広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

随筆 人間世紀の光

広宣流布の前進

 仏法が焦点とするのは、あくまでも一人の「人間革命」である。
 一人、真剣に広宣流布の戦いを起こす人がいれば、一切がダイナミックに変わり始める。
 だから、どんなに地道であっても、最前線の一人を励まし抜くのだ。人と人との距離が近ければ近いほど、共感も、歓喜も、勇気も、いち早く波動となって広がっていく。そして心の奥深くにまで響いていくのである。
 広宣流布の前進は、人と会い、人と語りゆく行動のなかにしかない。


2008.10.24付
随筆 人間世紀の光169


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 「広宣流布」を口にする人は少なくない。

 「広宣流布」を語る人は少ない。

 「広宣流布」に徹する人になりたい。


 学部時代、勉強やサークル活動等、「何でも広宣流布につながる」という人が何人もいました。
 たしかに、そういえる面もあるかもしれない。なぜなら、広宣流布は、社会のあらゆる領域で仏法を持つ人々が人間革命しつつ、進めていくものだと考えるからです。
 しかし、折伏が広宣流布の本質的な要素であることは間違いない。それは、「広く宣べ、流布する」対象が御本尊であり、題目であることから明らかです。

 では、折伏以外の行動は「何でも広宣流布につながる」のかどうか。
 僕は、当たり前ですが、「一念」に着目したい。特に、その行動が「何のためか」という点です。
 単に自己の欲望を満たすための行動が広宣流布につながるはずもない。「自己実現」などという言葉に言い換えてみても、それは変わらない。

(マズローのいう理想的な善の人格形成といった意味を含む本来の「自己実現」を指していない。その場合は「人間革命」の理念と類似する。ただ、現在のマスコミ等で使われる「自己実現」は「自分の夢を実現すること」ないし「満足できる自分自身になること」といったニュアンスで使われていると感じている。)

 何のための「行動」か、何のための「自己実現」か。
 それが、「自身の幸福のためだけ」であれば、広宣流布へはつながらない。
 
 「自他共の幸福のため」

 「広宣流布のため」

 「人間革命のため」

 その一念に立って、行動するとき、「何でも広宣流布につながる」。


 その一念は、朝晩の勤行・唱題の中で生まれ、勇気となり、智慧となり、慈悲となって、現実の行動――なかんずく人との対話が生まれる。広宣流布の前進となる。
 そうして行動する中で、広宣流布への一念は、確固たる誓願に昇華されていくと思います。
 

「女子部は教学で立て!」

 多くの若い女性たちは、自分の「性格」や「自信のなさなどにむやみに悩む場合が少なくない。その自分が最も自分らしく輝いていける、偉大な「人間革命」の大道を教えたのが、日蓮仏法である。
 流されやすく、弱い自分の境涯を決然と乗り越え、強く、生きがいのある自分になるのだ。そして、決して悩みの風雨に負けないで、堅固な、大切な自分自身の一生の土台を築きゆくことだ。この青春の羅針盤こそ「教学」にほかならない。「教学を学び抜いていくことである」と、恩師は叫んだ。
 もしも、教学がなければ、正邪善悪が見えない。最高の人生の大道、正義の師弟の道がわからない。それでは何が幸福かわからない。結局、幸福になれない。正しい仏法の眼を磨く修行が教学である。だからこそ、戸田先生は、慈父の如く「女子部は教学で立て!」と繰り返し繰り返し指導していかれた。
  

随筆 人間世紀の光
「女子部の躍進を喜ぶ」


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 女子部へのお話ではあるけど、何度も何度も読んだご指導。
 教学がなきゃ、何が幸福かわからない。結局、幸福になれない。
 来年5月に試験が終わったら、まず中断してる御書全編読破に挑戦したい。

富士のごとく

 富士は、いつも、見る者に安心を与える。勇気を奮い立たせ、すがすがしい気持ちにさせる。富士と対話すると、皆、元気になる。
 偉大なる広布の同志はかくあれ――と、私は祈り願うのみだ。


随筆 人間世紀の光1


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 先生の弟子として、かくありたいと思う。
 安心を!勇気を!爽快さを!元気を!!

世界に平和の種を!

 「物たねと申すもの一つなれども植えぬれば多くとなり」(御書971㌻)と日蓮大聖人は仰せである。
 「世界に平和の種を!」と誓い合った、わがSGIの出発は、小さな小さな集いであった。しかし、師弟一体の勇気と忍耐で植え続けた「種」は、妙法の慈雨を受けて生い茂り、今や、壮大な人材の「森」となって広がっている。
 ともかく、種を蒔くことだ。自らが種となって、乾いた大地に飛び込むことだ。手を打ち続ける以外に、広宣流布の前進はない。

〈中略〉

 それは、私が二十七歳、一九九五年(昭和三十年)の一月二十六日のことであった。夕刻、急きょ恩師・戸田先生に呼ばれ、隼のようにご自宅に馳せ参じた。
 次代の学会の飛躍を期す重要なご指導を賜った夜、私は日記にこう記した。
 「真に生命を賭した時、悠然たる力が湧く」
 「不惜身命」で祈り戦ってこそ、沸々と現れる力と智慧がある。その満々たる大信力と大行力をもって、初めて破れる壁がある。
 その師弟不二の「法華経の兵法」をもって、私は、一切の戦いに勝ってきた。
 「平和の世紀」「生命の世紀」「人道の世紀」「民衆の世紀」を開くために!
 仏法は、「末法万年尽未来際」と説く。平和と幸福に輝く地球の未来を築きゆく、創価の「青年の時代」が、いよいよ開幕した!
 恩師は言われた。
 「青年ならば、全世界の運命の中に自分を置いて、発想し、行動するのだ」
 青年よ!若人たちよ!
 私は、君たちに燦然たる世界広布の大道を開き、広げてきた。
 その光輝満つる使命の道を、朗らかに堂々と歩み進んでくれたまえ!

人類の
太陽なりせば
不滅なる
世界広布の
創価の友かな


2009.1.25
随筆 人間世紀の光 179
平和の連帯「SGI」

強敵が人をば・よくなしけるなり

 リーダーが率先して最前線に突入し、体当たりで道を開いていく以外にない。
 最も大変な地域、最も厳しい状況で、必死に戦っておられる友を励ますのだ。
 共に祈り、苦楽を分かち合って前進していくのだ。
 「幹部は第一線を足まめに歩け!新たな突破口を自らが勇敢に開きゆけ!」
 これが戸田先生の教えであった。そこにこそ、勝利の「黎明」が輝き始めるのである。

 何であれ、人の何倍も悔しい思い、苦しい試練に耐えながら、戦い抜いてこそ、富士の如く屹立した人格ができる。烈風を受けるなかでこそ、何ものにも揺るがぬ自分自身を鍛え上げることができるのだ。
 「強敵が人をば・よくなしけるなり」(御書917㌻)
 この御聖訓を、わが青年部は、心肝に染め抜いていただきたい。


2009.1.6
随筆 人間世紀の光 175
「勝利の一年」を共々に
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