広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

本部幹部会

強くなり、幸福になっていくこと

 北海道の初代女子部長が友に語りかけていた言葉が、今も私の心に響いて離れません。
 「私たち女子部が信心を根本に、一人一人、強くなり、幸福になっていくことこそ、師匠への報恩であり、広宣流布なのです」と。
 幸福になるために、そして皆を幸福にするために、妙法を朗々と唱え、正義を堂々と語りながら、仲良く楽しく戦いましょう!


2012.5.20
新時代第58回本部幹部会(北海道総会)へのメッセージ


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 この度、大学時代の友人と結婚致しました。
 お互いに明るく陽気なので、ときどきけんかもしますが、毎日笑って過ごしています。
 二人で力を合わせて、幸せを拡げられるような家庭にします。
 
 「人を幸せにできる人こそ幸せ」
 
 縁する人みんなが、笑顔になれる――そんな二人になりたいと思います☆


 今日からまた週2くらいで更新していきますので、どうかよろしくお願い申し上げます。

全学会をリードしていく。

 話をする時も、力強い声で、生き生きと語るのだ。大情熱がなければだめだ。皆と心がバラバラになってはいけない。同志から離れずに、集い合っていくのだ。
 どんな立場であろうとも、広宣流布を、どんどん引っ張っていく。全学会をリードしていく。その気概と責任感を断じて失ってはならない。


2008.4.23
新時代第17回本部幹部会

後輩を大事に

 青春時代は、悩みが尽きないものだ。
 だからこそ、先輩は、後輩を大事にしてあげてほしい。何か困っていることはないか、悩んでいることはないか、相談にも乗ってあげてもらいたい。うんと応援してあげるのです。


2008.12.19付
新時代第24回本部幹部会


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 先輩に悩みを聞いてもらうなんて、「あの人たちに話したところで、どうせわかってもらえない。時間の無駄。」そんな風に思ってた。
 
 でも、大学2年生のときに、一緒に戦うことになった先輩にだけは、自己開示して仲良くなるって意味と自分の状況を知ってもらっていずれ助けてもらえればラッキーくらいの気持ちで、いろんなことを話した。


 先輩は、


 あったかかった。

 果てしなく。


 親身になって話を聴いてくれた先輩は、自分が想像していた対応を遥かに超えて優しかった。
 それからは、自分の悩みを話すことが楽になった。それまでは、ある意味で突っ張ってた気がするけど、率直に話せるようになった。


 学生部、創大には、まるで池田先生みたいな優しさ溢れる先輩たちがいました。
 僕も、そんな優しい先輩でありたいと思う。
 自分から声をかける先輩に。



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職業

 青年にとって、職業の悩みは大きい。
 自分には、どういう職業が向いているのか。今の職業で、いいのだろうか--こう悩む人も多いにちがいない。
 私も青年時代に、悩んだ。
 はじめ私は、戸田先生の出版社で少年雑誌の編集をした。あこがれの職業であった。しかし、経営が悪化し、雑誌は廃刊。
 私の仕事は、一番嫌いな金融の仕事に変わってしまった。しかも、月給さえもらえない時期が続いた。冬になっても、オーバーも買えなかった。しかし私は、文句など一言も言わなかった。願いはただ戸田先生の苦境を打開することであった。そのために、ひたむきに働いた。
 私は、戸田先生を我が師匠と決めていた。一度そう決めたのだから貫くしかない。師弟は、「弟子がどう戦うか」で決まる。戸田先生も、牧口先生を師匠と定めたゆえに、ともに牢獄に入り、辛酸をなめ尽くされた。
 しかし、戸田先生は「あなた(牧口先生)の慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました」と感謝を捧(ささ)げられたのである。何と崇高(すうこう)な弟子の姿か。これが「本物」の師弟である。師弟は弟子で決まる。
 戸田先生は、職業の悩みをもつ青年に対し、こう指導されていた。
 「職業を選ぶ基準。これは三つある。すなわち美・利・善の価値だ。『自分が好き(美)であり、得(利)であり、社会に貢献できる(善である)仕事』につくのが、だれにとっても理想である。しかし、実社会は、君たちが考えるほど甘くない。はじめから希望通り理想的な職業につく人は、まれだろう。思いもかけなかったような仕事をやらなければならない場合のほうが多い」
  たとえば――。
 “生活ができて、社会の役に立つが、どうしても向いていない、好きになれない”(利があり、善だが、美ではない)
 “「好き」で「人の役に立つ」職業でも、食べていけない”(美と善があっても利がない)
 “「もうかって」「好き」な仕事でも、社会の迷惑になる”(利であり、美であるが、悪である)
 このように、現実には「美」「利」「善」の三つの価値は、なかなかそろわない。特に今は、不景気でもあり、就職の困難は増している。
 それでは、どうすればよいのか。戸田先生は教えられた。
 「こういう時、青年は決して、へこたれてはいけない。自分の今の職場で全力を挙(あ)げて頑張ることだ。『なくてはならない人』になることだ。
 嫌な仕事から逃げないで、御本尊に祈りながら努力していくうちに、必ず最後には、自分にとって『好きであり、得であり、しかも社会に大きな善をもたらす』仕事に到着するだろう。これが信心の功徳だ。
 それだけではない。その時に振り返ると、これまでやってきた苦労が、ひとつの無駄もなく、貴重な財産として生きてくるのです。全部、意味があったとわかるのだ。私自身の体験からも、こう断言できる。信心即生活、信心即社会であり、これが仏法の力なんだよ」と。
 戸田先生は、不世出(ふせいしゅつ)の天才的な指導者であられた。先生の言葉の正しさは、私の経験からも本当によく実感できる。
 自分が今いる場所で、勝つ以外にない。
 仏法でも「本有常住(ほんぬじょうじゅう=本来そなわっていて、三世にわたって存在すること)」「娑婆即寂光(しゃばそくじゃっこう=現実の娑婆世界が、本来、仏の住する素晴らしい世界であること)」と説く。
 その場で光ることである。当面の仕事を避けないで、全力で頑張り抜いていけば、必ず、一番よい方向へと道が開けていく。
 やがて“これまでの苦労には、全部、意味があった。すべて、自分の財産になった”--こうわかるようになる。その時こそ、諸君は勝利者である。


1995.7.1掲載
7・3記念の本部幹部会、学生部総会でのスピーチ

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