広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

『人間革命』

先生にどうすれば近づけられるか

 幹部は、どこまでも、(戸田)先生と会員をつなぐパイプなのです。ですから、幹部は、同志を自分に付けようとするのではなく、先生にどうすれば近づけられるかを、つねに考えていくことです。


『人間革命』宣言の章

師弟不二の道

 昭和三十一年の戦いに直面したとき、彼の弟子たちは戸田の指導を仰いだが、彼らの意図する世俗的な闘争方針を心に持しながら、戸田の根本方針を原理として聞き、結局、彼らの方針の参考としてしか理解しなかった。戸田の指針と彼らの方針とは、厳密にいって不同であったのである。師弟の道を歩むのはやさしく、師弟不二の道を貫くことの困難さがここにある。
 ただかろうじて、山本伸一だけが違っていた。彼は関西方面の最高責任者となったとき、戸田の膝下にあっての久しく厳しい薫陶から、戸田に言われるまでもなく、ひとより多くの辛労に堪えながら、彼は作戦を立てた。
 その彼の作戦の根本は、戸田の指針とまったく同一であった。不二であった。彼には戸田の指導を理解しようなどという努力は、すでに不必要であった。
 以来、戸田の時々刻々の指導の片言隻句は、彼の闘争方針の実践にますます確信を与え、いよいよ渾身の力量を発揮する縁となったのである。
 彼は一念において、すでに戸田の一念と合一したところから出発していた。


『人間革命』一念の章


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最高の祈り、最高の作戦・行動

「まず、全関西の強盛な祈りから始めるわけでありますが、ただ唱題して祈りに祈って祈りあげればよいかというと、それだけではどうにもなりません。誤解のないように言いますが、これが第一の要諦です。第二の要諦は、最高の作戦、最高の行動です。これがなければ、勝機を掴むことは絶対にできない。第一の要諦だけでも駄目であり、第二の要諦だけでも駄目である。この二つの要諦が調和したとき、不可能も可能となり、勝利を得ることができると確信いたします。この調和をさせるものは何かというと、それが信心なのです。ですから、信心が根本であると申し上げるのも、そのためです。わかりますか。
 最高の作戦、最高の行動というと、すぐ世間通例の選挙作戦なんかを思いうかべて、真似をしたがりますが、これはとんでもない間違いです。
 日蓮大聖人は四条金吾を戒められたお手紙に『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし』とお書きになっています。
 これは、どんな作戦、行動よりも法華経の兵法、つまり信心から出た作戦、行動を用いる以外にないのだ、それが最高の作戦であり、最高の行動となるということです。右往左往する必要はさらにありません」


『人間革命』一念の章


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師弟の歌

 戸田は自若としていたが、人知れぬ憔悴は明らかだった。山本伸一は戸田の顔を見ることが、時に辛かった。彼もまた憔悴していたのである。
 ある夜、会社でおそく二人だけで、顔と顔を合わせた。戸田は、伸一の憔悴をしげしげと見ながら言った。
「伸、どうした。生命力がてんでないじゃないか。生命力が弱っていては、戦さは負けだぞ。ここに来なさい」
 戸田は伸一を叱咤しながら、御本尊の前に据えた。真剣な勤行がはじまり、唱題がつづいた。
 憔悴した不世出の師は、愛する憔悴した一人の弟子のために、御本尊に懸命な祈念をしたのである。伸一は、じっと涙をこらえるのに懸命であった。
 この夜、伸一の感動は下宿に帰っても、少しも消え去ることがなかった。深夜、一人の青年の感涙は、一首の歌に結晶した。

 古の 奇しき縁に 仕えしを
  人は変われど われは変わらじ

(いにしえの くしきえにしに つかえしを
  ひとはかわれど われはかわらじ)

 伸一は、この歌を綺麗に清書して、胸の内ポケットの奥にしまいこんだ。戸田にどうしても贈りたかったからである。
 あくる朝、戸田は伸一の体を心配して、昨夜のことを思いながら挨拶していた。
「伸、きのうは休めたか。これ以上、痩せてはいかんよ」
「はい、ありがとうございます。どうか、先生こそ少しお休みになってください。お願い致します」
 伸一は、胸のポケットから歌の紙片を取りだして、戸田の前に差しだした。
 戸田は近眼の眼を、紙にすりつけんばかりにして、それを見た。
「うん、わかっている」
 一瞬、戸田の表情は厳しくなり、またすぐ笑顔になって伸一を見た。
 四面の楚歌を聞きつづけていた戸田には、いまこの稚(いとけな)い一首の歌が、いい知れぬ喜悦をもたらしたのであろう。彼は、いくたびも読みかえしながら、瞬間、四面の楚歌を忘れていた。
「よし、ぼくも歌をあげよう。返し歌だ。紙はないか……。さて……」
 戸田はペンを手にすると、しばらく思いをめぐらしていたが、さっと勢いよく認(したた)めた。

 幾度か 戦さの庭に 起てる身の
  捨てず持つは 君が太刀ぞよ

(いくたびか いくさのにわに たてるみの
  すてずたもつは きみがたちぞよ)

「これをあげよう」
 伸一は礼をこめて、その紙片をもらおうとした。だが戸田は、その紙片を渡そうとしなかった。
「まて、まて、もう一首あるんだ」
 戸田はペンを握ったまま、しばし動かなかった。やがて動いたと思うと、さらさらともう一首の歌を書いた。

 色は褪せ 力は抜けし 吾が王者
  死すとも残すは 君が冠

(いろはあせ ちからはぬけし わがおうじゃ
  しすとものこすは きみがかんむり)

「さあ、これで、いいだろう」
 戸田の顔は、喜んでいるようにも見え、淋しそうにも見えた。そして、二首の歌を、さりげなく伸一に与えたのである。伸一は、さっと読みくだすと、深く頷いた。わななくような感動が、全身に走るのを、どうしようもなかった。
 ――この私が、はたして先生の太刀なのであろうか。この私が、先生の冠に値するのだろうか。……先生は御自分のことも、私の何からなにまでも、解っていてくださるのだ。
 伸一は眉をあげた。戸田の深い慈愛は、この時、伸一の生命を永遠に貫いたのである。異体は同心となり、一つの偉大な生命に溶けて、久遠からの実在の姿を現したのである。
 戸田は、にっこり笑って無言であった。
「ありがとうございます」
 伸一は礼儀正しく、これだけ言うのが精一杯だった。必死の決意で、戸田の眼鏡の奥の瞳をはっきりと見た。瞳は鋭く、また暖かく、澄みきって輝いている。


『人間革命』秋霜の章


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 大学3年生のとき、信頼する後輩から、

 「学園のとき、個人的に(国語科の)〇〇先生から、これだけは絶対に覚えておかなきゃいけない短歌」

 だと教えられたという話を聞きました。
 
 それがこの人間革命4巻の一節にある三首です。
 帰宅してすぐ暗記しました。
 でも、そのときはまだまだ客観的にしか感じられませんでした。

 久しぶりに前後も含めて読み返して、とても想うところがありました。
 主観的に読み、感じていきたいと思いました。

 
 がんばらなきゃ。
 もっともっとがんばらなきゃ。
 がんばりたい。
 もっともっと、使える人材に、信・行・学を基準とした大人材に、成長したい。

師弟不二の脈動

 戸田城聖の永年手塩にかけた弟子たちが、全国に散って活動したわけだが、広布実践における師弟の関係を単なる師弟の道ととるか、師弟不二の道ととるかが、はじめてあらわにされたと見なければならない。師の意図するところが、現実にあらわれるか、あらわれないかは、弟子の実践の姿を見れば容易に判断のつくことである。師の意図が脈動となって弟子の五体をめぐり、それが自発能動の実践の姿をとるとき、師弟の連結は、はじめて師弟不二の道をまっとうすることが辛うじてできるといわなければならない。師弟に通ずる生命の脈動こそ、不二たらしめる原動力である。そのためには、師の意図の脈動が何を根源としているかを深く理解し、みずからの血管のなかで消化する強信にして困難な信仰作業を必要とする。その本源の師弟の力は、いうまでもなく御本尊につきる。
 たとえば山本伸一が大阪闘争に先立って、数か月にわたる一念に課した億劫の辛労は、この困難さを避けることなく乗り越える作業であった。そして、師弟一体の実践の姿をあらわしたのである。
 多くの弟子たちは、この困難さを避ける。
 師の意図に叛く考えはさらさらないものの、師の意図をただ教条的にしか理解しない。そこで厳しい現実に直面すると、周章狼狽して師の意図を生のまま機械的に同志に押し付けて事足れりとするか、あるいは師の意図が気になりつつも、直面した現実を特殊な場合として、浅薄な世間智をはたらかせて現実に適合しようと焦る。ここにいたって、師弟の脈動が断たれていることに気がつかない。まことに師の考えるところと、弟子が懸命に考えることとが冥合するとき、信仰の奔流は偉大なる脈動となって迸る。師の意図にただ追従することは、弟子にとってきわめて容易なことだ。師の意図からその根源にまで迫って、その同じ根源を師とともに分かち合う弟子の一念は、まことに稀だといわなければならない。しかし、この稀なる一念の獲得にこそ、微にして妙なる師弟不二の道の一切がかかっているのである。


『人間革命』脈動の章


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 先日行われた11・3「国分寺の日」記念総会の幹部指導で引かれた一節とその前後です。
 
 目標を達成することは重要です。
 しかし、言われたこと、打ち出されたことだけを、帳尻を合わせるようにやっていては、学会の組織は衰退する。 
 師の御構想実現のため、師の意図の根源に迫って、その根源を分かち合う一念。
 この一念獲得には、億劫の辛労を尽くす信仰作業が必要であり、唱題行につきる。
 
 創立80周年から100周年へ。
 全く新しい決意で、師弟不二の道を歩んでいきたい。
 
 困難は山ほどあるし、実力も全然足りない。
 それはそれとして、環境にも、臆病にも負けたくない。
 
 「池田先生であればどうされるか」

 この一念で戦い続けていく。
 そこに億劫の辛労を尽くしていく。
 


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