広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

人間革命

幸福は魂の中にある

人生は
幸福と不幸との戦いである。
人生は
正義と邪義との戦いである。
そして
善と悪との戦いである。
宿命との戦いである。
人間革命の戦いである。

戦い抜いた人
学び抜いた人が
勝利者の大道へと
歩み進む。
足どりも軽い。
険しき山河がありても
すべてを悠々と
汝自身の幸福へと
深く人間の価値を
知りながら進む。

そこには喜びがある。
そこには満足がある。
そこには後悔はない。
そこには痛快な
諸天に囲まれた
勝者の姿がある。

王宮(おうぐう)に生まれても
幸福の達人にはなり得ない。
著名な名門の家に生まれても
必ずしも
幸福はついて来ない。
巨万の富のある環境にあっても
不滅にして満足の幸福は“
絶対にあり得ない。
これが現実だ。
これが歴史だ。
これが人生だ。

若々しく
希望の光に包まれた
貴女の闘争の力こそが
すべてを
幸福に変えていくのだ。

それが
人生と宇宙の法則にかなった
若き躍動の
春の命であるからだ。
その先には
あらゆる命運を乗り越えて
確固たる
広大にして幸福な空間がある。

春四月
掲げられた
桜の絵を見ながら
私は語った。
「木も大きな花を咲かせ
皆の心を楽しませてくれる。
人間も
何か人のために
ならねばならない」

私は即座に
その絵の脇に
「春だ
  桜だ
   人生だ」
と認(したた)めた。

幸不幸は
人生の戦いだ。
宿命との戦いに
勝ちゆく人生が
尊いのだ。

それには
学ぶことだ。
戦うことだ。
勝つことだ。
前進することだ。
忍耐強く歩み抜くことだ。
弱い自身の生命を
強力な生命に変えゆく
人間革命をすることだ。
幸福は
魂の中にあるからだ。


2006年7月28日

21世紀の花 爛漫 大切な女子学生部に贈る
「学びゆく乙女に 幸よ 多かれ!」より抜粋


*******


 毎日生きていく中で、自分の幸せに目が眩むようになることがあります。
 それほど今の僕は幸せを感じています。
 一緒に生きてくれる人(たち)がいるからです。

 夢のために勉強ができ、大好きなバスケがあり、愛する人がいて、最高の信仰を持っている。
 師匠・池田先生に毎日励まされ、心配し応援してくれる同志がいる。
 1日に何回も何回も「ありがとう」っていえる。
 
 けれども、よく連絡を取っている友人の職場環境の厳しい状況を聞き、はっとさせられたのです。
 僕だけ幸せを感じていても全然面白くない。それだけじゃあ意味がない。悲しくて仕方ない。

 すぐに状況は変わらない。自分が変わらなきゃ変わらない。彼が変わらなきゃ変わらない。
 でも、一緒に祈れる。一緒に考えられる。一緒に学べる。一緒にがんばれる。
 それがもう、人間革命であり、幸せなんだと思いました。

 大好きな長編詩「大空を見つめて」の一節を思い起こします。

*******

最後の一歩まで
断じて退くな!
幸福は 前にあるからだ
後ろに引き下がる青春は
自らの宝を
捨て去ってしまうからだ

断じて 前へ進め!
断じて 前へ歩め!
断じて 前へ行け!
必ず そこには
希望と金の汗と
勝ちゆく鼓動と
満足の魂の輝きがある

*******

 幸福は、前進する人の、何があっても前進し続ける人の魂の中にあることを確信します。

 今日も学びます!!
 今日も学びましょう!!

広宣流布の前進

 仏法が焦点とするのは、あくまでも一人の「人間革命」である。
 一人、真剣に広宣流布の戦いを起こす人がいれば、一切がダイナミックに変わり始める。
 だから、どんなに地道であっても、最前線の一人を励まし抜くのだ。人と人との距離が近ければ近いほど、共感も、歓喜も、勇気も、いち早く波動となって広がっていく。そして心の奥深くにまで響いていくのである。
 広宣流布の前進は、人と会い、人と語りゆく行動のなかにしかない。


2008.10.24付
随筆 人間世紀の光169


*******


 「広宣流布」を口にする人は少なくない。

 「広宣流布」を語る人は少ない。

 「広宣流布」に徹する人になりたい。


 学部時代、勉強やサークル活動等、「何でも広宣流布につながる」という人が何人もいました。
 たしかに、そういえる面もあるかもしれない。なぜなら、広宣流布は、社会のあらゆる領域で仏法を持つ人々が人間革命しつつ、進めていくものだと考えるからです。
 しかし、折伏が広宣流布の本質的な要素であることは間違いない。それは、「広く宣べ、流布する」対象が御本尊であり、題目であることから明らかです。

 では、折伏以外の行動は「何でも広宣流布につながる」のかどうか。
 僕は、当たり前ですが、「一念」に着目したい。特に、その行動が「何のためか」という点です。
 単に自己の欲望を満たすための行動が広宣流布につながるはずもない。「自己実現」などという言葉に言い換えてみても、それは変わらない。

(マズローのいう理想的な善の人格形成といった意味を含む本来の「自己実現」を指していない。その場合は「人間革命」の理念と類似する。ただ、現在のマスコミ等で使われる「自己実現」は「自分の夢を実現すること」ないし「満足できる自分自身になること」といったニュアンスで使われていると感じている。)

 何のための「行動」か、何のための「自己実現」か。
 それが、「自身の幸福のためだけ」であれば、広宣流布へはつながらない。
 
 「自他共の幸福のため」

 「広宣流布のため」

 「人間革命のため」

 その一念に立って、行動するとき、「何でも広宣流布につながる」。


 その一念は、朝晩の勤行・唱題の中で生まれ、勇気となり、智慧となり、慈悲となって、現実の行動――なかんずく人との対話が生まれる。広宣流布の前進となる。
 そうして行動する中で、広宣流布への一念は、確固たる誓願に昇華されていくと思います。
 

先生の構想は、必ず実現してみせる!

 人生の戦いも、広布の活動も、すべては強き決意の一念によって決まる。
 敗北の原因も、障害や状況の厳しさにあるのではない。自己自身の一念の後退、挫折にこそある。
 山本伸一が会長に就任して以来、未曾有の弘教が成し遂げられてきた源泉も、彼の確固不動なる一念にあった。それは戸田城聖の弟子としての、誇り高き決定した一心であった。
“先生の構想は、必ず実現してみせる!”
 それが、伸一の原動力であり、彼の一念のすべてであったといってよい。
 伸一には、障害の険しさも、状況の難しさも、眼中になかった。困難は百も承知のうえで、起こした戦いである。困難といえば、すべてが困難であった。無理といえば、いっさいが無理であった。
 人間は、自らの一念が後退する時、立ちはだかる障害のみが大きく見えるものである。そして、それが動かざる“現実”であると思い込んでしまう。実は、そこにこそ、敗北があるのだ。いわば、広宣流布の勝敗の鍵は、己心に巣くう臆病との戦いにあるといってよい。
 伸一は今、一人ひとりの一念の変革を成そうとしていた。人間革命といっても、そこに始まるからである。


『新・人間革命』仏法西還の章

→この言葉の一節全てはコチラ

人間革命の絶対的要件

青春とは 苦悩の連続でいいと思う

 そこにのみ

人間革命の絶対的要件があるからだ


『若き友へ贈る』

内なる悪を自覚し、外なる悪と戦う

 提婆達多は、釈尊が皆から尊敬される姿だけを見て、釈尊の「内なる戦い」を見ようとしなかった。苦悩の人々を救うため、全人類に自分自身の生命の宝を気づかせるために、釈尊が日夜、人知れず、どれほど苦心していたか。どれほど自分自身と戦い、苦労に苦労を重ねていたか。その苦闘を彼は見ようとしなかったのです。
 なぜ見えなかったのか。それは彼自身が自分との戦いをやめていたからでしょう。「内なる悪」を自覚し、その克服に努力しなければ、とたんに悪に染まってしまう。その意味で、「善人」とは「悪と戦っている人」です。外の悪と戦うことによって、自分の内なる悪を浄化している人です。この軌道が人間革命の軌道です。


『法華経の智慧③』
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