広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

人生

「信念の人生」

 「信念の生き方」と「人気とりの生き方」は、まったく違う。
 東京で言えば、山手線と中央線くらい、「路線」が違う。
 こうすれば、どう見られるかな、どうなるかな――そういうことだけ考えて、人によく思われるように、うまく泳いでいく。
 それは楽なように見えて、あまりにも浅く、わびしい生き方である。状況が変われば、それにつれて、自分も翻弄されていく。何の不滅の価値も残さず、時代とともに、色あせていく人生である。
 「信念の人生」は、正義のためならば、何と言われようが、どんな迫害を受けようが、屈しない人生である。「信念に生き抜いた人」が最高の人格者である。不滅の価値、不滅の光を後世に残していける。
 いじめられても、ののしられても、貫くべき「人間の道」を貫いていく。その分だけ、多くの人が、その「道」に続いてくる。その分だけ、多くの人を救えるのである。


1994.11.14
東京・創価学園創立27周年記念の集い


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 今の俺には痛すぎるご指導。
 
 変わろう。

 「人間の道」を。


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自分らしく、堂々と、希望に向かって

 大切なのは、「勇気」である。「努力」である。それこそが「栄光」を生み、「勝利」を生む。
 人生はマラソンである。途上で、皆に少しくらい後れをとったとしても、焦る必要はない。最後に勝てばよいのである。ゴールで勝利のテープを切る人が、本当の勝利者である。そのために、明日から再び、着実に努力し、自分らしく、堂々と、希望に向かって歩んでいただきたいと申し上げお祝いのスピートとしたい。
 くれぐれも身体を大切に、きょうは本当におめでとう!


1994.3.16
創価学園卒業式
(創価中学・高校24期、関西創価中学・高校19期)


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ロスの飛行機雲

314


 飛行機雲は――
 高く飛ばなければできない。
 早く飛ばなければできない。
 前へ前へと飛び続けなければできない。
 この日、アメリカ創価大学の空は、ひた走った人の大満足の心のように、青く、どこまでも晴れ渡っていた。
 このキャンパスからも、平和の人材が、世界の大空へ陸続と離陸している。
 使命の若人たちが、これから一生をかけて綴りゆく「白銀の軌跡」。それは、いつの日か、ぐるぐると何重にも地球を包み、あらゆる人々の善意と善意を結んでいくことだろう。
 その時に――平和は来る。

 私は思う。限りある人生。どうせ生きるならば、後に続く誰かの胸に、一筋の光路(こうろ)を焼きつけて翔(か)け抜けたい。
 「あの人の生きたように」
 「あの人の生きたように」と。


1999.12.12
池田名誉会長の写真紀行 光は詩う
第10回 ロスの飛行機雲


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京都の「紅の秋」

京都の「紅の秋」

 「燃えて生きよ」と告げていた。
 「ひた紅に生きてみよ」と歌っていた。
 華よりも華やかに、金襴の錦よりも豪奢に、京の秋色(しゅうしょく)は、柔らかな炎を噴あげていた。
 光の具合によって紅葉(もみじ)の枝に、金、銀、瑠璃、玻璃(はり)、瑪瑙(めのう)、珊瑚、赤真珠。七宝の輝きが、全部見えた。

 秋の京都は、久しぶりだった。
 昭和六十一年の十一月。京都の青年平和文化祭に出席するためである。
 文化祭の日の午前、友のすすめで、洛北の錦秋の庭を、しばし歩いた。
 天を衝く北山杉や、苔むした庭石の緑の上にも、落葉の緋色が鏤(ちりば)められている。紅葉(もみじ)を透かして見る空は、一足ごとに万華鏡のように変化し、青空は小さな無数の青の花びらとなって、赤の舞踏と戯れていた。

 「春は桜、秋は紅葉(もみじ)」
 自然を友に暮らした王朝人は、心まで、その色に染めなして生きた。
 光源氏の君の、あの絶唱。
 運命の人・藤壺の中宮を喪った時、彼は底なき悲しみを古歌に託した。
 「深草の野べの桜し心あらば
   今年ばかりは墨染に咲け」
 野べの桜よ、心あらば、この春ばかりは喪の色に咲け、わが心の色に染まりて咲け。
 紅葉もまた、心を映して咲いた。
 あるときは人生の慶事に纏う紅衣(ころも)となり、交歓の宴の帳となり、平穏な温もりの灯(ひ)ともなった。
 またあるときは修羅の雷火の色となり、鬼女の紅涙ともなり、身を焼く愛染(あいぜん)の焔となった。
 何より、王朝文化の華麗の底には、死を見つめ、人生の無常を見つめる仏教哲学の根があった。
 「死を見つめてこそ、生は輝く」。秋の紅葉(もみじ)は、その象徴であった。

 紅葉(こうよう)は、葉の熟年であり、老年と言える。
 「もみじ」は、本来「もみづ」(もみいづる)という動詞だという。秋の風や時雨が、ひと葉ひと葉の中から、それぞれの色を「揉み出して」いく。人も年齢とともに、よきにつけ悪しきにつけ、心の底のものが表に出てくるように。
 秋が暮れると、葉の中の葉緑素は壊れて、緑は消える。すると、緑は消える。すると、緑に隠れて見えなかった黄色の色素が表に出てくる。これが黄金(きん)の葉となる。
 紅い色素は、葉の中の糖分が変化したもの。日光による光合成でできた糖だ。いわば「自分の体に貯えた太陽」を燃やしているのが紅葉(こうよう)なのである。
 蛍が、わが命の中の光を振り絞り、吐き出し尽くして、逝くように――。
 秋という蒔絵を彩る木の葉の朱も金箔も、生涯の最終章を飾る渾身の光だ。
 千葉(せんよう)が舞い、万葉が謡う、生の最後の祭りなのだ。

 紅葉(もみじ)は、自らの姿で語っている。
 「人よ、あなたよ、炎(も)えて生きよ。死ぬほど生きよ。ひた紅に生きてみよ。
 生命に貯えた人生の春を燃やし、夏を燃やし、悩みを燃やし、惑いも焼き切り、希望を燃やし、全知全能を燃やし尽くして、生きてみよ。
 いのちある限り、前へ前へ、年とともに、いよいよ華やげ。最後の最後のその日まで、鮮烈に、前のめりに、死を焼き滅ぼすくらいに激しく生きよ。
 その炎が、古き後悔も傷も、過ちさえも浄化する。その聖火こそが、次の世までも照らしゆく光となる。夕焼けの荘厳が、明日の晴天を約束するように」と。
 紅葉(もみじ)は、木々の夕映えなのだ。

 庭を行くと、池にも、遣水(やりみず)にも、楓(かえで)が散り掛っていた。
 色葉匂えど、ちりぬるを。
 水を染めて浮かぶ紅。水の底に沈む紅。水に影を映す紅。三重(さんじゅう)の絵重(えがさ)ねが、流れに揺れては砕けた。
 身を一部、朽ちさせた葉もあった。しかし、病めるとも、負けずに燃えていた。
 病は死とは違う。病は生の一部なのだ。だから人生、病む日もある。病と心と、どっちが勝つかの競争だ。がんの告知をされて、ある女性は宣言した。「私の本当の人生が、きょう始まりました」と。

 私は思う。苦しみを耐え抜き、乗り越え、格好わるく、もがきながらも、気取りも、小さなプライドも捨てて、すさまじく命を燃やし切る。そこにこそ人間の尊厳があり、喝采を贈るべき勝利があると。
 ある葬儀。遺族は「父は一生を立派に戦い、逝きました。きょうは晴れの門出です」と、涙の万歳三唱で送り出した。
 ある欧州の青年は、ファシズムと戦い、牢獄での拷問にも耐え抜いて死んだ。人目を避けた、近しい人だけのわびしい埋葬。捧げる花もない。荒れ野の片すみに彼を埋める瞬間、一人が思わず拍手を鳴らした。皆が、「そうだ、友よ聞け」。彼の美しき人生に熱い拍手を捧げ続けた。
 見上げると、楓も掌(てのひら)の形をしている。燃え尽きた一葉(いちよう)が枝を出発(たびだ)つ時、見送る仲間は喝采を贈るかのように、風に、さんざめくのだろうか。

 庭にいたのは二十分ばかりか。
 御礼を言って立ち去ると、やがて雨が降り始めた。雨もまた良い。
 冷たい時雨に降られるたびに、紅葉(こうよう)は、いよいよ華やかに、いよいよ深き色に染まるからだ。
 京の染色が、染汁(そめじる)に何度もつけて、紅を八入(やしお)に染めていくように。

 夕には青年文化祭。古都に、新しい力が燃えていた。
 「この炎を、君よ生涯」と祈らずにいられなかった。
 楓は「心は変えで」の樹とも詠まれた。誓いを深く胸に染め、「変わらぬ心」の象徴でもあったのだ。
 無常の人生だからこそ、「変わらぬ心」で、ひた紅に生きる。そこに京都の美の心があり、日本の美の真髄があろうか。その心を今、だれよりも真実に生きているのが、わが友であると信ずる。
 人々の幸福のために、身の平安もかえりみず、軽侮(けいぶ)の時雨にも耐え、そしりの霜にも耐え、誇り高く燃えて生きてきた、あなたたち。
 ただひたすらに「きょうもまた、あすもまた」と。「きょうもまた、あすもまた」と。
 その真紅の人間絵巻こそ、いかなる紅林(こうりん)にもまさる絢爛の錦である。


1999.11.28
池田名誉会長の写真紀行 光は詩う
第8回 京都の「紅の秋」

桜樹燦爛

枝垂れ桜

 花に心あらば、何を思って咲くのだろう。
 花に言葉あれば、何を語ってくれるだろう。

 創価大学の枝垂れ桜。
 光が「紅の滝」のように垂れていた。紅は燦々と輝き、爛々と燃えて、麗春の喜びを、命いっぱいに歌っていた。
 四月も半ばを過ぎ、都内では、すでに葉桜の季節になっていたが、大学の若き枝垂れ桜は、今が「花時」であった。
 竹林のある静かな庭に、ゆったりと花の波、花の滝。花の衣に花錦。
 創価大学の緑は、武蔵野の自然を残すとともに、創立の後も、何かにつけて樹を増やしてきた。
 「年々歳々、樹々が育つように、若き学徒よ大樹に育て」と祈りつつ。

 木を植えるは、十年の計。
 人を育てるは、百年の計。
 各地の桜の名所も「次の世代の人たちを喜ばせたい」。そういう気持ちの人たちがいたからこそ、今、花を楽しめるのではないだろうか。

 私のふるさと大田の多摩川のほとりにも、有名な桜並木がある。
 流れに沿い、堤に沿って、にぎやかに万朶(ばんだ)の春を展(ひろ)げる、平和の園となっている。そこにも、ひとつのドラマがあった。
 その昔、多摩川は決壊を繰り返す「暴れ川」であった。
 大正七年から、政府は多摩川の下流の治水工事を推進した。
 昭和四年春、十余年におよぶ工事が竣工しつつあったが、河口から二〇キロにおよぶ地域は、雑草が茂るままであった。今の大田文化会館のあたりの両岸がそうである。
 さて、この土地をどうするか――町長は「屋根替」のために「茅」でも植えようかという。
 すると、ある人いわく「茅の恩恵を受ける人は少数だ。長堤に植えるのは桜です。百年後の桜の名所をつくるんです」。春は花、夏は緑。「京浜地域の幾百万の健康道場」にすべきだというのである。
 彼、河野一三(かずそう)氏の無私の情熱が、多くの人を動かして、障害を乗り越え、雑草の堤は、桜の公園に生まれ変わった。そして戦火にも負けず、生き抜いて、今、二十一世紀を迎えんとしている。「百年後の桜の名所を」との尊き思いの通りに。
 河野さんは、学会の文芸部員として活躍された娘さんの勧めで、晩年に学会員となられた。

 近代日本の桜は、しかし不幸な歴史を背負ってきた。桜は「軍隊とともに歩んできた」とさえ言われる。
 昭和九年、私は羽田の第二尋常小学校に入学した。一年生の国語の教科書の冒頭は「サイタ サイタ サクラガ サイタ」。
 前年にできた新国定教科書である。その続きには「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」とあった。
 「いさぎよく、桜の花のように」とか「散華の美学」とか、そんな言葉にだまされて、どれほど多くの若き命が散ったことか。青春の盛りを散らされたことか。

 今なお「引きぎわが、いさぎよい」ことを称える淡白さが、日本にはある。しかし、それで自分はよくても、どうやって「大事」を成し遂げられようか。
 命あるかぎり――いな、命の力が萎えようとする時でさえ、新しき生命力を、空から、雲から、大地から、樹々から吸い取ってでも生きねばならぬ。志を遂げねばならぬ。
 栄誉もいらぬ、名もいらぬ、富貴もいらぬ、理解もいらぬ、ただ己の「ひとすじの道」に、かじりついて、ぶざまなまでに悪戦苦闘を重ね重ねて、二十年、三十年、四十年を貫き通していく。
 それこそが「勇気」ではないか。
 
 若き君よ、理想の華を散らせてはならぬ。生あるかぎり「もう、これまでだ」などと言うな。少しくらいの苦労で「人間とは、世間とは、こんなものだ」などと言うな。
 君が純粋であればあるだけ、誤解と攻撃が、山とのしかかることもある。心に合わない仕事をしなければならないこともある。
 しかし、意のままにならないからこそ、修行なのだ。そこで奮闘してこそ、「苦を転じて楽となし、敗北を転じて勝利となす」痛快さも味わえるのだ。
 安穏は魂を殺し、順調は魂を殺し、自己満足は魂を殺す。
 心から血を流したことのない人間が、どれほど、つまらないか。どん底を見たことのない人生が、どれほど味気ないか。
 つまずき、立ち上がるたびに、本当の人生を学べるのだ。耐えて生きている人の心もわかるのだ。
 踏んだり、蹴られたりしなければ、精神がふやけてしまう。
 強い人間は、不幸さえも楽しんでいけるのだ。

 枝垂れ桜は「糸桜」。朱い糸で、春の風景画を織りなしている。
 樹下の花陰に立って見上げたなら、天人(てんにん)の爪繰(つまぐ)る紅玉(ルビー)の玉簾(たますだれ)が青空から降りてきたと見えるだろうか。
 桜の花は、実は、若い青春の開花ではないのだという。
 花が咲くのは「一年の最後の宴」なのだという。
 花を散らした後、桜は次の年の「花芽」をつくり始め、夏には、ほぼできている。そして秋を越え、冬を耐え、春を待って、それまでの一年の努力を、最後に、にっこりと咲かせるのである。

 人も、一生の最後に花咲けばよい。途中は全部、準備にすぎない。
 最後に花咲けば、一生は幸福。
 最後の数年が「心の花の宴」なら、人生劇は勝利。
 わが恩師の一生もそうであった。
 何度もすべてを失いながら、戦い、戦い、すでにない命を延ばし延ばして生き抜き、勝って――「桜の咲くころに」莞爾(かんじ)として逝かれた。これで胸を張って牧口先生にお会いできると。「巌窟王」の執念の恩師であった。
 その恩師の逝去の日「四月二日」を、私は「創価大学の創立記念日」と決めた。その意味を、若き学徒は、かみしめてくれるに違いない。
 今年もまた師弟の勝利の「四月二日」が来る。
 燦爛と、魂輝く春が来る。


2000.4.2
池田名誉会長の写真紀行 光は詩う
第23回 桜樹燦爛(おうじゅさんらん)続きを読む
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