広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

信心

「われ一人正義の旗持つ也」


正義


 第3代会長を辞任した私は、30年前の5月5日、神奈川文化会館で、「正義」そして「われ一人正義の旗持つ也」と認めた。
 あらゆる嵐を突き抜けて、勝利する原動力は「師弟」の精神しかない。
 その師弟の絆を断ち切ろうとする邪悪と、誰が戦うのか。
 誰が、師の魂を護るのか。誰が、師の哲学を、現実社会に打ち立てるのか。
 弟子と名乗るならば、ただそれだけを、わが胸に間うべきだ。
 いざという時に、卑怯な心であっては、永遠にに悔いを残す。
 創価学会の世界は、信心の世界である。
 広宣流布の世界である。
 真に幸福になるための世界である。
 ゆえに、悪い人間をのさばらせて、正直な人間が苦しむような世界であっては断じてならない。
 虚偽や不正の人間と戦い抜いてこそ、本当の同志の和合僧ができるのだ。
悪と戦えない、臆病な指導者であってはならない。幹部は心していくのだ。


2009.5.1付
5・3祝賀最高代表協議会スピーチ


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中途半端でなく わが道に徹せよ

 きょうは、日本の、そして世界的な芸術家も集まっておられる。
 芸術部の皆様、そして、スポーツ界で奮闘される皆様、ご苦労様です!
 皆さんの姿を見ると、元気になる。さらなるご活躍を、大勝利を、全同志が一生懸命、祈り待っています。心から応援しています。
 もちろん、人生には、勝てない時もある。苦難に押しつぶされそうな時もあるだろう。
 しかし、「心」は断じて負けてはならない。「将来」は断じて負けてはならない。勝つための仏法である。
 格好ではない。まずは真剣に題目をあげてあげてあげ抜くことだ。
 題目を唱えれば、生命力がわき上がり、表情もパッと明るくなる。ジェット機のように、ぐんぐんと上昇することができる。“生命のエンジン”が勢いよく回転していくのである。
 何事も一番を目指せ! 自分に勝て! 「どうだ! わが勝利を見よ!」と胸を張れる歴史をつくるのだ。そう言える人生は、気持ちがいい。
 信心半分、仕事半分という中途半端では、絶対にだめだ。自ら決めた栄光の目標に向かって、信心に徹し抜き、仕事も練習も、徹し抜くのだ。その人が勝つ。最後に勝つ。
 勝とう! わが使命の本舞台で!


2007.9.22
第1回全国青年部幹部会


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広布の重責を担い立て

 諸君の成長は、「日本の希望」である。そして、諸君は「学会の宝」である。
先輩の皆さんも、学生部の諸君に、さまざまなことを期待し、希望を寄せている。きょうは、その先輩の期待の一端を、そのままお伝えしておきたい。
 第一番目に、情熱をもって信心に取り組み、学業に進み抜いていただきたいということである。
 次に、目的観をもって進んでもらいたい。また、大志を抱いて、人生を生ききってもらいたい。
 最後に期待することは、偉大なる人材へと、すくすく育っていただきたいということである。学生部の皆さんは、学会内でも重要なリーダーとして活躍してもらいたい。あらゆる分野で、伸び伸びと、広宣流布の重責を担い立つ人材になっていただきたい。
 日蓮大聖人の御金言に「蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり身の財よりも心の財第一なり」(御書1173㌻)との仰せがある。
 「蔵の財」とは、名誉や財産にあたる。それは、自分自身の外にあるものであり、限りのあるものである。
 「身の財」とは、たとえば、知識の蓄積です。これは、勝利の人生を開く、一つの基盤になる。
 「心の財」とは、つきつめていえば、信心である。信心が根本でなければ、真実の幸福を実現することはできない。
 信心を根本にしながら、身の財を蓄えていったときに、幸福と勝利への道が開かれていく。どうか、「信心第一」を合言葉に、未来の総会まで、しっかりと頑張っていただきたい。
(要旨)


学生部結成50周年記念指導集『先駆の先陣』
1959.6.28 第2回学生部総会



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諸法実相は「現実を変革する」哲学

須田 そういえば、大聖人は、諸法実相について述べられた主な御書で、必ず御本尊への信心の「実践」を強調されていますね。
名誉会長 それは大切なことに気がついたね。
須田 例えば「諸法実相抄」には、「一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ」「行学の二道をはげみ候べし」(御書1261㌻)とあります。
 「日女御前御返事」には、「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤(もっと)も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす」(御書1244㌻)と仰せです。
名誉会長 大聖人の仏法の根本は「信心」です。信を根本にしての「如説修行」です。
斉藤 同じ法華経を拠り所としながら、この「修行」を見失ったのが、大聖人当時の天台宗です。
 “衆生は本来、仏なのだ。そのままで仏なのだから、どんな欲望も、どんな現実も、そのまま肯定していいのだ”と。
名誉会長 諸法実相の曲解です。
 修行の放棄であり、現実への追従です。
 諸法実相は、平板な「諸法イコール実相」ではない。
 諸法即実相、実相即諸法。その「即」は「イコール」ではない。大聖人は「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(御書732㌻)と仰せです。一瞬たりとも停滞せず、顕現し、冥伏し、創造し、拡大してやまない生命のダイナミズムが「即」の一字には込められているのです。
 諸法即実相といっても、あくまで仏が見た究極の真理です。迷いの凡夫が見る現実とは隔たりがある。ゆえに「人」は「真理」の実現へ向かって、絶えず近づかねばならない。それが「修行」です。諸法実相という「理想」に向かって、絶えず「現実」を超えていかねばならない。それが「変革」です。
 この挑戦を忘れると、諸法実相という立派な法理を隠れミノにして、人は現実に埋没し、無気力になってしまいます。
 これは恐ろしいことです。
 無気力は、権力者を野放しにする素地になるからです。権力者の側からすれば、こんなに支配しやすいことはないのです。どんな悲惨な現実があっても、その現実を民衆が肯定し、受け入れてくれるのだから。
 本来は、その反対に、生命の道に背く権力者を諫めるのが諸法実相の智慧です。それは大聖人の実践に明らかです。
遠藤 天台宗は、法華経の「開会(かいえ)」の法門を曲解して、何らかの利益があると思えば、どんな教えも真実だと主張しました。
 “念仏も、真言も、禅も、すべて法華経だ。そう信ずるのが修行なのだ”と。
 「当世・天台宗の開会の法門を申すも此の経文を悪(あし)く意得(こころえ)て邪義を云い出し候ぞ」(御書1139㌻)と大聖人は仰せです。
須田 いわゆる「本覚思想」ですね。
 大聖人は、こうした邪義と厳しく戦われました。
 「如説修行の人と申し候は諸乗一仏乗と開会しぬれば何(いず)れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし、念仏を申すも真言を持つも禅を修行するも総じて一切の諸経並びに仏菩薩の御名(みな)を持ちて唱るも皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは云われ候なり」(御書502㌻)と彼らの主張を挙げられたうえで、「然(しか)らず」(同)――そうではない――と破折されています。
名誉会長 人それぞれ良いと思っていれば、どんな教えも同じ――こうした宗教者の驕りと怠慢が、今の日本の精神風土をつくってきたとは言えないだろうか。
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なぜ、御書を学ぶのか


「なぜ御書を学ぶのか」
 
「それは、退転しないためである。生涯信心を貫くためである」


大白蓮華2010-10
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