩川のほとりにも、有名な桜並木がある。
 流れに沿い、堤に沿って、にぎやかに万朶(ばんだ)の春を展(ひろ)げる、平和の園となっている。そこにも、ひとつのドラマがあった。
 その昔、多摩川は決壊を繰り返す「暴れ川」であった。
 大正七年から、政府は多摩川の下流の治水工事を推進した。
 昭和四年春、十余年におよぶ工事が竣工しつつあったが、河口から二〇キロにおよぶ地域は、雑草が茂るままであった。今の大田文化会館のあたりの両岸がそうである。
 さて、この土地をどうするか――町長は「屋根替」のために「茅」でも植えようかという。
 すると、ある人いわく「茅の恩恵を受ける人は少数だ。長堤に植えるのは桜です。百年後の桜の名所をつくるんです」。春は花、夏は緑。「京浜地域の幾百万の健康道場」にすべきだというのである。
 彼、河野一三(かずそう)氏の無私の情熱が、多くの人を動かして、障害を乗り越え、雑草の堤は、桜の公園に生まれ変わった。そして戦火にも負けず、生き抜いて、今、二十一世紀を迎えんとしている。「百年後の桜の名所を」との尊き思いの通りに。
 河野さんは、学会の文芸部員として活躍された娘さんの勧めで、晩年に学会員となられた。

 近代日本の桜は、しかし不幸な歴史を背負ってきた。桜は「軍隊とともに歩んできた」とさえ言われる。
 昭和九年、私は羽田の第二尋常小学校に入学した。一年生の国語の教科書の冒頭は「サイタ サイタ サクラガ サイタ」。
 前年にできた新国定教科書である。その続きには「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」とあった。
 「いさぎよく、桜の花のように」とか「散華の美学」とか、そんな言葉にだまされて、どれほど多くの若き命が散ったことか。青春の盛りを散らされたことか。

 今なお「引きぎわが、いさぎよい」ことを称える淡白さが、日本にはある。しかし、それで自分はよくても、どうやって「大事」を成し遂げられようか。
 命あるかぎり――いな、命の力が萎えようとする時でさえ、新しき生命力を、空から、雲から、大地から、樹々から吸い取ってでも生きねばならぬ。志を遂げねばならぬ。
 栄誉もいらぬ、名もいらぬ、富貴もいらぬ、理解もいらぬ、ただ己の「ひとすじの道」に、かじりついて、ぶざまなまでに悪戦苦闘を重ね重ねて、二十年、三十年、四十年を貫き通していく。
 それこそが「勇気」ではないか。
 
 若き君よ、理想の華を散らせてはならぬ。生あるかぎり「もう、これまでだ」などと言うな。少しくらいの苦労で「人間とは、世間とは、こんなものだ」などと言うな。
 君が純粋であればあるだけ、誤解と攻撃が、山とのしかかることもある。心に合わない仕事をしなければならないこともある。
 しかし、意のままにならないからこそ、修行なのだ。そこで奮闘してこそ、「苦を転じて楽となし、敗北を転じて勝利となす」痛快さも味わえるのだ。
 安穏は魂を殺し、順調は魂を殺し、自己満足は魂を殺す。
 心から血を流したことのない人間が、どれほど、つまらないか。どん底を見たことのない人生が、どれほど味気ないか。
 つまずき、立ち上がるたびに、本当の人生を学べるのだ。耐えて生きている人の心もわかるのだ。
 踏んだり、蹴られたりしなければ、精神がふやけてしまう。
 強い人間は、不幸さえも楽しんでいけるのだ。

 枝垂れ桜は「糸桜」。朱い糸で、春の風景画を織りなしている。
 樹下の花陰に立って見上げたなら、天人(てんにん)の爪繰(つまぐ)る紅玉(ルビー)の玉簾(たますだれ)が青空から降りてきたと見えるだろうか。
 桜の花は、実は、若い青春の開花ではないのだという。
 花が咲くのは「一年の最後の宴」なのだという。
 花を散らした後、桜は次の年の「花芽」をつくり始め、夏には、ほぼできている。そして秋を越え、冬を耐え、春を待って、それまでの一年の努力を、最後に、にっこりと咲かせるのである。

 人も、一生の最後に花咲けばよい。途中は全部、準備にすぎない。
 最後に花咲けば、一生は幸福。
 最後の数年が「心の花の宴」なら、人生劇は勝利。
 わが恩師の一生もそうであった。
 何度もすべてを失いながら、戦い、戦い、すでにない命を延ばし延ばして生き抜き、勝って――「桜の咲くころに」莞爾(かんじ)として逝かれた。これで胸を張って牧口先生にお会いできると。「巌窟王」の執念の恩師であった。
 その恩師の逝去の日「四月二日」を、私は「創価大学の創立記念日」と決めた。その意味を、若き学徒は、かみしめてくれるに違いない。
 今年もまた師弟の勝利の「四月二日」が来る。
 燦爛と、魂輝く春が来る。


2000.4.2
池田名誉会長の写真紀行 光は詩う
第23回 桜樹燦爛(おうじゅさんらん)続きを読む

秋桜の風

秋桜の風

 いのちの限りに咲いていた。
 だから、いのちを込めて見なければ失礼だと思った。
 埋め尽くす色彩の饗宴。
 山の中に海があった。花の海だ。白とピンクと紅の「花の波」が打ち寄せていた。

 兵庫の氷上町。関西の墓地公園を訪ねた秋だった。
 九二年の十月二十二日。常勝総会を終えた午後、車で周辺を回った。お世話になっている地域を、少しでも知っておきたかったからである。
 稲田が広がり、民家が点在していた。農作業をしている方もいる。
 丹波の山間(やまあい)は、古くから文化が開けた土地らしい落ち着きがあった。
 加古川の支流だろうか、川沿いの道があった。やがて突然、山陰に、別世界が開けた。

 花の野に、陽は柔らかに、秋の桜が風にうなずいていた。野の向こうでは、枯れ草を焼くのか、白い羽飾りのような煙が昇っている。
 秋桜(コスモス)の園(その)に立てば、だれもが懐かしく平和な気持ちになるに違いない。
 人気は高く、今、コスモス園は全国にあるという。この涼しげな花に、人は何を求めているのだろう。
 人間らしい優しさが通じない、むごい世の中への悲しみを癒すためだろうか。
 きれいな心で生きているあなたに、この世は、どんなに傷つくことばかりだろう。心たかぶった人達には、善意が通じない。そればかりか、かえって意地悪く踏みにじられて。
 それでも健気に微笑んで生きるあなたを、コスモスは、しなやかな腕で抱きとめてくれる。「そのままでいいの」「真心は、きっといつか通じるから」「だから、優しさを胸の奥に、しまい込まなくていいのよ」と励ましてくれる。
 そよ風に揺れて、花たちが歌う。歌っているのは「柔らかな心であり続ける強さ」。一番大切な強さ。

 けれど、優しきもの、美しき世界を守るためには、どんなに死にものぐるいの戦いが必要なことか。
 コスモスの、たおやかな姿に、だまされてはならない。
 あるかなきかの風にさえ挨拶する繊細なこの花は、実は、強い強い花なのである。
 日当たりさえ良ければ、どこにでも生える。土質(どしつ)を選ばない。荒れ地にも、やせ地にも生える。むしろ、肥料が多いと、育ちが悪いそうだ。一度つくると、毎年、こぼれる種子で、また生えてくる。
 風で倒されても、倒れたまま天に向かい、倒れたところから根を出し、たくましく起き上がってくる。
 戦後、東京の焼け跡に、いち早く姿を現したのも、コスモスだった。
 強さは、強がりの虚勢にはないのだろう。淡々とした、なすべきことをなす覚悟の中にあるのだろう。

 秋桜は一年草。
 だから、この秋に――ただ一つの秋に巡り合うために生まれてきた。
 ただ一つの笑顔を青空にほめられたくて、背を伸ばし、伸ばししている、その一途さ!
 だれのまねもしていない。
 だれをうらやみもしない。
 一心に、本気で生きている彼女には、くよくよするひまもない。ただ、かけがえのない今を生きるだけ。だから楽しい。苦しくても楽しい。
 人も、この一生(ひとよ)に、ただ一つの花を咲かせるために生まれてきた。
 自分にしかできない自分の使命(つとめ)を開花させるために。何かあるはず。自分にできる何かがあるはず。
 自分にできることを、すべてした人。その人が「花」だ。
 だから、あなたよ、花と咲け。二度とない人生。だれに遠慮がいるものか。花と咲け。
 花よ咲け。心に咲け。暮らしに咲け。大きく咲け。
 心の花こそが、この世の旅路のその果てまでも、あなたを飾る明かりとなる。

 コスモスの名前は、ギリシャ語のコスモスから。宇宙とか調和の意味のほか、美、装飾などの意味がある。花の美しさから名づけられたという。
 宇宙のような巨大なものと、秋桜のような可憐なものが同じ名前とは。しかし、不思議ではないのだ。
 花は一つの宇宙なのだし、宇宙も一つの花なのだから。

 立ち去ろうとすると、大きな風が立った。秋桜の幾万、幾十万の茎が震えた。野原いっぱいの大きな大きな「緑の竪琴(ハープ」の無数の弦を、秋風が掻き鳴らした。
 花野(はなの)は歌った。人よ、美しくあれ、仲良くあれ、謙譲であれ。
 風は運んだ。花たちの「ありがとう」の声を。生きていることに、ありがとう。大地に、ありがとう。虫にも、光にも、ありがとう。
 風は走った。心から心へ、心を運ぶ使者として。
 風は見えない。見えないけれど、花の揺れに、風が見えた。
 心も見えない。見えないけれど、花と咲く人の姿に、心は見える。
 花は色法。風は心法。花と風の戯れは、そのまま色心不二の経であり、生命の開花の詩だ。始めもなく、終わりもなく、幾世の果てから朗らかに吹き続け、鳴り続ける、宇宙(コスモス)の祈りの声だ。

 広野(ひろの)は、きらきらと陽に耀(かがよ)って、花の一つ一つが宝冠に見えた。
 無数の腕が、何かを胴上げしているように見えた。
 生命(いのち)の讃歌を歌うために、太陽へ手を伸ばし、手を差し上げながら、合唱しているかのようだった。


聖教新聞1999.9.19
池田名誉会長の写真紀行 光は詩う
第1回 兵庫 秋桜の風

雪柳 光の王冠

雪柳

 「光」が噴き上がっていた。
 「命」が噴き上がっていた。
 「咲きほとばしる」と言うべきか、抑えても抑えても、抑えきれない春のエネルギーが、真っ白な「光の噴水」となって、勢いよく湧き出していた。

 あれは一九八三年(昭和五十八年)の四月五日。私は中部の高校生・中学生の代表と語り合った。中部文化会館の屋上である。
 三月初旬の愛知・三重訪問に始まり、関西、沖縄、九州、中国を回って、前日に再び愛知に戻ってきたところだった。
 暖かい陽射しだった。青い空に、絵のような名古屋城が、そびえていた。「しっかり勉強するんだよ」「名古屋城のように、堂々とした人間に育つんだよ」
 なかには、お父さんの病気に心を痛めている子もいた。私は一生懸命、励ました。
 城を背にして、記念撮影のために並ぶと、カメラの向こうに、遠く、雪柳が盛りの命を咲いていた。
 透けるような純白の輝きが、未来部の友の姿と重なった。

 雪柳は「雪」であり「花」だった。「冬」であり「春」だった。
 白という光の中に、春と冬が溶け込んでいた。まるで、希望と苦悩が渾然一体になっている青春時代のように。
 青春は、苦しい。悩みばかりだ。しかし、悩みがあるから、心は育つ。うんと悩んだ日々こそ、一番不幸だと思った日こそ、あとから振り返ると、一番かけがえのない日々だったとわかるものだ。
 だから苦しみから逃げず、苦しみの真ん中を突っきって行くことだ。それが森を抜ける近道だからだ。
 寂しければ、その寂しさを大事にすることだ。寂しさや悲しさを、遊びなんかで、ごまかすな。使い捨てるな。耐えて、耐えて、自分を育てる「こやし」にしていけ。
 逃げたくなることもある。
 でも、雪柳は動かない。雨の日も、寒風の日も、じっと自分の場所で根を張って頑張っている。頑張り抜いたから、みんなのほうから「きれいだねぇ」と来てくれる。
 人間も、魂の根を張ったところが「自分の故郷」になる。
 完全燃焼したところが、心が安らぐ「自分の居場所」になる。

 私は、みんなにお願いした。
 「お父さん、お母さんを大切に」
 君たちが生まれる時、どんなに、お母さんがたいへんだったか。あなたが大きくなるために、両親は、どんなに疲れても、眠れなくても、大事に面倒を見てくれた。苦しい仕事にも耐えて働いてくれた。
 あなたが初めて声たてて笑った時、初めて歩いた時、どんなに両親は幸せでいっぱいになったか。病気になったとき、どんなに、おろおろと心配したか。
感謝できる人は幸せな人だ。
 雪柳は太陽への感謝を忘れない。
 太陽は、いつも惜しみなく光を注いでくれた。いつも、ありのままの自分を、そのまま受けとめ、光で包んでくれた。だから今、雪柳は「太陽への恩返し」のように、明るく周囲を照らしている。

 人間だって、花と同じように、光がいる。人も、人から大事にされないと、心が枯れてしまう。だから君が、みんなの太陽になれ。
 人間だって、花と同じように、水がいる。自分で自分を励ましたり、喜ばせたり、心を生き生きさせないと、心は枯れてしまう。
 自分で自分を励ませる人は、すてきな人だ。人のつらさも、わかる人だ。自分で自分を喜ばせる言葉を、強さを、賢さを!落ち込んだ心を、よいしょと自分で持ち上げて!
 自分で自分を好きになれないと、人だって愛せない。

 記念撮影を終えて、私は雪柳に近づき、カメラを手にした。

 天をさして咲く花もあれば、地を向いて微笑む花もあった。それぞれの個性が集まって、光の束になっていた。
 そして雪柳は、すべての力を、ただひとつのことに傾けていた。
 天から与えられた自分の生命を生ききること。自分が種子として持っていたすべてを、表現しきること。自分本来の姿へと開花すること。それ以外、何も願わなかった。
 ほかの花と自分を比べようなんて夢にも思わなかった。人が自分をどう思うかなんて、どうでもよかった。自分にできるかぎりのことをすること、それしか思わなかった。
 今、だれもが個性、個性と簡単に言う。「自分らしく生きる」と言う。でも本当は、それは茨の道である。みんなと同じようにしているほうが楽だからだ。

 柳のようにしなやかな雪柳の枝に、無数の星が光っていた。無数の宝石で飾られた王冠のようだった。
 そう、自分の道を歩み抜いた人は、だれでも英雄だ。「みんなが一等賞」なのだ。宝冠の人なのだ。
 だから「自分にできないこと」ばかり数えて落ち込んだり、文句言ってるなんて愚かだ。「自分にも今、できること」が何かある。必ずある。それを、やり抜く人が偉いのだ。その人が最後は勝つ。
 雪柳は敏感だった。だれかが通り過ぎただけの風にも揺れる。
あなたも、恥ずかしがり屋なら、そのままでいい。無神経になり、デリカシーをなくすことが「大人になる」ことじゃない。コンクリートみたいに固い花はない。花は、みんな柔らかい。初々しい。傷つきやすい。人の思いに敏感なままの、その心を一生咲かせ続ける人が、本当に「強い」人なのだ。

 運命は外からやってくるんじゃない。君の心の中で毎日、育っているのだ。
 毎日がつまらない時。それは自分が、つまらない人間になっているからかもしれない。
 人生をむなしく感じる時。それは自分が、からっぽの人間になっているからかもしれない。
 人生に、うんざりした時。人生のほうが君にうんざりしたと言っているのかもしれない。
 人間は結局、自分自身にふさわしい人生しか生きられない。
 だから、成績は中くらいでもいい、人間が大であればいい。頭がいいとか悪いとか、成績だけで分かるものじゃないし、生きる上で大したことではない。
 ただ、自分が「不思議だ」と思う疑問を大事に追求することだ。そのことを考えて、考えて、考え抜くことだ。
 そして、いざという時、真理と正義のためなら、自分を犠牲にできる人になれ。そんな人が一人でも増えた分だけ、この世は美しくなる。

 世界のどこかに、君にしかできない使命が、君の来る日を待っている。指折り数えて待っている。待たれている君は、あなたは生きなければ! めぐりあう、その日のために!

 輝くためには、燃えなければならない。燃えるためには、悩みの薪がなければならない。
 青春の悩みは即、光なのだ。

 雪柳も、冬の間に積もった冷たい「雪」たちを、枝から染み込ませて今、「花」に変えて噴き出しているのだろうか。
 中国では、その名も「噴雪花」という。


池田名誉会長の写真紀行 光は詩う
第18回 雪柳 光の王冠
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