全同志のため、そして未来のために、盤石な土台をつくりあげておきたい。私は、その決意で真剣に指揮を執っている。
学会の発展のため、友のために、これまでどれほど心を砕いてきたか。
陰で学会を支えてくださっている方々が少しでも元気になり、喜び勇んで戦えるよう、激励を贈ってきた。
こまかいことまで気を配り、「ここまで」と相手が驚くほど、手を尽くして、一人一人を励ましてきた。
全世界に、ありとあらゆる手を打ってきた。まさに生命を削っての一日一日の闘争だった。
友のために「頭」を使い、「心」を使う。それが真実の指導者である。無慈悲であってはいけない。リーダーは、深き包容力を持たねばならない。
これは師匠・戸田先生の指導である。私は、その通りに実践している。
〈中略〉
大事なのは「行動」である。
私は、戸田先生のために命をかけて戦い抜いた。先生を護り抜いた。師匠に仇をなす人間とは、言論で徹底的に戦った。
自分が偉くなろうとか、幸せになろうとか、そんなことは、まったく考えなかった。
仏法の根幹は「報恩」である。先生のために戦いきって死んでいこう。師匠の大恩に報いるのだ。その思いで戦った。
そして現実の上で、私は私は広宣流布を進めた。学会を発展させた。明確な「実証」を示した。
「大作、お前がいてくれて私はうれしい」「本物の弟子をもって、私は幸せだった」――亡くなる前に、先生はこう語ってくださった。私の永遠の誇りである。
師匠が不当に罵られ、中傷されても、何の反論もできない。そんな情けない弟子であってはならない。
私は、この決意で走り抜いてきた。
仏法は厳しい。絶対の法則だ。
本当に真剣に戦っている人には、無量無辺の功徳がある。
御聖訓には「身はをちねども心をち」(御書1181㌻)と仰せである。外見は立派に信心しているようであっても、心が堕落してしまえば敗北である。
リーダーが率先して広布の最前線に飛び込み、同志と一緒に泥まみれになって戦っていく。これが学会精神である。
〈中略〉
これからも、この基本を大切にするならば、学会は勝ち進んでいくことができる。
すなわち、要約すれば――
①「社会へ正しく展開する」
②「庶民の大地に根を張る」
③「他者へ生き生きと語る」
④「師弟の道を貫き通す」となる。
忘れてはならないのは、この4点のいずれも、最も真剣に実践し抜いてこられたのは、婦人部・女子部の皆様方だということである。
ゆえに私は、この4点に加えて、「偉大なる女性のスクラムを大切にする」ことを改めて強調しておきたい。
婦人部・女子部の活躍こそが、学会の大発展を成し遂げた。
そして、これからも、大発展を成し遂げていく最重要の力である。
フランスの歴史家ミシュレは、『フランス革命史』の中で、「女性は巨大な、真に不敗の力だ」(桑原武夫・多田道太郎・樋口謹一訳『フランス革命史』中公文庫)と洞察した。
歴史家の眼は鋭い。本当に、女性の存在は偉大である。
創価学会も、信心強き女性の力で勝ってきた。
地位とか肩書きとかで威張って、人にやらせるだけで、自分は何の苦労もしない――そういう男性にかぎって、いざという時は臆病だ。何もできはしない。
大事なのは、女性である。
特別な権威とか権力を持っているわけではない、平凡な一庶民の婦人たちが、師弟の心で、不惜の命で、懸命に戦い抜いてくださったから、学会は伸びてきたのだ。
広宣流布は、女性で決まる。
この尊き女性をいじめるような人間や組織は、いずれ、必ずダメになる。
現実に戦ってくださっている方を大事にしなければ、発展するはずはない。
ともあれ、婦人部・女子部を、これまで以上に尊重し、大切にしていく。
ここにこそ、これからの学会の拡大と勝利の鍵があることを強く訴えておきたい。
〈中略〉
女子部は広布の華である。妙法の華である。
有名な御聖訓には、「我らの頭は妙である。のどは法である。胸は蓮である。腹は華である。足は経である。この五尺の身が妙法蓮華経の当体である」(御書716㌻、通解)と、明快に仰せである。
妙法蓮華経の意義は、幾重にも深い。
頭を使うのだ。正義の勝利のために。仏縁を広げるために。
語るのだ。「声仏事を為す」(御書708㌻)である。生き生きとした声で、同志を鼓舞していくのだ。
そして、心を尽くすのだ。心を使うのだ。皆が歓喜にあふれて前進できるように。
また、法華経には、「因果倶時」の法理が示されている。その象徴が「蓮華」である。
普通は、花が散ってから実がなる。しかし「蓮華と申す花は菓と花と同時なり」(御書1580㌻)。花と実が同時に成長する。
広布のために祈り、戦う、今の一念「因」に、幸福と勝利の「果」は厳然と輝いているのである。
ゆえに行動することだ。大目的のために。
歩くのだ。民衆のために。同志のもとへ、足を運ぶのだ。
妙法を唱え、弘めゆく人には、尊極の仏の生命が涌現する。
尊き皆様こそが、妙法蓮華経の当体なのである。
華のごとく、わが人生を開き、華のごとく使命の大輪を咲き薫らせていただきたい。
〈中略〉
戸田先生は、私と妻に言い残された。
「学会員がいなければ、広宣流布はできない。大作と香峯子は、この尊い仏様である学会員を、生命の続く限り護ってほしい」
私と妻は、このご指導通りに生き抜き、戦い抜いてきた。
また、「真剣に、そして雄々しく戦いゆく同志を、最大に励まし護れ!」とも言われていた。
同志の幸福を、広布の前進を、真剣に祈り戦うことだ。その時、仏に等しい力が、自分自身の中から湧き起こってくる。そして、自分自身も護られるのである。
2009.2.21付
婦人部・女子部最高協議会
学会の発展のため、友のために、これまでどれほど心を砕いてきたか。
陰で学会を支えてくださっている方々が少しでも元気になり、喜び勇んで戦えるよう、激励を贈ってきた。
こまかいことまで気を配り、「ここまで」と相手が驚くほど、手を尽くして、一人一人を励ましてきた。
全世界に、ありとあらゆる手を打ってきた。まさに生命を削っての一日一日の闘争だった。
友のために「頭」を使い、「心」を使う。それが真実の指導者である。無慈悲であってはいけない。リーダーは、深き包容力を持たねばならない。
これは師匠・戸田先生の指導である。私は、その通りに実践している。
〈中略〉
大事なのは「行動」である。
私は、戸田先生のために命をかけて戦い抜いた。先生を護り抜いた。師匠に仇をなす人間とは、言論で徹底的に戦った。
自分が偉くなろうとか、幸せになろうとか、そんなことは、まったく考えなかった。
仏法の根幹は「報恩」である。先生のために戦いきって死んでいこう。師匠の大恩に報いるのだ。その思いで戦った。
そして現実の上で、私は私は広宣流布を進めた。学会を発展させた。明確な「実証」を示した。
「大作、お前がいてくれて私はうれしい」「本物の弟子をもって、私は幸せだった」――亡くなる前に、先生はこう語ってくださった。私の永遠の誇りである。
師匠が不当に罵られ、中傷されても、何の反論もできない。そんな情けない弟子であってはならない。
私は、この決意で走り抜いてきた。
仏法は厳しい。絶対の法則だ。
本当に真剣に戦っている人には、無量無辺の功徳がある。
御聖訓には「身はをちねども心をち」(御書1181㌻)と仰せである。外見は立派に信心しているようであっても、心が堕落してしまえば敗北である。
リーダーが率先して広布の最前線に飛び込み、同志と一緒に泥まみれになって戦っていく。これが学会精神である。
〈中略〉
これからも、この基本を大切にするならば、学会は勝ち進んでいくことができる。
すなわち、要約すれば――
①「社会へ正しく展開する」
②「庶民の大地に根を張る」
③「他者へ生き生きと語る」
④「師弟の道を貫き通す」となる。
忘れてはならないのは、この4点のいずれも、最も真剣に実践し抜いてこられたのは、婦人部・女子部の皆様方だということである。
ゆえに私は、この4点に加えて、「偉大なる女性のスクラムを大切にする」ことを改めて強調しておきたい。
婦人部・女子部の活躍こそが、学会の大発展を成し遂げた。
そして、これからも、大発展を成し遂げていく最重要の力である。
フランスの歴史家ミシュレは、『フランス革命史』の中で、「女性は巨大な、真に不敗の力だ」(桑原武夫・多田道太郎・樋口謹一訳『フランス革命史』中公文庫)と洞察した。
歴史家の眼は鋭い。本当に、女性の存在は偉大である。
創価学会も、信心強き女性の力で勝ってきた。
地位とか肩書きとかで威張って、人にやらせるだけで、自分は何の苦労もしない――そういう男性にかぎって、いざという時は臆病だ。何もできはしない。
大事なのは、女性である。
特別な権威とか権力を持っているわけではない、平凡な一庶民の婦人たちが、師弟の心で、不惜の命で、懸命に戦い抜いてくださったから、学会は伸びてきたのだ。
広宣流布は、女性で決まる。
この尊き女性をいじめるような人間や組織は、いずれ、必ずダメになる。
現実に戦ってくださっている方を大事にしなければ、発展するはずはない。
ともあれ、婦人部・女子部を、これまで以上に尊重し、大切にしていく。
ここにこそ、これからの学会の拡大と勝利の鍵があることを強く訴えておきたい。
〈中略〉
女子部は広布の華である。妙法の華である。
有名な御聖訓には、「我らの頭は妙である。のどは法である。胸は蓮である。腹は華である。足は経である。この五尺の身が妙法蓮華経の当体である」(御書716㌻、通解)と、明快に仰せである。
妙法蓮華経の意義は、幾重にも深い。
頭を使うのだ。正義の勝利のために。仏縁を広げるために。
語るのだ。「声仏事を為す」(御書708㌻)である。生き生きとした声で、同志を鼓舞していくのだ。
そして、心を尽くすのだ。心を使うのだ。皆が歓喜にあふれて前進できるように。
また、法華経には、「因果倶時」の法理が示されている。その象徴が「蓮華」である。
普通は、花が散ってから実がなる。しかし「蓮華と申す花は菓と花と同時なり」(御書1580㌻)。花と実が同時に成長する。
広布のために祈り、戦う、今の一念「因」に、幸福と勝利の「果」は厳然と輝いているのである。
ゆえに行動することだ。大目的のために。
歩くのだ。民衆のために。同志のもとへ、足を運ぶのだ。
妙法を唱え、弘めゆく人には、尊極の仏の生命が涌現する。
尊き皆様こそが、妙法蓮華経の当体なのである。
華のごとく、わが人生を開き、華のごとく使命の大輪を咲き薫らせていただきたい。
〈中略〉
戸田先生は、私と妻に言い残された。
「学会員がいなければ、広宣流布はできない。大作と香峯子は、この尊い仏様である学会員を、生命の続く限り護ってほしい」
私と妻は、このご指導通りに生き抜き、戦い抜いてきた。
また、「真剣に、そして雄々しく戦いゆく同志を、最大に励まし護れ!」とも言われていた。
同志の幸福を、広布の前進を、真剣に祈り戦うことだ。その時、仏に等しい力が、自分自身の中から湧き起こってくる。そして、自分自身も護られるのである。
2009.2.21付
婦人部・女子部最高協議会