広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

御書講義

勇敢な信心

 「あいかまへて・あひかへて・信心つよく候て」です。
 信心は、成り行きでいつか深まってくるものではない。「あひかまへて」とは、発心をしなさいということです。何があろうとも、よし、これを転機に御本尊根本に一歩前進していこう、という勇敢な信心が大切です。その信心のあるところ、釈迦、多宝、十方の諸仏の守護が、厳然と働きをあらわしてくるのです。


池田大作全集 第24巻
「諸法実相抄」講義


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 ただ歳を重ねるだけでは、落ち着きは得られても、信心が深まるわけじゃない。
 ただ学会活動を長く続けるだけでは、経験は得られても、信心が深まるわけじゃない。
 
 「勇敢な信心」

 たぶん、日々発心していくこと、日々決意していくこと。何があろうとも。
 勤行でも唱える「勇猛精進」という言葉を思い出しました。
 勇気を持って、心ひとすじに物事(修行)に打ち込むというような意味です。
 

 先週の『新・人間革命』の連載では、人材育成の模範が示されています。
 自身の信心もそうであるように、後輩の信心も年月とともに深まるわけじゃない。勇敢な信心が大切であることに変わりはない。
 
 共に祈り、共に動く。
 友のために祈り、友のために動く。
 
 そうできるように、発心してもらうのが一番難しいことかもしれません。
 勇敢な信心を奮い起こし、発心してもらう。それは折伏とほとんど同じか、それ以上に大変なことです。

 勇猛精進、言い換えれば、勇気と誠実しかない。
 長編詩「大空を見つめて」にはこうあります。


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 勇気とは
 誠実とは
 自分の決めた この道を
 どこまでも貫いていく
 その決心の深さだ
 その持続の強さだ

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 今日も明日も、そしてずっと、師弟の道を貫いていきたい。

臨終只今と臨終正念


 臨終は人生のすべてが凝縮した「人生の山頂」であり、「次の生」を決定づける人生の最も重要かつ厳粛な場となります。この臨終の時に、いかなる一念を持つか。悔いなき勝利の「生」は、安穏な「死」を約束します。そして、大満足の「死」が、次の「生」への晴れやかな旅立ちを決定させます。臨終の時の今世を総括する一念が、どうであるか。その因が未来の果報をもたらす。ここに「臨終正念」の意義があります。
 「臨終正念」とは、死に臨んでも心を乱さず、正しい念慮(思い、考え)、すなわち妙法を信ずる信の一念を、揺るがずに貫くことです。
 臨終の時に、妙法を信受できた無上の喜びをもって我が人生に悔いがないと満足できる心こそ「臨終正念」の具体的な姿に他なりません。
 ここで、「臨終只今」と「臨終正念」の違いを整理しておけば、今世で生ある時に、臨終という人生の総決算の意味を強く感じ、“今、臨終を迎えても悔いがない”との覚悟で、現実の一日一日、一瞬一瞬に生命を燃焼させていくことが「臨終只今にあり」との信心です。その意味で、「臨終只今」の信心には、生命に対する「智慧」があり、智慧に基づく「決断」があり、智慧と決断によって開かれる晴れやかな「希望と行動」があるといえる。
 日々月々年々に、この「臨終只今」の信心を積み重ねていくことで、生命を鍛え、磨き抜き、境界を高めていける。そして、今世の生き方に確信と納得を持ち、臨終に際しても、悔いなく、妙法を唱えきって、安詳と霊山(りょうぜん)へ旅立っていける。この荘厳なる境地が「臨終正念」です。簡潔に言えば、「臨終只今」の信心の積み重ねが、人生の総決算として「臨終正念」を完成させていく。そして、「臨終正念」が次の「生」への豊かな旅立ちを可能にするのです。
 「臨終只今」に生ききった良き「生」が、「臨終正念」という良き「死」を約束する。また、「臨終正念」という良き人生の総決算が、次の良き「生」への出発となるのです。


『生死一大事血脈抄講義』


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 昨日、妹と一般講義の同時中継に参加しました。
 御書の生死一大事血脈抄の解説で、

 「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」(御書1337㌻)

との御文の中で、「三つ全く差別無しと解りて」の部分が、よくわからなかったので池田先生の『生死一大事血脈抄』の該当部分を読みました。
 それで、次の章にあったのが上記の一節です。

 この半年くらい、2つの試験に合格して法科大学院を卒業することが至上命題となっていて、自分のことに関しては他のことに目が向いていませんでした。それが、先週末に卒業が決定し、ホッと一息ついてみると、自分が人生の道を見失いかけていたのに気付きました。

 小さくまとまろうとしていたんです。
 それなりに努力して、それなりに楽しく生きる。
 それも一つの人生だと思う。
 
 僕は嫌だ。
 自分だけなんて面白くない。

 まわりにいる人全員で幸せになりたい。
 あらゆる人が思いっきり笑って暮らせる世界をつくりたい。
 
 それを忘れていました。
 昨日の一般講義で、坂口婦人部総合長の話を聞きながら、全然先生のおっしゃっている通りにやっていない自分を目の当たりにしたのでした。

 
 もう1度、今日から戦いを開始します。
 今は司法試験合格の戦い、思いっきり学会活動はしないけど、信心で勝って、人間革命していきたい。
 広宣流布のために絶対合格して、先生の御構想を実現する。

 超面倒くさがり屋だし、自分に対する言い訳がとてつもなく上手いけど、臨終まで誤魔化せない。
 後悔しながら死ぬなんて冗談じゃない。
 今死んでも悔いはないって「生」を貫きたい。
 自分を完全燃焼させて、赫々たる太陽のような人格で生き抜きたい。

 それが、一番楽しい☆☆☆

祈りとは、燃え上がる生命の勝利の炎

 「祈り」とは、観念ではありません。燃え上がる生命の勝利の炎です。この一念の炎があれば、祈った瞬間、生命はすでに勝っている。「百千年くら(暗)き所にも燈(ともしび)を入れぬればあか(明)くなる」(御書1403㌻)と仰せの通りです。


御書と師弟



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学会の闘士であれば

 「大作、いいか。絶対に命に刻んでおけ。学会の闘士は、この御聖訓を忘れるるな!」
 今回は、入信の直後、わが師・戸田城聖先生から、烈々たる気迫で魂に打ち込んでいただいた御金言を共々に拝したい。
 法華経の涌出品第十五には「昼夜に常に精進す 仏道を求めんが為めの故に」(法華経466㌻)と説かれております。
 これは、大地より出現した無量千万億の地涌の菩薩が、無数劫という過去から、師匠である仏の智慧を習い修めてきた。その修行の姿を説いた経文です。
 地涌の菩薩は、無量の長い時間、昼夜を問わず一心に「師弟の道」を精進し、巍々堂々たる境涯を開いたのです。この法華経の一文を受けられて、日蓮大聖人は仰せになられました。
 「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書790㌻)
 すなわち、今、末法の我々は、この瞬間瞬間の生命の内に億劫の辛労を尽くしゆくのだ。それが南無妙法蓮華経の唱題行なのである、との御文です。
 それまでの仏道修行は、「無量劫」という想像を絶する長遠な時間をかけて行わねばならないとされてきました。そうではなく、南無妙法蓮華経と唱えることによって、わが「一念」に「本来無作の三身」、すなわち、もともと(本来)自分自身に具わっている、ありのまま(無作)の仏の生命を湧き上がらせることができる。
 いわば、永遠を一瞬に凝結して行ずる修行が、私たちの唱題行なのです。


御書と師弟 第3回 「御義口伝」と青年
永遠を一瞬に凝結しゆく唱題行

「師弟不二」と「異体同心」

 一人一人の信心の深化も、広宣流布の前進も、ひとえに、その根本は「師弟不二」と「異体同心」にある。
 創価学会の永遠の発展も、この要諦を継承できるかどうかで、一切が決まると言っても過言ではありません。
 私は、大田で、文京で、北海道で、大阪で、山口で、一貫して戸田先生を語り、弟子として勝利しようと訴えてきました。広宣流布のために、弟子が一致団結できるかどうか。師匠の教えのままに、生き抜けるかどうか。ここに未来の一切がかかっているとの思いで、「師弟不二」を軸とした「異体同心」の勝利のリズムを築いてきました。
 千万馬力のモーターが回っているとき、そのモーターにギアを合わせれば、つぎつぎと千万馬力が伝わります。したがって、広宣流布の師匠に呼吸を合わせる団結こそが、勝利の方程式となります。
 その一点で、「師弟不二」「異体同心」を破壊しようとする悪とは断固、戦うことが重要となる。戸田先生は、「戸田の命よりも大事な学会の組織」と幾度も語られました。また、「清浄な創価学会の組織を攪乱する者を追放せよ」と厳命されました。
 「師弟不二」と「異体同心」は、本来、切り離せるものではなく、車の両輪の関係にあります。どこまでも師と心を合わせる「師弟不二」の精神がなければ、本当の「異体同心」の団結は実現できません。また、どこまでも和合僧を大切にして、「異体同心」を実現する努力がなければ、本当の不二の弟子であるとは言えない。
 「師弟不二」の実践と「異体同心」の団結があれば、必ず広宣流布を成就することができる、というのが蓮祖大聖人の御聖訓です。
 一切の勝利は、「異体同心」の組織を構築できるかどうかにある。


大白蓮華2008-9
希望の経典「御書」に学ぶ_第12回_異体同心事
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