広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

『新・人間革命』

すべては、そこに尽きていた。

 新設された各支部の幹部の多くは、中心幹部として何を第一に考え、いかに活動すべきであるかが、よくわからなかったといってよい。しかし、行く先々での山本伸一の振る舞いが、それを明確に教えていた。

 同志を、会員を守り、励ます――すべては、そこに尽きていた。


『新・人間革命』勇舞の章


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 みなさんの生きる目的はなんですか?


 僕は、人に励ましを贈ること、そうして僕も相手も笑顔になることだと決めています。
 創価学会員として、池田先生の弟子として生きるなかで、こう生きようと決めました。

 僕にとっての幸せは、人に励ましを贈り、自分も相手も笑顔になること。
 僕にとっての平和は、皆が励ましを贈り、皆が笑顔になること。

 
 創価学会の幹部、リーダーの使命は、様々あると思いますが、「守り、励ます」に尽きるという先生のご指導。
 守り、励ますために、祈り、行動する。

 絶対に忘れずに生きていきます!!

「心は一緒だよ。使命は同じだよ。」

 「私は、いつも君たちと一緒に行動するわけにはいかないが、心は一緒だよ。使命は同じだよ。どうか、私に代わって、本部を守ってください。会館を守ってください。同志を守ってください。」


『新・人間革命』厳護の章


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 「生命力の強さで無事故を勝ち取る」
 
 これが、学生部本部牙城会というグループで教えてもらったことです。
 大学3年生、だいたい21歳の1年間。平日、本部の2つの会館で受付と警備を担当させて頂いた。

 「先生と同じ心で、先生と同じ方向を向いて」着任する。カッコよくいえば、こうなる。
 実際は、日々の生活に悪戦苦闘しながらの任務。小さな心に、大きなコンプレックス、しょうもない雑念もあれば、途方もない悩みもある。
 それでも、師匠のために、同志のために、無事故を勝ち取ろうと、着任までに目標を決めて戦う。
 
 みんな一生懸命だった。必死だった。
飾ろうなんて余裕はなかった。口先の戦い、表面的な繕いは見抜かれた。
そうやって戦うなかで、本当の自分が見えた。

全部、中途半端になっていた自分。
主任に思いっきり斬られた。その生命を。
助かった。それで吹っ切れた。

ロースクールの先輩にも、鋭く観てくれている年上の先輩がいる。
一緒に勉強してもらい、たくさんのアドバイスをもらった。

今まで、様々な形で数え切れない人に守ってもらって生きてきた。
僕も、大切な人を、縁する人を守る力がほしい。笑顔にする力が。
その力は、間違いなく生命力。

牙城会のバッヂの形は“G”。
「学会」の“G”、「牙城会」の“G”、そして「厳護」の“G”。
今日も厳護の唱題を!!

“誓願”の唱題

 “この人は自分なりに、一生懸命に働いてきたにちがいない。しかし、誰もが一生懸命なのだ。それだけで良しとしているところに、「甘さ」があることに気づいていない”
 伸一は、力強く語り始めた。
 「まず、同じ失敗を繰り返さないためには、なぜ、不作に終わってしまったのか、原因を徹底して究明していくことです。成功した人の話を聞き、参考にするのもよいでしょう。そして、失敗しないための十分な対策を立てることです。真剣勝負の人には、常に研究と工夫がある。それを怠れば成功はない。信心をしていれば、自分の畑だけが、自然に豊作になるなどと思ったら大間違いです。仏法というのは、最高の道理なんです。ゆえに、信心の強盛さは、人一倍、研究し、工夫し、努力する姿となって表れなければなりません。そして、その挑戦のエネルギーを湧き出させる源泉が真剣な唱題です。それも“誓願”の唱題でなければならない」
〈中略〉
 「“誓願”というのは、自ら誓いを立てて、願っていくことです。〈中略〉日蓮仏法の祈りは、本来、“誓願”の唱題なんです。その“誓願”の根本は広宣流布です。
 つまり、“私は、このブラジルの広宣流布をしてまいります。そのために、仕事でも必ず見事な実証を示してまいります。どうか、最大の力を発揮できるようにしてください”という決意の唱題です。これが私たちの本来の祈りです。
〈中略〉
 仕事は生活を支える基盤です。その仕事で勝利の実証を示さなければ、信心即生活の原理を実証することはできない。どうか、安易な姿勢はいっさい排して、もう一度、新しい決意で、全魂を傾けて仕事に取り組んでください」
〈中略〉
 伸一は、農業移住者の置かれた厳しい立場をよく知っていた。そのなかで成功を収めるためには、何よりも自己の安易さと戦わなくてはならない。敵はわが内にある。逆境であればあるほど、人生の勝負の時と決めて挑戦し抜いていくことである。そこに御本尊の功力が現れるのだ。ゆえに逆境はまた、仏法の力の証明のチャンスといえる。


『新・人間革命』開拓者の章


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 今の自分には、本当に本当に耳の痛い言葉でした。
 結果が全ての資格試験。
 
 勝ちたい、きっと勝てるはず、そう自信を持っていたつもりでしたが、それは砂上の楼閣のような儚い拠り所でした。
 人より努力せずに、人より工夫せずに、最難関の相対評価の試験で絶対に勝てるわけがないのに、そこに正面から向き合わず、自分なりにがんばることで良しとしていた自分がいました。

 
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中島敦『山月記』より

己(おのれ)の珠に非ざることを惧(おそ)れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々(ろくろく)として瓦に伍することも出来なかった。己(おれ)は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚(ざんい)とによって益々己(おのれ)の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己(おれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了(い)ったのだ。今思えば、全く、己は、己の有(も)っていた僅かばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡(すべ)てだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己は漸(ようや)くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼かれるような悔を感じる。


※『山月記』は1969(昭和44)年9月20日初版発行から50年が経過し、著者は亡くなっています。
青空文庫でテキストが公開されています。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/card624.html

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 高校1年の時だったか、『三月記』を読んで、抜き書きした一節です。
 「こうなっちゃいけない」という戒めのために。


 今月の本幹、創大時代からの親友のがんばりで、友人を本幹に連れ出し、一緒に勤行することができました。
 3人でお互いの祈りを共有して、唱題することができたのは大きな前進でした。
 本幹の親子活動体験も凄く心に響きました。

 それもこれも、真剣な題目があったからこそなんだと思います。
 
 
 7/26とその1ヶ月後に、人生左右する大事な試験。

 “誓願”の唱題で、一日一日、勝利の因を積み重ねていくこと。
 人生の勝負の時と決めて、挑戦し抜いていきます!!
 自分磨いていきます!!

人間性の光彩

 人間性の光彩とは、利他の行動の輝きにある。人間は、友のため、人びとのために生きようとすることによって、初めて人間たりうるといっても過言ではない。そして、そこに、小さなエゴの殻を破り、自身の境涯を大きく広げ、磨き高めてゆく道がある。


『新・人間革命』錦秋の章


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 クラスで、仕事場で、趣味のサークルで、あらゆるところで、こういう人がいる。

 「あいつ光ってるな。」 

 「この人、輝いてる!」

 必ずと言っていいほど、ある程度の人数が集まると、そこには人間性の光彩を放つ人っているんですよね。


 「自分の今いる場所で、光る人間になる」

 それが、人間革命の一つの目標だと、学生部では指導してきました。
 今、自分自身はあまり光っていないと感じています。
 でも、蛍のような光でもいいから、縁する人に光を感じてもらえるように、日々祈り、勉強していきます。


 瞳の奥の輝き、声の響きに宿る覇気、全身に纏う明るさ。
 人間性の光彩を放つ人の魅力は、周りにいる人を惹きつけ、その人たちの輝きすら引き出してしまう。

 人を見下す視線、傲慢で偏屈な態度、挙動から放たれるどす黒さ。
 隠そうとしても、隠せない。誤魔化そうとしても、誤魔化せない。
 一見、仁義礼智信の徳を備えているように見せかけても、最後には馬脚を現す。
 
 悪しき人間性の持ち主は、自分より強い者と対峙したときや、自分より弱い者と接するとき、特にその本性を表しやすい。それが敵対する者であればなおさら。

 独善的な者と、そうでない者を見分ける一つの指標は、「耳の痛い意見に対してどう反応するか」だといわれる。
 冷徹に見抜いていきたい。

 「対話」と「議論」の性質の違いを理解しない人もいる。
 全人格的な対話と違い、一定のテーマを有する議論において意見が食い違ったとしても、それは議論を深め、(ヘーゲルの)弁証法的により良いもの(高次元のもの)を導く可能性を秘めた歓迎すべきことだ。意見が合わないことを理由に相手の人間性までも否定するような頓珍漢とは話したくもなくなる。
 かわいそうなことだけど、そういう頓珍漢には、良い人間は近付かないし、離れていく。稀に本当に心配をして忠告をする人がいても、頓珍漢にはわからない。

 どす黒く曇った人間性では、六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)全てが曇り、自分以外何も見えなくなってしまう。
 いな、むしろ自分すら見えていないから、ネット上で他人を攻撃し、自分という存在を証明しようとするのかもしれない。
 そうすることでしか、生きていることを感じられないのかもしれない。

 かわいそう。


 まだ、間に合う。生きている限り。
 信心に目覚め、または信心を奮い起し、現実に目の前にいる人と笑顔で生きるために戦ってほしい。
 誰もいなくても、創価学会にいれば、地区がある。


 届くかなぁ・・・
 
 僕らは、今日も明日も、祈り、行動し、自身の人間性の光彩を放ちまくって参りたい。

使命に生きる人は美しい。

 自らの使命を自覚した人は強く、使命に生きる人は美しい。


『新・人間革命』旭日の章


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 その人を信頼できるかどうか。
 十人十色の判断基準があると思う。
 僕は、その人がぎりぎりのところで、「自分のため」を選ぶのか、「友のため」を選ぶのかを考える。

 その人が好きかどうか。
 基準なんかなくていい。
 僕は、その人が、「使命に生きているかどうか」、または「使命に生きようとしているかどうか」で好きになる。


 使命に生きている人はカッコいい。

 使命に生きている人はまぶしい。

 使命に生きている人は楽しい。

 だから、好きになってしまう。


 創価高校、創価大学、創価大学法科大学院、学生部等を通じて、そんな人たちとたくさん出会うことができた。
 使命に生きる人には、まわりに強い影響を与えずにはおかないパワーがある。
 そのパワーのお陰で、今の僕がある。

 池田先生に感謝。
 諸先輩方、同期・後輩のみんなに感謝。
 
 
 ただし、影響には良い影響も悪い影響もある。
 使命に生き抜くといっても、信じる対象が誤っていれば、悪い影響を撒き散らし、自身も崩れていく。
 提婆達多にも、やはり使命があったと思う。宿命ともいえる。
 ごく簡単に言えば、釈尊の弟子でありながら敵対し、釈尊の正しさを浮かび上がらせるという役割を演じたようにも見える。
 彼は師との敵対に邁進した。だからこそ始め、彼に付いてゆく弟子もいたのかもしれない。

 もっとも、「困難は、逃げれば宿命に終わる。攻めれば使命に変わる」との御指導通り、結果として、彼は宿命に埋もれていった。


 ひるがえって、ネット上に目を向けてみると、「これ、わが使命なり」と息巻いて、池田先生を批判し、学会を攻撃し、破和合僧の大罪を犯し尽くす人間がいる。
 彼らはどこで道を違えてしまったのかと考える。
 僕がそうなるかもしれないからだ。

 一つ、浮かび上がってきた御指導は、『法華経の智慧』に書かれた、「日興上人と五老僧の違い」だった。

 根本の一念が、「師の教え通りに、縁する人すべてを励まし、共に幸福になってゆくんだ!」となっていれば、善知識となって人間革命の波動を広げていける。
 根本の一念が、「法華経を上手く使って、人を惑わし不幸にしてもいいから、自分の人生を楽しく生きるんだ!」となると、悪知識となって破和合僧を侵食させる。

 
「人の身の五尺六尺のたましひも一尺の面にあらはれ一尺のかほのたましひも一寸の眼の内におさまり候」
(御書1402㌻)

 そもそも、生命が宿る顔も目も見えないネット上では、字面からその人の一念を見抜くのは困難。
 言葉遣い、論理、そして何より目的、これらを総合して、「使命に生きる人」なのか、「宿命に泣く人」なのかを峻厳に見抜いていかなければ、知らず知らずのうちに生命が蝕まれていく。
 

「一の暴論には、十の正論で言い返せ」

 言い返すといっても、何も相手の土俵でやることだけに限られない。
 そもそも広宣流布の前進は、現実の生活のなかにしかない。
 「宿命に泣く人」に取り入る魔が、最も嫌がるのは、ネット上で反論されることではなく、僕らが着実に学会活動に励み、人間革命の輪を広げゆくことだと確信する。

 
 最後に、はっきり言いますが、魔の目的は、信心に、学会活動に動執生疑を起こさせて、池田先生との師弟の絆を断ち切り、幸せになるのを一人でも多く妨げることにある。

 絶対に惑わされない。

 池田先生の御指導を徹して学んでみればいい。
 疑問があれば、なんでも所属する組織の幹部に指導を受けることができる。
 一人に指導を受けて、納得できなければ、もっと上に指導を仰げばいい。
 学会本部の本部相談室(創価旭日会館)に行くのもいい。
 
 
 そんなこんなで、僕は、みなさんと一緒に、「広宣流布の使命」に生き抜きたい。


日興上人と五老僧
http://kosenrufu.ldblog.jp/archives/1553167.html

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