広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

勇猛精進

「勇猛精進」とは「信心唱題」

たゆみなく
 精進ありたる
  人こそが
 最後の勝利者
  永遠の勝利者

 日寛上人は、「勇猛精進」とは「信心唱題」であると示された。「依義判文抄」では「敢んで為すを勇と言い、智をつくすを猛と言う」「無雑の故に精、無間の故に進」と引かれている。すなわち、
 「勇」とは、勇んで行動すること。
 「猛」とは、智慧の限りを尽すこと。
 「精」とは、不純な雑じり気のないこと。
 「進」とは、間断なき前進また前進である。
 「日月天の四天下をめぐり給うは仏法の力なり」(1146㌻)と仰せの通り、妙法は天体をも動かしゆく本源のリズムである。
 その題目の音律を轟かせながら、苦難を乗り越え、たゆみなく前進しゆく生命は、大宇宙の最極の法則に合致していくのだ。

<中略>

勇猛の
精進ありて
勝ち戦
諸天を動かし
大河のごとくに


大白蓮華2008年11月号 巻頭言
創価の魂は「勇猛精進」


*******


 母に何度言われたかわからない。

――「唱題した人が勝つ」 「祈った人が勝つ」


 二乗的な合理的思考では、「勝つ」ってなんだよと突っ込みを(心の中でも実際にも)入れていた時期もありました。
 が、今となっては「ほぼ間違いない」と感じています。
 そこがまだ、圧倒的な体験に基づく絶対的な確信を掴んでいない僕の信心に対する確信の程度。
 
 でも、池田先生もおっしゃてるんだから、信じられる。
 僕の信心に対する確信は、先生がおっしゃているからという点で深くなっています。

 もっともっと確信を深めるために、目標を決めて、祈りを叶え、勝っていきたい。
 そして、僕の人間革命を通して、広宣流布を進めていきたい。
 自分も、家族も、友だちも、縁する人みんなを笑顔にしたい。幸せにしたい。

 だから、明日も祈ります!!!

創価の魂は「勇猛精進」

この人生
 溢れんばかりの
  勇気 持ち
 己が使命を
  断固と果たせや

 真の勇気にとっては なにごとも不可能ではないーこれは、若きアレクサンダー大王の大確信であった。
勝利の歴史は、勇気ある前進から生まれる。
 私たちが朝な夕なに読誦する法華経の方便品には、「勇猛精進」と説かれている。師・釈尊が弟子・舎利弗に、自ら過去世において「勇猛精進」を貫いてきたことを語られたのだ。
 さらに宝塔品では、未来世の大難のなか、妙法を持つ弘めゆく「勇猛精進」の弟子を、諸仏が誉め讃えると宣言されている。
 「勇猛精進」こそ、仏道修行の根幹であり、師弟不二の証しなのである。我ら仏勅の創価学会は、1930年(昭和5年)の11月18日の創立以来、初代も、二代も、そして三代も、「勇猛精進」で勝ってきた。これからも、永遠に勝ち抜いていくのだ。


大白蓮華2008年11月号 巻頭言
創価の魂は「勇猛精進」


*******


 人生で最も必要なこと――それは勇気。
 勇猛精進(ゆうみょうしょうじん)という言葉は、法華経の中で出てきます。大聖人も3度言及されています。

~~~~~~~

 法華経に云く「此の経は持ち難し若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す諸仏も亦然なり是の如き人は諸仏の歎めたもう所なり、是れ則ち勇猛なり是れ則ち精進なり是を戒を持ち頭陀を行ずる者と名く」(御書42㌻)

~~~~~~~ 

 砕いて言えば、法華経という信じ持(たも)っていくことが難しいものを持っていくことを勇猛精進というんだと。

 どういう人間が唱題し、折伏し、法華経を持って弘めているのか。
 日蓮正宗の坊主たちは、折伏してんのかと。
 説法して法華講の人たちを教導しているといっても、自分は折伏しなくていいのかと。
 日蓮正宗内部の人間にだけ法華経を説いて、それで勇猛精進といえるのかと。
 
 日蓮大聖人直結の信心を継承していると自負する学会の幹部たるもの、絶対にそうであってはいけないと思います。
 勇猛精進でいきましょう!!


 勇猛精進の意義に関しては、先生も法華経方便品・寿量品講義の中で詳しく教えてくださっています。
 →「勇猛精進」

厳しき日々であったとしても

 勇猛の唱題
 そして 精進の唱題の人には
 いかなる熾烈な怒涛の如き
 厳しき日々があったとしても
 その人を限り無く
 諸天は翼を広げて守り
 諸仏もまた
 大軍の如き力をもって
 守りゆくことは絶対なのである。


『青年の譜』贈言Ⅰ

勇猛精進

「勇猛精進して、名称普くきこえたまえり」(法華経方便品第二)

 この経文は、爾前・迹門の仏の修行が示されている文ですが、同時に、私たちの信心のうえでも大切な指針となります。
 まず、「勇猛」とは「信心」です。日寛上人は「六巻抄」で、「敢んで為すを勇と言い、智を竭すを猛と言う」とうい釈を引き、勇敢にして「信力」を励みつくすことが「勇猛」であると述べている。
 決意し、勇んで行じ抜くのが仏道修行です。昨日より今日、今日より明日と、勇んで挑戦していってこそ、修行が成就するのです。
 勇猛心がなければ、宿命の鉄鎖は断ち切れないし、障魔を打ち破ることもできない。私たちの仏道修行である勤行は、我が生命における挑戦と創造のドラマです。信心で勇み立てば、絶望と不安の闇が消え、希望と前進の光が注ぐ。この「勇んで立ち上がる心」こそ「信心」なのです。
 また、「精進」とは、自行化他にわたる「題目」の実践です。勇猛心があればこそ精進の姿と現れる。
 日寛上人は「無雑の故に精、無間の故に進」という妙楽の言葉を引いて、唱題の姿勢を教えられている。
 「無雑」とは、まじりけがなく純粋であること。「無間」とは、絶え間なく不断に実践することです。
 すなわち、私たちの唱題の実践にあっては、純粋に、たゆみなく日々、持続することが大切となる。それであってこそ、私たちの生命練磨、一生成仏の修行となるのです。
 大聖人は、「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書790㌻)――一念に億劫にも匹敵する辛労を尽せば、本来、我が身に具わっている無作三身の仏の生命が、瞬間瞬間に起こってくるのである。実に南無妙法蓮華経とは精進行である――と仰せです。
 私たちの唱える南無妙法蓮華経は、精進行です。ゆえに、だれよりも真剣に悩み、勇敢に戦い続けた人の胸中に、無作の三身、つまり仏の無量の智慧や慈悲が念念に涌現する。
勇猛精進の"信心の一念"が、そのまま"仏の一念"と現れる。これが先に述べた「受持即勧心」です。
 言い換えれば、勇猛精進の人は、皆、仏であると、大聖人が仰せなのです。
 創価学会は、この勇猛精進の信心があったからこそ、大発展してきたことを忘れてはならない。勇猛精進とは、「真剣」の二字です。
 私は、ある海外のジャーナリストから「学会の大発展の理由」について聞かれた時、「それは『一生懸命』やったからです」と答えたことがありました。友のため、社会のため、平和のために、ただ真剣に懸命に行動してきたゆえに、今日の広宣流布の偉大な前進がある。
 かつて、ある青年が、牧口先生に、何が善で何が悪かをどうすれば判断できるようになるかと質問した。
 牧口先生は、「世界最高の宗教を命がけで修行する、その努力と勇気があれば、わかるようになる」と答えられたという。
 さらに、「勇猛精進したまえ。実行だよ。精進だよ。老人にはなったが、私も実践しています」とも語られた。
 まさしく「勇猛精進」とは、学会精神の源流です。勇んで挑戦するところに生命の躍動もあり、知恵も生まれる。そこに歓喜があり、希望がみなぎる。
 瞬間、瞬間、自己完成への因をたゆまず積み重ねる勇猛精進の人こそ、永遠の勝利者なのです。
 一人一人が師子王の心で、真剣に、また広々とした心で戦うことが、勇猛精進の実践にほかならないのです。


『池田名誉会長の法華経方便品・寿量品講義』①方便品


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