広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

感謝

ありがとうは奇跡の言葉

 ありがとうは〈奇跡の言葉〉である。口に出せば、元気が出る。耳に入れば、勇気がわく。
 私自身、毎日、朝から晩まで「ありがとう」「ありがとう」と言い続けている。
 外国に行った時も、「ありがとう」の言葉だけは現地の言葉で伝えることにしている。「サンキュー」「メルシー」「ダンケ」「グラシアス」「スパシーバ」「謝謝(シェシェ)」。それを、心を込めて、きちっと相手の目を見て言っているつもりである。
 「ありがとう」を言うとき、聞くとき、人は心のよろいを脱ぎ捨てる。人と人とが深いところで通い合える。
 「ありがとう」が非暴力の真髄なのである。
 「ありがとう」の中には、相手への敬意がある。謙虚さがある。人生に対する大いなる肯定がある。前向きの楽観主義がある。強さがある。「ありがとう」と素直に言える心は健康である。だから「ありがとう」を言うたびに、あなたの心は光ってくる。体にも生命力がわく。
 サンティアゴ博士が師匠に捧げる感謝の熱さに、私は感銘した。
 自分が、どんなにたくさんの人やものに支えられて生きているか――ありがたいと思う、その自覚が、感激が、その喜びが、さらに幸せを呼ぶ。
 〈幸せだから感謝する〉以上に〈感謝するから幸せになる〉のである。
 「祈り」も感謝しながらの祈りこそが、最も大宇宙のリズムと合致し、人生を好転させていく。
 「ありがとう」と言えない時、人の成長は止まっている、成長している時、人は他人のすごさが見えるからだ。成長が止まると、人の欠点ばかりが目につくからだ。


2004.5.29
人生は素晴らしい(抜粋)

→前後の一節も含めた記事はコチラ

「きっと変えられる」

「勇気づける名人」

 サンティアゴ博士が、《力による支配》に敏感なのは、理由がある。
 「私が生まれ育ったプエルトリコは、ずっと他国に植民地化され、従属を強いられてきました。かつてはスペインが支配し、後にアメリカが来て支配しました。政治的にも、宗教的にも、常に誰かに従うことを強いられ、私の人生の先には自由も開放もないように見えたのです」
 自分の人生、自分たちの社会の未来を、自分で決められないという閉塞感!
 「そんな時に、良師に出あい、私の人生は変わりました。心理学のカルロス•アルビズ博士(カルロス•アルビズ大学創立者)です。私は十八歳でした。尊敬できる素晴らしい師にめぐり会い、スポンジのようにあらゆることを吸収して学んだものです」
 アルビズ先生は、どんか人だったのだろうか? 
 博士によると、あふれんばかりの愛情をもち「人を勇気づける」名人であられたようだ。具体的には?
なにより先生は〈人の話をすすんで聴く〉人であった。ただ頑張れと言う以上に、話を聴くことこそが相手への敬意である。
 「博士はよく学生を自宅に招待してくれました。そういうことをする人は当時、まれでした。『あなたのことを教えてください』と、学生たちの話を熱心に聴いてくれるのです。ある土曜の晩など、夜中の三時まで、さまざまなことを語り合ってくださいました。忘れられません」

力に頼ると、心が鈍感に

 勇気づける――これこそ指導者の根本条件であろう。
 たとえば職場。
 部下を命令だけで動かそうとすれば、部下の体は従っても、心は従わず、動きは悪くなる。それを見て「彼は、やる気がない。自発性がない」などと決めつける上司がいる。部下の自発性を抑圧しているのは自分なのだと気づかない。
 「力」に頼った分だけ「心」は痩せて鈍感になるのだろうか。
 その反対に、こんな上司もいる。客とトラブルになり、おそるおそる失敗を上司に報告した。怒られるかと思ったら、「そうか!私の出番だな!まかせとけ!」。部下が上司を尊敬し、勇んで働いたことは言うまでもない。
 みなに敬意を払い、勇気を贈ったほうが、うまくいくのだ。職場も、家庭も。国も、世界も。
 そして、勇気を贈る一番のものは〈感謝〉ではないだろうか。「あなたがいてくれてよかった」「あなたのおかげで助かったよ」と。自分が必要とされているという実感が、人を元気づける。
 アメリカ創価学会のジョモ・ソーン男子部長も、ビートリス・ロペス女子部長も、プエルトリコに故郷(ふるさと)をもつ。
 ロペス女子部長のお母さんは十三歳の時、お父さんとともにプエルトリコからニューヨークに来た。しかし、父の暴力癖のため、同居できず、きょうだいは、ばらばらに引き取られることになった。少女はカトリックの尼僧のもとに居候し、学校に通った。スペイン語しか話せないため、居候の場でも、学校でも、孤独だった。なにもかもが、みじめだった。島に飛んで帰りたかった。泣きながら、島に残るお母さんに電話した。病床にあったお母さんは、そのたびに「あなたは大丈夫よ。素晴らしい子よ。あなたが私の誇りなのよ」と言ってくれた。
 私が頑張っていることが、お母さんの支えになっているんだ!
 生きる力がわいてきた。
 母に必要とされ、感謝されたことが彼女を救ったのである。
 母の「ありがとう」に「ありがとう」――彼女は今、晴れ晴れと勝利の人生を歩んでおられる。

「感謝」から「幸福」が

 ありがとうは〈奇跡の言葉〉である。口に出せば、元気が出る。耳に入れば、勇気がわく。
 私自身、毎日、朝から晩まで「ありがとう」「ありがとう」と言い続けている。
 外国に行った時も、「ありがとう」の言葉だけは現地の言葉で伝えることにしている。「サンキュー」「メルシー」「ダンケ」「グラシアス」「スパシーバ」「謝謝(シェシェ)」。それを、心を込めて、きちっと相手の目を見て言っているつもりである。
 「ありがとう」を言うとき、聞くとき、人は心のよろいを脱ぎ捨てる。人と人とが深いところで通い合える。
 「ありがとう」が非暴力の真髄なのである。
 「ありがとう」の中には、相手への敬意がある。謙虚さがある。人生に対する大いなる肯定がある。前向きの楽観主義がある。強さがある。「ありがとう」と素直に言える心は健康である。だから「ありがとう」を言うたびに、あなたの心は光ってくる。体にも生命力がわく。
 サンティアゴ博士が師匠に捧げる感謝の熱さに、私は感銘した。
 自分が、どんなにたくさんの人やものに支えられて生きているか――ありがたいと思う、その自覚が、感激が、その喜びが、さらに幸せを呼ぶ。
 〈幸せだから感謝する〉以上に〈感謝するから幸せになる〉のである。
 「祈り」も感謝しながらの祈りこそが、最も大宇宙のリズムと合致し、人生を好転させていく。
 「ありがとう」と言えない時、人の成長は止まっている、成長している時、人は他人のすごさが見えるからだ。成長が止まると、人の欠点ばかりが目につくからだ。
 家庭でも「こうあってほしい」「こうあるべきだ」と、自分の思い通りの妻や子供に変えようとしないで、まず「ありがとう」と言ってはどうだろう。
 ある婦人は晩年、病んで、家族の名前さえ思い出せなくなった。しかし、医師が「人生で一番幸せだったのはいつ?」と聞くと、はっきり答えた。「娘が生まれた時です……うれしかった!」。それを聞いた娘さんの眼から、涙がどっと、ほとばしった。
 「ありがとう、お母さん。その一言で十分です」
 そして自分の子供をいつも叱ってばかりいたことを反省した。「そうだ、この子が生まれた時、生まれてくれたことだけで私は幸せだった!」
 それなのに、いつか自分の中の「理想の子ども」に、この子を合わせようとしていた。百点の理想像と比べての減点主義。いつも「ここが足りない。あれがもうちょっと」「どうして、こんなことができないの!」。
 そんなお母さんだったのに、子どもは一生懸命、こたえようとしてくれた。優しくしてくれた。ありがとう。本当は、あなたが生きていてくれるだけで、お母さんは幸せ。あなたはそこにいるだけで、お母さんを幸せにしてくれている。ありがとう。
 ――彼女は新しい目で子どもを見た。すると「ありがとう」「うれしい」の材料には、こと欠かなかった。
 朝、ぎりぎりだけど起こせば起きる。それが実は「すごいことなんだ」と感動した。ご飯も好ききらいはあるけれど、成績も良いとは言えないけれど、「今日も学校に行ってくれて、ありがとう」「今日も笑顔を、ありがとう」。
 何もなくても「いつも、ありがとう」。「無事の一日」にありがとう。「当たり前」を「当たり前」と思う心は傲慢だと気がついたのである。
 病を宣告されてはじめて、今まで健康を「当たり前」と思い、少しも感謝していなかったと気づいた人もいる。
 だからたまには、しっかりと目を見て「お父さん、いつもありがとう」と言ってみてはどうだろう。お父さんも黙って食べていないで、奥さんに「いつも、ありがとう」と言ってみてはどうだろう。照れくさくても言ってみれば、そこから何かが変わっていく。

「きっと変えられる」

 「人生の道に立ちはだかる壁を乗り越えるには、『必ず勝てる』という楽観主義が必要です。そして楽観的になるためには、楽観的な人たちと交流することです!」
 サンティアゴ博士からの励ましである。
 私たちには仏法の楽観主義に生きる多くの友がいる。だから、きっと変えられる。自分を変えられる。一家を変えられる。職場を変えられる。地域を変えられる。社会と世界を変えられる。
 変革の夢は、あきらめなくていいのだ。

2004.5.29
人生は素晴らしい(抜粋)


*******


※サンティアゴ・ネグロン博士はアメリカの自治領であるプエルトリコの学者。

 大学に入りたてのころ、国連研究会の1つ上の先輩から、この切り抜きを渡されたことが懐かしい。
 整理していると、偶然その切り抜きのコピーが現れました。

 その先輩からは、たくさんの期待と、たくさんの励ましをもらいました。

「『自分が苦しいときに、どれだけ人のことを想えるかが勝負』って決めて戦う先生のようにいこう」
「みんなの意見を引き出すリーダーになってほしい」
「大河しかいない」
etc...

 感謝です。
 ありがとうございます。

 そしてみなさんにも、ありがとうございます!!
 法科大学院留年という惨敗を喫してしまいましたが、来年5月の一発合格を目指して、戦います!!

4月2日 『女性に贈る言葉365日』

 恩師・戸田先生は、「恩を返すのが最上の人間だ」と言われた。
 報恩の人生は美しい。
 お世話になった人に恩返しをしていこうという心が、一番、自分を成長させる。
 限りない向上のエネルギーとなっていく。
 報恩の人こそ、人生の勝利者である。


『女性に贈る言葉365日』4月2日


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 戸田先生の御命日、4・2。
 先生は、本当に毎日戸田先生への師恩を返していくという一念で戦われてきたんだと思う。
 報恩の人こそ、人生の勝利者!!
 日々、決意の祈り、感謝の祈り、決意を行動に、感謝を言葉に、明日からも生き抜いていこう!!

1月27日 『女性に贈ることば365日』

 感謝と報恩を知る人は、いつまでも美しく、晴れ晴れとして、いっさいを勝ち越えている。


『女性に贈ることば365日』1月27日

学生ならば

学生ならば、徹して勉強するのです。
わが頭脳を鍛えに鍛え、実力をつけ、偉くなるのです。必ず優等生になると決意するのです。
そして、世界の平和のために戦うのです。
また、お世話になった人に恩を返し、親孝行をするのです。
それを教えていくことが本当の教育です。
教員の皆様も、よろしくお願いします。
他者に深く感謝できる人こそ、本当の人間らしい人間です。


2009.5.18
クイーンズ大学からの名誉博士号授与式での謝辞
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