広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

勇気

創価の魂は「勇猛精進」

この人生
 溢れんばかりの
  勇気 持ち
 己が使命を
  断固と果たせや

 真の勇気にとっては なにごとも不可能ではないーこれは、若きアレクサンダー大王の大確信であった。
勝利の歴史は、勇気ある前進から生まれる。
 私たちが朝な夕なに読誦する法華経の方便品には、「勇猛精進」と説かれている。師・釈尊が弟子・舎利弗に、自ら過去世において「勇猛精進」を貫いてきたことを語られたのだ。
 さらに宝塔品では、未来世の大難のなか、妙法を持つ弘めゆく「勇猛精進」の弟子を、諸仏が誉め讃えると宣言されている。
 「勇猛精進」こそ、仏道修行の根幹であり、師弟不二の証しなのである。我ら仏勅の創価学会は、1930年(昭和5年)の11月18日の創立以来、初代も、二代も、そして三代も、「勇猛精進」で勝ってきた。これからも、永遠に勝ち抜いていくのだ。


大白蓮華2008年11月号 巻頭言
創価の魂は「勇猛精進」


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 人生で最も必要なこと――それは勇気。
 勇猛精進(ゆうみょうしょうじん)という言葉は、法華経の中で出てきます。大聖人も3度言及されています。

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 法華経に云く「此の経は持ち難し若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す諸仏も亦然なり是の如き人は諸仏の歎めたもう所なり、是れ則ち勇猛なり是れ則ち精進なり是を戒を持ち頭陀を行ずる者と名く」(御書42㌻)

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 砕いて言えば、法華経という信じ持(たも)っていくことが難しいものを持っていくことを勇猛精進というんだと。

 どういう人間が唱題し、折伏し、法華経を持って弘めているのか。
 日蓮正宗の坊主たちは、折伏してんのかと。
 説法して法華講の人たちを教導しているといっても、自分は折伏しなくていいのかと。
 日蓮正宗内部の人間にだけ法華経を説いて、それで勇猛精進といえるのかと。
 
 日蓮大聖人直結の信心を継承していると自負する学会の幹部たるもの、絶対にそうであってはいけないと思います。
 勇猛精進でいきましょう!!


 勇猛精進の意義に関しては、先生も法華経方便品・寿量品講義の中で詳しく教えてくださっています。
 →「勇猛精進」

勇気の第一声を明るく朗らかに

 大聖人は「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(御書1361㌻)とも仰せである。
 広宣流布の拡大も、友のため、人びとのため、勇気の第一声を明るく朗らかに発することから広がる。


2010.9.21
随筆 我らの勝利の大道


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 どんなとき、どんなところでも、勇気の第一声を発するところから笑顔も信頼も生まれますよね!
 

「広宣流布」は、一人の「人間革命」から

 六十年前、「二月闘争」は、なぜ勝利できたのか。
 それは、目の前の一人を徹して誠実に励ましてきたことに尽きる。
 「広宣流布」は、一人の「人間革命」から始まる。
 決意した一人が、一人を立たせる。その一人が、さらにまた、もう一人を奮い立たせていく。勇気は勇気を呼ぶ。この「一対一」の決意の連鎖こそが、拡大の鉄則である。
 ゆえに、「誓いの一人」を多くつくっていくことが、爆発的な広布伸展の必要条件なのだ。
 戸田先生と同じ二月十一日生まれの発明王エジソンは語った。
 「あらゆるものには輝くダイヤが隠されている。磨けば光る」と。
 全員がダイヤの如き尊い人材である。同士は皆、信心の偉大さを証明する使命を持っているのだ。どれほど大切な方々か。
 そう思えば、最前線で苦労している皆様を励まさずにいられなかった。
 どうすれば皆が元気に戦えるか、思う存分に実力を発揮できるか、私は真剣に祈り、知恵を絞った。
 当時の蒲田の支部幹部では、私が一番若かった。人を集めて偉ぶって指導しても、誰が信用するか。自分が足を運び、顔を合わせ、寒風の中を一緒に歩く以外にない。


2012.2.8
随筆 われらの勝利の大道 68
新時代の二月闘争㊦


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 折伏した友人が今年、男子部で創価班大学校に入団しました。
 ほんとにほんとにうれしいです。
 彼が任用試験合格のときも、すごくうれしかったけど、今回のうれしさはまた格別でした。

 形式的に入団したこともうれしかったんですが、さらにうれしさ爆発だったのは、方面の入卒式で聞いた体験発表、活動報告がとても心に入ったらしく、彼が燃えていることです。
 
 
 僕も、燃えます!
 もう1度、燃えます!!
 

広宣流布の前進

 仏法が焦点とするのは、あくまでも一人の「人間革命」である。
 一人、真剣に広宣流布の戦いを起こす人がいれば、一切がダイナミックに変わり始める。
 だから、どんなに地道であっても、最前線の一人を励まし抜くのだ。人と人との距離が近ければ近いほど、共感も、歓喜も、勇気も、いち早く波動となって広がっていく。そして心の奥深くにまで響いていくのである。
 広宣流布の前進は、人と会い、人と語りゆく行動のなかにしかない。


2008.10.24付
随筆 人間世紀の光169


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 「広宣流布」を口にする人は少なくない。

 「広宣流布」を語る人は少ない。

 「広宣流布」に徹する人になりたい。


 学部時代、勉強やサークル活動等、「何でも広宣流布につながる」という人が何人もいました。
 たしかに、そういえる面もあるかもしれない。なぜなら、広宣流布は、社会のあらゆる領域で仏法を持つ人々が人間革命しつつ、進めていくものだと考えるからです。
 しかし、折伏が広宣流布の本質的な要素であることは間違いない。それは、「広く宣べ、流布する」対象が御本尊であり、題目であることから明らかです。

 では、折伏以外の行動は「何でも広宣流布につながる」のかどうか。
 僕は、当たり前ですが、「一念」に着目したい。特に、その行動が「何のためか」という点です。
 単に自己の欲望を満たすための行動が広宣流布につながるはずもない。「自己実現」などという言葉に言い換えてみても、それは変わらない。

(マズローのいう理想的な善の人格形成といった意味を含む本来の「自己実現」を指していない。その場合は「人間革命」の理念と類似する。ただ、現在のマスコミ等で使われる「自己実現」は「自分の夢を実現すること」ないし「満足できる自分自身になること」といったニュアンスで使われていると感じている。)

 何のための「行動」か、何のための「自己実現」か。
 それが、「自身の幸福のためだけ」であれば、広宣流布へはつながらない。
 
 「自他共の幸福のため」

 「広宣流布のため」

 「人間革命のため」

 その一念に立って、行動するとき、「何でも広宣流布につながる」。


 その一念は、朝晩の勤行・唱題の中で生まれ、勇気となり、智慧となり、慈悲となって、現実の行動――なかんずく人との対話が生まれる。広宣流布の前進となる。
 そうして行動する中で、広宣流布への一念は、確固たる誓願に昇華されていくと思います。
 

「広宣流布」とは

 「広宣流布」とは、全人類の平和と幸福を実現する大闘争である。
 それは、理屈でもなければ、格好でもない。
 「苦しんでいる人を、放っておけない」――この迸る思いで、悩める友のもとに駆けつけ、ともに涙し、ともに祈り、ともに立ち上がっていく慈愛と勇気の実践であるといってよい。
 その尊貴な庶民の熱誠の行動によって築かれた正義と栄光の城こそ、わが創価学会なのである。


『わが忘れ得ぬ同志』


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 広宣流布の実像を浮かび上がらせて頂いたような御指導です。

 僕は、「人間革命」にしても、「広宣流布」にしても、漠然とした意味の言葉として使っていると、「何のため」かが不明確になってしまうと思います。
 御書ないし仏法の教義から照らした定義を踏まえた上で、先生の御指導を通してイメージを明確にしておくことが、日々唱題し、活動するのが「何のため」なのか見失わずに前進する基盤になると考えます。
 
 「唱題根本」「日々成長」「生涯前進」「勝つ!」「同志と共に歓喜する」「困難を乗り越える」「悩みに負けない」・・・これらのようなものが僕の人間革命のイメージです。
 そして、その人間革命のドラマの連鎖反応が、僕の広宣流布のイメージです。

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