かつて私は創価大学の一期生の諸君に申し上げた。
 さまざまな人生がある。しかし何があっても、諸君は一生涯、大切な、わが創大生である。このなかで、もしか犯罪を犯して牢獄へ行く人がいたとしても、それでも私は諸君の味方である。親は子どもがどうなっても親である。牢屋に入れられたなら、その牢に見舞いに行ってあげたい――と。それが創立者としての私の真情である。


『創立者の語らい』vol.5
1996.11.3
創価教育同窓の集い


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 大学1年の夏の夜。
 

 「絶対ないけど、大河がもし犯罪者になっても、信じるよ」


 うれしかった、と同時に、人ってここまで人のことを思えるんだって思い知らされました。
 赤の他人なのに。ただのクラブの後輩なのに。学年だって1コしか違わないのに。
 いろんなことに、少し斜に構えてた自分だったけど、こんなあったかい一面があるなら、人間って信じてもいいな、と。そんな風に思い直しました。

 この言葉を、学園だったか、創大で聞いたか読んで知っていたから、先輩に「創立者」を感じたんです。
 創立者の精神を、心を、たしかに感じました。
 
 創大生活6年半、人間の心を感じたって意味では、一番大きな出来事の一つです。


 「創大生として、友だちとして、先輩として、こうありたい」

 そう、強烈に命に刻んだ出来事です。


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