広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

女子部

幸福の泉

 一月二十日、会長山本伸一が出席して、第二十二回「青年部総会」が晴れやかに開催された。
 創価の青年たちは、寒風をついて、新しき社会を建設する息吹をみなぎらせ、会場の北九州市立総合体育館に喜々として集ってきた。
 全国の青年部総会を、首都圏以外の地で初めて行うとあって、九州の青年たちは先駆の誇りに燃えていた。
 伸一が会場に姿を現すと、場内を埋め尽くした参加者から、ひときわ大きな歓声が起こり、怒涛を思わせる大拍手がうねった。
 総会では、九州青年部長の「開会の辞」に続いて、女子部長の吉川美香子が登壇し、「若い女性の連帯を広げよう」と題して語った。
 女子部は学会の花である。さわやかで、はつらつとしたその姿は、皆の希望である。女子部員の躍動があるところ、組織は明るい光に包まれる。
 伸一は、若い女性たちが、人びとの幸福を願って、健気に仏道修行に励む英姿に、人間性の至高の輝きを見ていた。
 「他人のために勇気をもって苦しむところに、気高さがある」(『カーライル選集3 過去と現在』上田和夫訳、日本教文社)とは、歴史家カーライルが導き出した結論である。
 女子部が盤石であるならば、学会の未来は盤石である。ゆえに伸一は、女子部の拡大と育成のために全力を注ごうと深く心に誓いながら、吉川の話に耳を傾けた。
 彼女は、女子部の総ブロック(現在は部)討議の様子から語り始めた。
 「今回は『職場と女子部』がテーマでしたが、ある総ブロックでは、その討議の際に、最近の若い女性の一般的な傾向として、次のような話が出ました。
 自分の手を汚したがらず、苦労を避ける。しかし、自分のことは認めてもらいたい。また、相手を受け入れることはしない――というのです。
 そして、『やはり、これはわがままといわざるをえない。こうした傾向が強まっていることが、女性同士の友情が育たない原因になっている』と分析しておりました。
 皆、心の底では、本当に心を開いて話し合える友を求めているが、自分が傷つくことを恐れて、それができないというのが、悲しむべき現実であると思います」
 自ら手を汚したがらないという若い女性たちの傾向性の根底には、幸福は他から与えられるものだという考えがある。
 しかし、幸福は自分の心が創り出すものなのだ。自らの手でつかみ取るものなのだ。そのためには、労苦を避けて通ることはできない。
 ゲーテは警告した。
 「生活をもてあそぶものは、決して正しいものになれない。
 自分を命令しないものは、いつになっても、しもべにとどまる」(『ゲーテ詩集』高橋健二訳、彌生書房)
 また、苦悩なき人生はないのだ。どんなに華やかそうに見えても、人は悩みをかかえている。一時期は幸せを満喫しているようでも、それが永遠に続くことなどない。
 生きるとは、苦悩することであるといってもよい。それに負けて、希望を失い、自暴自棄になってしまうことから、人は不幸になるのである。
 だから、悩みや苦しみに負けない強い心、大きな心をつくるしかない。
 苦悩が大きければ大きいほど、それに打ち勝つ時、より大きな幸福を感ずることができる。
 いな、その挑戦のなかにこそ、充実と歓喜の生命が脈打ち、わが胸中は幸福の泉となるのだ。
 その能動的な自己をつくり、心を大きく、強くすることが、「人間革命」なのである。
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「女子部は教学で立て!」

 多くの若い女性たちは、自分の「性格」や「自信のなさなどにむやみに悩む場合が少なくない。その自分が最も自分らしく輝いていける、偉大な「人間革命」の大道を教えたのが、日蓮仏法である。
 流されやすく、弱い自分の境涯を決然と乗り越え、強く、生きがいのある自分になるのだ。そして、決して悩みの風雨に負けないで、堅固な、大切な自分自身の一生の土台を築きゆくことだ。この青春の羅針盤こそ「教学」にほかならない。「教学を学び抜いていくことである」と、恩師は叫んだ。
 もしも、教学がなければ、正邪善悪が見えない。最高の人生の大道、正義の師弟の道がわからない。それでは何が幸福かわからない。結局、幸福になれない。正しい仏法の眼を磨く修行が教学である。だからこそ、戸田先生は、慈父の如く「女子部は教学で立て!」と繰り返し繰り返し指導していかれた。
  

随筆 人間世紀の光
「女子部の躍進を喜ぶ」


*******


 女子部へのお話ではあるけど、何度も何度も読んだご指導。
 教学がなきゃ、何が幸福かわからない。結局、幸福になれない。
 来年5月に試験が終わったら、まず中断してる御書全編読破に挑戦したい。

4月19日 『女性に贈ることば365日』

 家庭ではよき娘となり、職場では、皆に慕われ、信頼される存在となって光っていくことだ。


『女性に贈ることば365日』4月19日

華陽の誓い

 青春は、悩みの連続だ。
 社会も揺れ動いている。仕事で壁にぶつかることもあろう。時には体調を崩すことだってある。人間関係も難しい。人が羨ましく見えることもある。悔し涙をこらえる日もあろう……。
 しかし、御義口伝には、「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(御書710㌻)と仰せの如く、「煩悩即菩提」が日蓮仏法の真髄である。
 煩悩(悩み)がなければ菩提(悟り)の智慧もない。成長もない。成仏もない。
 この究極の希望の哲学を持った女性は、思うようにいかない日も、明るく朗らかに胸を張って進むのだ。
 御聖訓には、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」(同1143㌻)と記されている。
 苦しい時は苦しいまま、題目を唱えていけばいい。必ず道は開かれる。信心で突破できない行き詰まりなど、絶対にないのだ。
 自分だけの小さな悩みに振り回されて、わびしく過ぎ去ってしまう青春も多い。
 しかし、広宣流布という大願に走りゆく青春は、大きく悩んだ分だけ、大きく境涯を開き、大きく福運を積める。
 苦労して築き上げた汝自身の生命は、何ものにも壊されないのだ。

〈中略〉

勇敢な
 信心ありせば
  恐れなく
 この世 全てが
  仏土なるかな


2009.6.3
随筆 人間世紀の光188
華陽の誓い

「偉大なる女性のスクラムを大切にする」

 全同志のため、そして未来のために、盤石な土台をつくりあげておきたい。私は、その決意で真剣に指揮を執っている。
 学会の発展のため、友のために、これまでどれほど心を砕いてきたか。
 陰で学会を支えてくださっている方々が少しでも元気になり、喜び勇んで戦えるよう、激励を贈ってきた。
 こまかいことまで気を配り、「ここまで」と相手が驚くほど、手を尽くして、一人一人を励ましてきた。
 全世界に、ありとあらゆる手を打ってきた。まさに生命を削っての一日一日の闘争だった。
 友のために「頭」を使い、「心」を使う。それが真実の指導者である。無慈悲であってはいけない。リーダーは、深き包容力を持たねばならない。
 これは師匠・戸田先生の指導である。私は、その通りに実践している。

〈中略〉

 大事なのは「行動」である。
 私は、戸田先生のために命をかけて戦い抜いた。先生を護り抜いた。師匠に仇をなす人間とは、言論で徹底的に戦った。
 自分が偉くなろうとか、幸せになろうとか、そんなことは、まったく考えなかった。
 仏法の根幹は「報恩」である。先生のために戦いきって死んでいこう。師匠の大恩に報いるのだ。その思いで戦った。
 そして現実の上で、私は私は広宣流布を進めた。学会を発展させた。明確な「実証」を示した。
 「大作、お前がいてくれて私はうれしい」「本物の弟子をもって、私は幸せだった」――亡くなる前に、先生はこう語ってくださった。私の永遠の誇りである。
 師匠が不当に罵られ、中傷されても、何の反論もできない。そんな情けない弟子であってはならない。
 私は、この決意で走り抜いてきた。
 仏法は厳しい。絶対の法則だ。
 本当に真剣に戦っている人には、無量無辺の功徳がある。
 御聖訓には「身はをちねども心をち」(御書1181㌻)と仰せである。外見は立派に信心しているようであっても、心が堕落してしまえば敗北である。
 リーダーが率先して広布の最前線に飛び込み、同志と一緒に泥まみれになって戦っていく。これが学会精神である。

〈中略〉

 これからも、この基本を大切にするならば、学会は勝ち進んでいくことができる。
すなわち、要約すれば――
 ①「社会へ正しく展開する」
 ②「庶民の大地に根を張る」
 ③「他者へ生き生きと語る」
 ④「師弟の道を貫き通す」となる。
 忘れてはならないのは、この4点のいずれも、最も真剣に実践し抜いてこられたのは、婦人部・女子部の皆様方だということである。
 ゆえに私は、この4点に加えて、「偉大なる女性のスクラムを大切にする」ことを改めて強調しておきたい。
 婦人部・女子部の活躍こそが、学会の大発展を成し遂げた。
 そして、これからも、大発展を成し遂げていく最重要の力である。
 フランスの歴史家ミシュレは、『フランス革命史』の中で、「女性は巨大な、真に不敗の力だ」(桑原武夫・多田道太郎・樋口謹一訳『フランス革命史』中公文庫)と洞察した。
 歴史家の眼は鋭い。本当に、女性の存在は偉大である。
 創価学会も、信心強き女性の力で勝ってきた。
 地位とか肩書きとかで威張って、人にやらせるだけで、自分は何の苦労もしない――そういう男性にかぎって、いざという時は臆病だ。何もできはしない。
 大事なのは、女性である。
 特別な権威とか権力を持っているわけではない、平凡な一庶民の婦人たちが、師弟の心で、不惜の命で、懸命に戦い抜いてくださったから、学会は伸びてきたのだ。
 広宣流布は、女性で決まる。
 この尊き女性をいじめるような人間や組織は、いずれ、必ずダメになる。
 現実に戦ってくださっている方を大事にしなければ、発展するはずはない。
 ともあれ、婦人部・女子部を、これまで以上に尊重し、大切にしていく。
 ここにこそ、これからの学会の拡大と勝利の鍵があることを強く訴えておきたい。

〈中略〉

 女子部は広布の華である。妙法の華である。
 有名な御聖訓には、「我らの頭は妙である。のどは法である。胸は蓮である。腹は華である。足は経である。この五尺の身が妙法蓮華経の当体である」(御書716㌻、通解)と、明快に仰せである。
 妙法蓮華経の意義は、幾重にも深い。
 頭を使うのだ。正義の勝利のために。仏縁を広げるために。
 語るのだ。「声仏事を為す」(御書708㌻)である。生き生きとした声で、同志を鼓舞していくのだ。
 そして、心を尽くすのだ。心を使うのだ。皆が歓喜にあふれて前進できるように。
 また、法華経には、「因果倶時」の法理が示されている。その象徴が「蓮華」である。
 普通は、花が散ってから実がなる。しかし「蓮華と申す花は菓と花と同時なり」(御書1580㌻)。花と実が同時に成長する。
 広布のために祈り、戦う、今の一念「因」に、幸福と勝利の「果」は厳然と輝いているのである。
 ゆえに行動することだ。大目的のために。
 歩くのだ。民衆のために。同志のもとへ、足を運ぶのだ。
 妙法を唱え、弘めゆく人には、尊極の仏の生命が涌現する。
 尊き皆様こそが、妙法蓮華経の当体なのである。
 華のごとく、わが人生を開き、華のごとく使命の大輪を咲き薫らせていただきたい。

〈中略〉

 戸田先生は、私と妻に言い残された。
 「学会員がいなければ、広宣流布はできない。大作と香峯子は、この尊い仏様である学会員を、生命の続く限り護ってほしい」
 私と妻は、このご指導通りに生き抜き、戦い抜いてきた。
 また、「真剣に、そして雄々しく戦いゆく同志を、最大に励まし護れ!」とも言われていた。
 同志の幸福を、広布の前進を、真剣に祈り戦うことだ。その時、仏に等しい力が、自分自身の中から湧き起こってくる。そして、自分自身も護られるのである。


2009.2.21付
婦人部・女子部最高協議会
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