広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

随筆 新・人間革命

広宣流布の黄金柱

 「仏法は勝負」である。
 壮年部は、一家の柱、社会の柱、そして広宣流布の偉大なる黄金柱だ。
 皆様が厳然としているからこそ、婦人部も男女青年部も、安心して戦える。
 古代ギリシャの詩人ソフォクレスは誇らしく謳った。
 「男のもっとも尊い仕事は、もっているすべてを、力のすべてをつくして、人を助けるにあるのだ」(高津春繋訳)

随筆 新・人間革命
不屈の人間・壮年部


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 大切な人生を、「何のために生きるか」。この一点で、人の輝き、そして大きさは全く異なるものとなります。
 
 池田大作先生(創価学会名誉会長)は、様々な著作・スピーチ等を通して、「人のために」生きる人生のすばらしさを教えてくださっています。
 池田先生の生き方、優しさ、力強さに、人間として僕は惚れています。惚れきっています。

 友人が男惚れしている人に久しぶりに会ったことをきっかけに、「自分もそんな男になりたい」と言っていました。
 僕も激しく同意です。
 池田先生もそうですが、それと同じくらい、先生の弟子として生きる先輩たちのようになりたいと思ったからこそ、学会活動をしました。
 彼らは輝いていて、楽しく、大きく、心の底からあったかい人たちでした。
 そうなりたいと思えたからこそ、今の僕があります。
 
 「何のための人生か」、池田先生は「わが人生は、人への『励まし』」のためにあると決めていらっしゃいます。
 僕もそう生きます。みんなとそう生きたい。そこにあらゆる人の幸福も、平和もあると確信します。

 池田先生は、一家の柱、社会の柱たる壮年部に対して「もっているすべてを、力のすべてをつくして、人を助けるにある」との言葉を紹介してくださいました。
 青年部の僕たちも、いずれ壮年部として黄金柱となる使命をもっています。

 今日も、力のすべてをつくして生き抜きます!!

 
 エマソン曰く、

「全力をつくすのだ。それが君のすべてではないか!」

壮年は獅子である。

 壮年は、創価の要であり、広布の勝敗を決する最終ランナーだ。
 壮年は獅子である。堂々たる壮年の姿を見れば、皆が安心する。その厳たる声が響けば、皆が勇気をもち、大衆は勝利する。
 わが獅子たちよ!
 尊き、わが広布の戦友よ!
 21世紀の夜明けを開く、狼煙は上がり、決戦の幕は落ちた。遂に、われら壮年の出番が来た。
 今、立たずして、いつ立つのか! 今日、戦わずして、いつ戦うのか!
 人生とは、限りある命の時間との闘争である。
 使命を果たさずして、人生の価値はない。志をつらぬかずしては、いかに自分を正当化しようが、あとに残るのは空しさと悔恨である。
 御聖訓には「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(御書970㌻)と。
 さあ、白馬にまたがり、広宣の旗を掲げ、使命の大舞台を痛快に疾駆せよ。


随筆 新・人間革命
われら壮年の活躍


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 挑戦の心を失えば、もはや青年とはいえません。
 先生は、「飽くなき挑戦の心こそ、青年の魂だ。」と『新・人間革命』新世紀の章で教えてくださっています。
 
 人間というものは、歳を重ねるにつれて新しいことに対する興味、好奇心を失いがちになると聞いたことがあります。
 長く生きれば生きるほど、それまでの経験と価値観(人生観)の範囲で出来事を意味付けし、処理することができるようになり、その経験・価値観(人生観)で意味付け、処理できないものを捨象してしまうのではないでしょうか。
 そうなると、新しい経験を得ることが難しくなり、新しい経験をしたときの感動なんかも薄れてしまい、終いには新しい経験に対するインセンティブもなくなる。
 こうして、人は子ども心を失い、挑戦の気概も失せてしまうんじゃないかと思います。
 (「捨象」とは、事物または表象からある要素・側面・性質を抽象するとき、他の要素・側面・性質を度外視すること。)
 

 死ぬまで、青年の心で、挑戦を続ける人生を生きたい。
 牧口先生が日蓮大聖人の南無妙法蓮華経に出会い、入信されたのは、なんと57歳の時。すでにいくつかの小学校の校長の職を経験していました。
 その2年後に1930年には、戸田先生とともに創価教育学会を創立されます。

 そして、晩年の獄中においても、カントの『価値論』等を読み、研鑽を続けられていたといいます。
 すごい。僕らも負けてられません!!


 上記、御指導で引用されている御文は「富木殿御書」にあります。富木常忍も30代後半で入信し、60代で出家し、大聖人の遺文の収集等の重要な役割をしました。

"Do not spend this life in vain and regret it for ten thousand years to come."

The Problem to Be Pondered Night and Day
Major Writings of Nichiren Daishonin, Vol. 5, p167.


Be Young!!

真の仏道修行

 思えば、私の折伏第一号は、大田区の小学校の教員をされている方であった。戸田先生の会社に勤めて、しばらくしたころのことである。
 それまで、何人もの友に仏法の話をしてきた。戸田先生みずから、私の友人に会って、話してくださったこともあったが、信心をするにはいたらなかった。
 自分が不甲斐なく、どう語ればよいのか、必死に研究もした。そして、祈りに祈り、“もう一人”“もう一人”との思いで、折伏行を重ねた。それが、どれほど大きな自身の力となっていったか計り知れない。
 そのなかで、ようやく折伏が成就した時の、あの晴れやかな感動と喜びは、筆舌に尽くしがたい。
 私は、自分の紹介で入会した人を、どこまでも、どこまでも面倒をみながら、人生の勝利者にさせる決意をした。
 その折伏をした人に、私のアパートに来ていただき、出勤前に一緒に勤行し、ともに御書を拝したものである。
また、仕事の帰りに、勤行指導に通ったことも懐かしい。
 広宣流布という前進は、一人の友を信仰に目覚めさせていく、この地道な、そして忍耐強い活動の積み重ねのなかにある。
 これが、真の仏道修行だ。


随筆 新・人間革命
広宣の旗高く

勇気とは何か。

 「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」
 「青年訓」の鮮烈なる冒頭の一節から、我ら青年は、血湧き肉躍った。
 「奮起せよ! 青年諸氏よ。闘おうではないか! 青年諸氏よ」
 学会精神を会得せよ! 同志の士気を鼓舞せよ!
 広宣流布大願の中心人物たることを自覚せよ!
 師の呼びかけに、皆、勇気百倍、奮い立った。
 当時、私は、まさに、その男子部の班長であった。
 “広布の主体者は我なり。この「青年訓」は自分にいただいた指針だ!”――私は、そう生命に刻んだ。
 では、何をもって、先生にお応えするのか。第一歩の戦いは明確であった。
 “戸田先生からお預かりした、わが班員を、自分以上の人材に成長させよう! 池田班を、二倍、三倍、十倍と拡大していくのだ!”
 しかし、戸田先生が顧問をされる会社で営業部長の重責を担う毎日は、自由に活動することを私に許さなかった。
 死中に活を求めて、スタートした会社を軌道に乗せることは至難の業であり、苦闘の連続であった。微熱も続き、いたく体調も悪かった。
 男子部の会合にも出られない日が続いた。「池田は退転だよ!」と、冷淡に言い放つ幹部までいた。
 だが、私は決意していた。
 “御本尊はご存じである。戸田先生はご存じである。
 恵まれた状況のなかでなら、誰でも戦える。私は、先生の弟子だ! 師子の子だ!
 どんなに苦しくとも、辛くとも、必ず勝ってみせる!”
 勇気とは何か。弱い自分に打ち勝ち、環境に負けないことだ! 学会活動から断じて逃げないことだ!
 時間がないからこそ、一瞬一瞬を惜しみながら、知恵を絞って戦いの手を尽くした。
 カバンには、常にハガキと便箋を入れ、時間を見つけては、友に激励の手紙を書きに書いた。綴りに綴った。個人指導にも、折伏の実践にも悠然と、挑戦していった。
 一歩も引けない、苦闘のなかでの仏道修行であった。
 しかし、それがあったればこそ、今の私もある。


2001.10.1
随筆 新・人間革命
『青年訓』50年


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 「司法試験受験時代があったればこそ、今の自分がある」

 そう胸を張れる自分になりたい。
 というより、今、そうでありたい。

新社会人の友に贈る

 爛漫の春が巡る来るたび、私は、恩師・戸田先生を桜花に包まれてお見送りした日のことが、昨日のように思い起こされる。文豪トルストイは「信仰は人生を決定する」(原久一郎訳)と言ったが、私の人生は、大仏法を教えてくださった師の存在なしにはありえなかった。
 春はまた、新たな旅立ちの季節でもある。今回は、卓越した実業家でもあられた先生のご指導を振り返りながら、この春、社会人として新出発する青年に祝福のエールを贈りたい。

 ◇

 新社会人の皆さんに、まず肝に銘じていただきたいことは、「信用こそ力」「信用こそ宝」という一点である。今の日本の混乱や迷走を見ても、その根底には、「信用の失墜」という問題がある。
 政治家しかり、官僚しかり、企業しかりである。また、いかに優秀な人であっても、社会のルールを無視したり、おろそかにしては、誰からも信用されない。信用という土台があって、初めて、自分の力量も存分に発揮していけるのだ。
 新社会人として、その信用を築くための基本の第一は、〝朝に勝つ″ことだ。
 戸田先生は、遅刻には、ことのほか、厳しかった。それは、皆に、日々、リズム正しい健康な生活を確立させるための、厳愛でもあったと思う。「一日の出発に当たって、生き生きと清新な気持ちと決意にみなぎっている職場は、発展する」「責任者が遅刻したり、多くの社員がだらしなく遅刻を重ねるような職場は、必ず問題を起こし、衰微する」と、先生はよく語られていた。
 特に、新入社員には、「誰よりも早く出勤するぐらいの気概と懸命さを持て」と、厳格に教えておられた。私も、先生の会社に勤め始めたころ、毎朝、始業時間の三十分前には出勤し、職場を清掃し、元気いっぱいの挨拶で先輩たちを迎えたものである。
 前夜の学会活動が、どんなに深夜に及んだとしても、戸田先生は、遅刻の理由として認めなかった。「それは、信心利用だ!」と、一喝されたのである。

 ◇

 また、第二には、「正確な報告」「緊密な連絡」が大事である。これらは、職場という生命体を支える神経系統といえようか。
 仕事は〝情報戦″の舞台である。情報が正確か、あいまいか、いいかげんか、嘘か、それが勝負を左右する。その職場で、大切な情報の共有化がなされているかどうかも、仕事を遂行していくうえで不可欠である。
 連絡・報告に私情を交えたり、針小棒大(しんしょうぼうだい)な言い方をするのは、判断を狂わせる可能性がある。わが師は、そういう癖のある人には厳しかった。
 先生は、良い報告であれ、悪い報告であれ、迅速・正確な情報を大事にされた。そして、報告や話には「要・略・広」の三つがあるのだと教えられた。
 つまり、至急の時は要点を、時間が許されるのなら概略を、さらに説明の必要があれば広く、詳細に――ということである。ともあれ、仕事上の情報には、大きな責任がともなうことを、新社会人の皆さんは、絶対に忘れてはならない。

 ◇

 戸田先生は、よく「信用できない人間像」について語られた。参考として、さらに幾つか紹介しておきたい。
 「会社にしばしば遅刻する人」「無断欠勤をする人」「退社時間があいまいで、退社時間前から、どこかへ消えてしまう人」「金銭的にルーズな人」「生活態度が不真面目な人」さらに、「口がうまい人」「変なお世辞を使う人」「言葉が真実性を帯びていない人」等である。
 私は、今まで多くの人物を見てきたが、まさに先生のご指摘の通りであった。生活が乱れ、人生を踏み外していった人間は、必ず、こうした傾向性をもっていた。

 ◇

 では、いかなる人が信用できるのか――。
 「何事であれ、十年間、変わらずやり切った人間は信用できる」これが、戸田先生の持論であった。 私も、社会に巣立つ友には必ず、「まず十年間、辛抱しながら忍耐強く、基礎を築きなさい」と励ましてきた。
 希望に燃えて就職しても、初めから好きな仕事ができるとはかぎらない。世間の冷たさ、理不尽な現実に愕然としたり、「こんなはずではなかった」と苦しむことも少なくないかもしれない。また、上司や同僚との人間関係に悩むこともあろう。だからといって、仕事のイロハも覚えないうちに、「自分に合わない」と安易に辞めてしまっては、自分の本当の適性や実力もわからないし、現実の社会を生き抜くこともできない。
 「鉄鋼王」といわれたカーネギーが、電報配達をしていたころ、仕事は、事務所の掃除から始まった。彼は、電報配達の仕事に誇りをもち、この掃除にも真面目に励んだ。さらに、好奇心と積極性を発揮し、見よう見まねで通信技術を覚えていった。やがて彼は、電信局の通信技手に採用され、一歩、また一歩と自分の可能性を拡大していったのだ。
 彼は、その下積み時代の事務室を、「若い人にとってすばらしい訓練の場」(坂西志保訳)と呼んだ。生き生きと脈打つ、この向上心は、百年以上の歳月を超えて、今日の青年にも学ぶところは大きいであろう。それは、仕事をお仕着せの義務ではなく、自分の権利としていくチャレンジ精神だ。だからこそ、辛い下積みの仕事も、すべて、自己教育と自己飛躍の好機にすることができたのである。
 「働くことが楽しみなら、暮しはすばらしくなる! 働くことが義務になったら、一生奴隷ぐらしだよ!」(野崎詔夫訳)とは、ロシアの作家ゴーリキーの名言だ。
 戸田先生も、月給分だけ働けばよいとか、文句を言われない程度にすればよいという受け身的な態度を、最も嫌われた。青年であるならば、失敗を恐れず、わが権利として主体的に取り組むことだ。それでこそ、仕事は最高に価値ある人間錬磨の道場となる。私自身も、青春の日より、この人生の道を、決然と踏破してきた。
 ともあれ、御書に「御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ」(一二九五㌻)と仰せの如く、我らの「信心」は即「生活」である。
 文豪ゲーテは言った。「よろこびをもって仕事をし、なしとげた仕事をよろこべる者は幸福である」(岩崎英二郎訳)  またオランダの哲学者スピノザの言葉には、こうある。「幸福、真の幸福は、善行それ自身である」(原久一郎訳)
 若き友よ! 今、自分のいる場所で、断じて信頼を勝ち取るのだ!諸君が職場に巻き起こす新風で、この社会を明るく活性化させるのだ! 「職場の勝利者たれ! 人生の勝利者たれ!」と、私は祈り、待っている。


随筆 新・人間革命259
新社会人の友に贈る
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