広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

戸田先生

誓い燃ゆる四月

爛漫と
 広布と幸福
  咲かせゆけ

〈中略〉

 途中にどんなことがあっても、最後は必ず勝てるのが「変毒為薬」の妙法である。「絶対勝利」の信心を燃え上がらせ、明るく朗らかな前進をお願いしたい。わが友が晴れ晴れと幸福を勝ち取っていくことが、恩師への報恩であるからだ。

 ◇

忘れまじ
 無量の慈愛を
胸に秘め
 広宣流布の
  宝剣(けん)を掲げて

 それは、昭和33年の4月3日。戸田先生のご逝去のまさに翌日であった。
 池袋の豊島公会堂で、本部幹部会が行われた。この開催は、先生の強い強いご意志であった。
 実は、3月1日から大講堂落成を祝す記念の行事が1カ月続くこともあって、理事長たちは本部幹部会を1回行わないことを、先生に具申した。
 ところが、先生は厳しく叱られた。何があろうが、本部幹部会を断行することを決定なさったのである。
 「創価学会」という偉大な慈悲と勇気の活動体を回転させる力は、絶対に滞らせてはならないとの、烈々たるご指導であった。
 もしも、本部幹部会が先送りされていたら、悲しみの会員を電光石火で励ますこともできなかった。
 諸葛孔明の如く、死してなお、戸田先生は峻厳なる指揮を執ってくださっていたのだ。
 この席上、私は、全青年部を代表し、「仏教をならはん者 父母・師匠・国恩をわするべしや」(同293㌻)との「報恩抄」の一節を心に抱いて登壇した。
 ──師匠・戸田先生から訓練を受け切った我ら青年部がある限り、何ものにも絶対に負けない!
 こう宣言したあと、「師恩に報ずることが弟子の道である」と訴えた。いな、師子吼したのである。
 「畜生すら恩を知る。いわんや人身においてをや。いわんや仏法を学せんものにおいてをや。弟子として恩を知らねばならない。
 ならば、今度は先生にどのようにご恩返しをしたらよいか──我々弟子としての問題は、そこに尽きる」

「感謝の人」は光る

 感謝を忘れず、報恩に徹すれば、自ずから為すべき行動は定まる。必ず無限の勇気と智慧が、滾々と湧き起こってくるのだ。
 感謝の人は光る。報恩の世界は栄える。

 ◇

 師恩に報いるとは、師の誓願である広宣流布を断じて成し遂げてみせるとの、強い責任感に立つことだ。
 師匠が「わが命より大切」と言われた学会の組織を厳然と護り抜くことだ。そして現実の上で、勝利の旗を美事に打ち立てることだ。
 当時、私は30歳。役職は青年部の室長、渉外部長である。理事長など、年長の先輩幹部は何人もいた。
 自分が正論を言っても、聞いてもらえない局面は、いくらでもあった。
 だが「広布の責任感」においては、立場や役職の上下は関係ない。平等だ。
 自分がいれば「先生!」「先生!」と叫び抜き、いずこであれ、師弟一体の勝利の息吹を満々とみなぎらせてみせる! 広宣流布の輝く大道を開いてみせる!
 この一人立つ勇気が、師恩に報いる第一の要件だ。

 ◇

君たちの
 正義の前進
  あな嬉し
 偉大な弟子に
  未来は盤石

 恩師のご逝去直後、世間は学会に対し、“戸田会長時代とは違って積極的なものは出せまい。守りに入って停滞するだろう”“空中分解か”等と嘲笑した。
 私を中心に、恩師直系の青年部は奮い立った。
 悲嘆に暮れて、戦う学会精神を失い、破折精神を萎えさせてしまえば、恩師の心を忘れた姿である。
 “攻撃は最大の防御”だ。
 学会を護るとは、最大の折伏精神を燃え上がらせることにほかならない。
 青年が立つのだ。満天下を驚嘆させる、若き勢いを見せつけるのだ!
 わが青年部は、いついかなる時も、広宣流布の舵を握り、荒海を越えて、民衆の幸福の大船を運んでいく責任を担い立つのである。

 ◇

 非難中傷の嵐のなか、誰よりも悔し涙を流したのは、恩師の真実を肌身で知っている無名の庶民であった。誰よりも学会精神をみなぎらせ、勇敢に正義を叫び抜いてくれたのも、恩師の励ましを支えに境涯を開いてきた庶民である。
 第一線で健気に奮闘する婦人であり、壮年であり、男女青年であった。
 いつもは偉ぶったり、インテリぶったりして、威張っていた幹部が、一番おどおどしながら、狡猾に動揺を押し隠していた。
 英国の作家スコットの一節に、痛烈な叱咤があった。
 「きたない卑怯ものめが! 風が吹きつのると、奴め、ひるんで舵をとる手をはなすのか」
 そんな臆病な醜態を、戸田先生がご覧になったら、「二乗根性!」いな「畜生根性!」と叱責され、吹き飛ばされたであろう。

増上慢にはなるな

 「二乗」とは、十界の衆生の中の「声聞」と「縁覚」のことである。
 声聞とは「仏の声を聞く者」、縁覚とは「縁によって覚る」という意義である。元来、二乗の出発点は、正しき法を求め、身命を賭して、仏道修行を貫く仏弟子の実践にあった。
 したがって本来は、二乗それ自体が、「師弟求道の心」に燃え上がる存在であったといってよい。
 特に、法華経の会座に列なる声聞たちは、師匠と共に、他者のために、仏の声を説いて聞かせる行動に目覚めていくのである。
 さらに涅槃経には、「真の声聞とは、仏法を破壊する怨敵と断固として戦う我が弟子である」(御書236㌻など、趣意)とも説かれている。
 つまり、二乗といっても、そこには命懸けの師匠への求道があり、命懸けの師弟の共戦があることを知らねばならない。
 では、なぜ、爾前権経において、二乗が「永不成仏(ようふじょうぶつ)」などと弾呵されたのか。
 それは、小乗の教えに執着し、大乗を求める心を忘れてしまったからである。師匠を求め抜く姿勢を忘れた時に、慢心が強くなってしまったのだ。
 大聖人は、経文を引かれ、「恩を知り恩を報ずること能わず」「解脱の坑(あな)に堕して自ら利し及以(およ)び他を利すること能わず」(同191㌻)と示されている。
 要するに二乗には、我慢偏執の心が盛んで、根強い増上慢の命がある。利他の心がなく、自分の利益に執着する。そして師匠に恩を受けながら、恩に報いようとしない。
 その不知恩の命のゆえに、仏は繰り返し叱責された。仏法の師弟とは、それほど峻厳なのだ。法華経において、その二乗に初めて成仏の記別が与えられる。
 二乗の弟子の歓喜は、どれほど大きかったか! そして師匠への報恩の思いが、どれほど深かったか!
 「世尊は大恩まします」「一切もて供養すとも 皆な報ずること能わじ」〈世尊(師匠)には大恩がございます。我らがすべてを捧げ尽くしても十分に御恩返しできたとはいえません〉──二乗の弟子は、こう言って、永遠の報恩の戦いを誓願するのである(法華経信解品)。

 ◇

虚栄なる
 侘しき人々
 下に見て
 ダイヤの如き
  我が身を磨けや

 社会が停滞し、官僚主義や形式主義がはびこってくると、とかく人間の実質よりも学歴や肩書が物を言う世相になりがちだ。
 しかし、社会的地位と人間の真の偉さは、全く別物である。いわんや、仏法の透徹した眼(まなこ)から見れば、世法上の肩書など、成仏とは全く関係ない。
 毎日毎日、真面目に、信・行・学の仏道修行を貫き通していく人が偉いのだ。
 自他共の幸福のため、広宣流布のため、一生懸命に戦い抜く庶民が偉いのだ。
 いかに悪口罵詈を浴びようが、師弟の真実を叫び抜き、創価の正義を広げ抜く学会員が偉大なのだ。
 それを、自分には学歴や肩書があるなどと鼻に掛け、お世話になった庶民を侮る心があれば、爾前経で呵責された、増上慢の二乗にも劣る。
 だからこそ、戸田先生は、幾度となく厳格に戒められていた。
 「いわゆる『二乗根性』で、自分は学者である、優秀である、誰よりも深い学識があると思い、増上慢となった者も、やがて退転するだろう」
 「他の人の幸福を考えない。自分一人の安心立命を、何よりも大事にする。悪を責めず、人を善に導こうともしない。
 すなわち、二乗根性とは──利己主義の小善人を意味する。菩薩界、仏界の衆生救済という大局観において、邪魔になる人物である」
 ともあれ、師弟共戦で広宣流布に我が身を投じてこそ、初めて二乗の増上慢を破り、自己の小さな境涯をも打開していけることを、絶対に忘れまい。

〈中略〉

わが弟子と
 共に誉れの
  師弟不二
 邪悪を倒して
  勝ちまくれ

 思えば、私が戸田先生からいただいた、「追撃の手をゆるめるな!」との最後の指示を皆に伝えたのも、ご逝去翌日の本部幹部会であった。
 3月の末、総本山で、所化頭が、年少者をいじめていた。常々、学会を悪口している恩知らずであった。
 この人物と、青年部は敢然と戦った。悪を糾弾し、猛省を迫ったのである。
 その報告を戸田先生に申し上げたところ、先生は毅然と厳命されたのだ。
 「いいか、一歩も退いてはならんぞ、追撃の手をゆるめるな!」
 将来の先の先まで見通され、宗門内部に巣食う腐敗堕落とは断固戦えとの、甚深の指導であった。
 私は声を奮って訴えた。
 「この先生のご指示を、広宣流布の日まで、わが青年部の闘争の源泉としていくことを決意としたい」

師の精神を叫んで

この人生
 師匠と共に
  幸福抄

 「恩師の精神を、ただ叫び続けて、この生涯を送ろう」──師の正義を叫び抜き、偉大な青年の大城を築き上げることが、私の人生のすべてとなった。
 恩師が亡くなり、厳しく注意する人がいないのをよいことに、私利私欲のために学会を意のままにしようとした悪人も出た。
 広布の大願を忘れ、臆病、怠惰になり、保身に汲々とする古参幹部もいた。
 横柄な態度で君臨し、新しい力の芽を摘み、前進の足を引っ張る者もいた。
 聡明な庶民は、そうした増上慢の輩を鋭く見破り、私と共に戦ってくれた。
 熱血の青年が、私の後に敢然と続いてくれた。
 新生の創価学会は、この若々しき正義の熱と力で築かれてきたのだ!
 恩師逝いた直後の「大白蓮華」に、私は“戸田先生と青年部”の宿縁を記した一文を寄せ、その末尾に誓いを込めて綴った。
 「大樹一度(ひとたび)倒れたが、大樹の根に連なる、若き青年部の樹木がすくすくと育ち、やがて大空を覆う日も間近であろう」──
 この誓いは、間断なき50年の大闘争を経て、今や全地球を包む、壮大な地涌の青年の森となった。
 わが後継の青年部は、恩師の「立正安国」の大願を受け継ぎ、平和と正義の人材の林立を、さらに諸モ剌と広げてくれている。
 創立80周年、第3代会長就任50周年の春、人類の希望と光りながら、創価桜は爛漫と咲き誇った。
 「花は根にかへり真味(しんみ)は土にとどまる」(同329㌻)とは、「報恩抄」の結びの御金言である。
 わが心の大地であられる戸田先生へ報恩を果たしゆく誇りに、弟子の生命は歓喜踊躍する。
 さあ、創価の弟子よ、青年たちよ! 私と共に、「万年の外・未来までも」(同㌻)、広宣流布へ威風堂々と前進しようではないか!

師弟不二
 生死不二なる
  君なれば
 断固と勝ち抜け
  創価のためにと


2010.4.15
随筆 我らの勝利の大道12
誓い燃ゆる四月

師弟の歌

 戸田は自若としていたが、人知れぬ憔悴は明らかだった。山本伸一は戸田の顔を見ることが、時に辛かった。彼もまた憔悴していたのである。
 ある夜、会社でおそく二人だけで、顔と顔を合わせた。戸田は、伸一の憔悴をしげしげと見ながら言った。
「伸、どうした。生命力がてんでないじゃないか。生命力が弱っていては、戦さは負けだぞ。ここに来なさい」
 戸田は伸一を叱咤しながら、御本尊の前に据えた。真剣な勤行がはじまり、唱題がつづいた。
 憔悴した不世出の師は、愛する憔悴した一人の弟子のために、御本尊に懸命な祈念をしたのである。伸一は、じっと涙をこらえるのに懸命であった。
 この夜、伸一の感動は下宿に帰っても、少しも消え去ることがなかった。深夜、一人の青年の感涙は、一首の歌に結晶した。

 古の 奇しき縁に 仕えしを
  人は変われど われは変わらじ

(いにしえの くしきえにしに つかえしを
  ひとはかわれど われはかわらじ)

 伸一は、この歌を綺麗に清書して、胸の内ポケットの奥にしまいこんだ。戸田にどうしても贈りたかったからである。
 あくる朝、戸田は伸一の体を心配して、昨夜のことを思いながら挨拶していた。
「伸、きのうは休めたか。これ以上、痩せてはいかんよ」
「はい、ありがとうございます。どうか、先生こそ少しお休みになってください。お願い致します」
 伸一は、胸のポケットから歌の紙片を取りだして、戸田の前に差しだした。
 戸田は近眼の眼を、紙にすりつけんばかりにして、それを見た。
「うん、わかっている」
 一瞬、戸田の表情は厳しくなり、またすぐ笑顔になって伸一を見た。
 四面の楚歌を聞きつづけていた戸田には、いまこの稚(いとけな)い一首の歌が、いい知れぬ喜悦をもたらしたのであろう。彼は、いくたびも読みかえしながら、瞬間、四面の楚歌を忘れていた。
「よし、ぼくも歌をあげよう。返し歌だ。紙はないか……。さて……」
 戸田はペンを手にすると、しばらく思いをめぐらしていたが、さっと勢いよく認(したた)めた。

 幾度か 戦さの庭に 起てる身の
  捨てず持つは 君が太刀ぞよ

(いくたびか いくさのにわに たてるみの
  すてずたもつは きみがたちぞよ)

「これをあげよう」
 伸一は礼をこめて、その紙片をもらおうとした。だが戸田は、その紙片を渡そうとしなかった。
「まて、まて、もう一首あるんだ」
 戸田はペンを握ったまま、しばし動かなかった。やがて動いたと思うと、さらさらともう一首の歌を書いた。

 色は褪せ 力は抜けし 吾が王者
  死すとも残すは 君が冠

(いろはあせ ちからはぬけし わがおうじゃ
  しすとものこすは きみがかんむり)

「さあ、これで、いいだろう」
 戸田の顔は、喜んでいるようにも見え、淋しそうにも見えた。そして、二首の歌を、さりげなく伸一に与えたのである。伸一は、さっと読みくだすと、深く頷いた。わななくような感動が、全身に走るのを、どうしようもなかった。
 ――この私が、はたして先生の太刀なのであろうか。この私が、先生の冠に値するのだろうか。……先生は御自分のことも、私の何からなにまでも、解っていてくださるのだ。
 伸一は眉をあげた。戸田の深い慈愛は、この時、伸一の生命を永遠に貫いたのである。異体は同心となり、一つの偉大な生命に溶けて、久遠からの実在の姿を現したのである。
 戸田は、にっこり笑って無言であった。
「ありがとうございます」
 伸一は礼儀正しく、これだけ言うのが精一杯だった。必死の決意で、戸田の眼鏡の奥の瞳をはっきりと見た。瞳は鋭く、また暖かく、澄みきって輝いている。


『人間革命』秋霜の章


*******


 大学3年生のとき、信頼する後輩から、

 「学園のとき、個人的に(国語科の)〇〇先生から、これだけは絶対に覚えておかなきゃいけない短歌」

 だと教えられたという話を聞きました。
 
 それがこの人間革命4巻の一節にある三首です。
 帰宅してすぐ暗記しました。
 でも、そのときはまだまだ客観的にしか感じられませんでした。

 久しぶりに前後も含めて読み返して、とても想うところがありました。
 主観的に読み、感じていきたいと思いました。

 
 がんばらなきゃ。
 もっともっとがんばらなきゃ。
 がんばりたい。
 もっともっと、使える人材に、信・行・学を基準とした大人材に、成長したい。

桜樹燦爛

枝垂れ桜

 花に心あらば、何を思って咲くのだろう。
 花に言葉あれば、何を語ってくれるだろう。

 創価大学の枝垂れ桜。
 光が「紅の滝」のように垂れていた。紅は燦々と輝き、爛々と燃えて、麗春の喜びを、命いっぱいに歌っていた。
 四月も半ばを過ぎ、都内では、すでに葉桜の季節になっていたが、大学の若き枝垂れ桜は、今が「花時」であった。
 竹林のある静かな庭に、ゆったりと花の波、花の滝。花の衣に花錦。
 創価大学の緑は、武蔵野の自然を残すとともに、創立の後も、何かにつけて樹を増やしてきた。
 「年々歳々、樹々が育つように、若き学徒よ大樹に育て」と祈りつつ。

 木を植えるは、十年の計。
 人を育てるは、百年の計。
 各地の桜の名所も「次の世代の人たちを喜ばせたい」。そういう気持ちの人たちがいたからこそ、今、花を楽しめるのではないだろうか。

 私のふるさと大田の多摩川のほとりにも、有名な桜並木がある。
 流れに沿い、堤に沿って、にぎやかに万朶(ばんだ)の春を展(ひろ)げる、平和の園となっている。そこにも、ひとつのドラマがあった。
 その昔、多摩川は決壊を繰り返す「暴れ川」であった。
 大正七年から、政府は多摩川の下流の治水工事を推進した。
 昭和四年春、十余年におよぶ工事が竣工しつつあったが、河口から二〇キロにおよぶ地域は、雑草が茂るままであった。今の大田文化会館のあたりの両岸がそうである。
 さて、この土地をどうするか――町長は「屋根替」のために「茅」でも植えようかという。
 すると、ある人いわく「茅の恩恵を受ける人は少数だ。長堤に植えるのは桜です。百年後の桜の名所をつくるんです」。春は花、夏は緑。「京浜地域の幾百万の健康道場」にすべきだというのである。
 彼、河野一三(かずそう)氏の無私の情熱が、多くの人を動かして、障害を乗り越え、雑草の堤は、桜の公園に生まれ変わった。そして戦火にも負けず、生き抜いて、今、二十一世紀を迎えんとしている。「百年後の桜の名所を」との尊き思いの通りに。
 河野さんは、学会の文芸部員として活躍された娘さんの勧めで、晩年に学会員となられた。

 近代日本の桜は、しかし不幸な歴史を背負ってきた。桜は「軍隊とともに歩んできた」とさえ言われる。
 昭和九年、私は羽田の第二尋常小学校に入学した。一年生の国語の教科書の冒頭は「サイタ サイタ サクラガ サイタ」。
 前年にできた新国定教科書である。その続きには「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」とあった。
 「いさぎよく、桜の花のように」とか「散華の美学」とか、そんな言葉にだまされて、どれほど多くの若き命が散ったことか。青春の盛りを散らされたことか。

 今なお「引きぎわが、いさぎよい」ことを称える淡白さが、日本にはある。しかし、それで自分はよくても、どうやって「大事」を成し遂げられようか。
 命あるかぎり――いな、命の力が萎えようとする時でさえ、新しき生命力を、空から、雲から、大地から、樹々から吸い取ってでも生きねばならぬ。志を遂げねばならぬ。
 栄誉もいらぬ、名もいらぬ、富貴もいらぬ、理解もいらぬ、ただ己の「ひとすじの道」に、かじりついて、ぶざまなまでに悪戦苦闘を重ね重ねて、二十年、三十年、四十年を貫き通していく。
 それこそが「勇気」ではないか。
 
 若き君よ、理想の華を散らせてはならぬ。生あるかぎり「もう、これまでだ」などと言うな。少しくらいの苦労で「人間とは、世間とは、こんなものだ」などと言うな。
 君が純粋であればあるだけ、誤解と攻撃が、山とのしかかることもある。心に合わない仕事をしなければならないこともある。
 しかし、意のままにならないからこそ、修行なのだ。そこで奮闘してこそ、「苦を転じて楽となし、敗北を転じて勝利となす」痛快さも味わえるのだ。
 安穏は魂を殺し、順調は魂を殺し、自己満足は魂を殺す。
 心から血を流したことのない人間が、どれほど、つまらないか。どん底を見たことのない人生が、どれほど味気ないか。
 つまずき、立ち上がるたびに、本当の人生を学べるのだ。耐えて生きている人の心もわかるのだ。
 踏んだり、蹴られたりしなければ、精神がふやけてしまう。
 強い人間は、不幸さえも楽しんでいけるのだ。

 枝垂れ桜は「糸桜」。朱い糸で、春の風景画を織りなしている。
 樹下の花陰に立って見上げたなら、天人(てんにん)の爪繰(つまぐ)る紅玉(ルビー)の玉簾(たますだれ)が青空から降りてきたと見えるだろうか。
 桜の花は、実は、若い青春の開花ではないのだという。
 花が咲くのは「一年の最後の宴」なのだという。
 花を散らした後、桜は次の年の「花芽」をつくり始め、夏には、ほぼできている。そして秋を越え、冬を耐え、春を待って、それまでの一年の努力を、最後に、にっこりと咲かせるのである。

 人も、一生の最後に花咲けばよい。途中は全部、準備にすぎない。
 最後に花咲けば、一生は幸福。
 最後の数年が「心の花の宴」なら、人生劇は勝利。
 わが恩師の一生もそうであった。
 何度もすべてを失いながら、戦い、戦い、すでにない命を延ばし延ばして生き抜き、勝って――「桜の咲くころに」莞爾(かんじ)として逝かれた。これで胸を張って牧口先生にお会いできると。「巌窟王」の執念の恩師であった。
 その恩師の逝去の日「四月二日」を、私は「創価大学の創立記念日」と決めた。その意味を、若き学徒は、かみしめてくれるに違いない。
 今年もまた師弟の勝利の「四月二日」が来る。
 燦爛と、魂輝く春が来る。


2000.4.2
池田名誉会長の写真紀行 光は詩う
第23回 桜樹燦爛(おうじゅさんらん)続きを読む

全学会を担い立つ“使命の自覚”

 伸一の言葉には、次第に力がこもっていった。
「戸田先生の時代、青年部は学会の全責任を担い、常に学会の発展の原動力になった。戸田先生の言われた七十五万世帯は、誰がやらなくとも、青年部の手で成就しようという気概があった。そして、各支部や地区にあっても、青年が布教の先頭に立ってきた。また、何か問題が生じた時に、真っ先に飛んで行き、対処してきたのも青年部であった。すべてを青年部の手で担ってきました。
 だから、戸田先生も、『青年部は私の直系だ』と言われ、その成長に、最大の期待を寄せてくださっていたのです。
 しかし、学会が大きくなり、組織が整ってくるにつれて、青年が壮年や婦人の陰に隠れ、十分に力が発揮されなくなってきているように思えてならない。端的に言えば、自分たちだけで小さくまとまっていく傾向にあることが、私は心配なんです。青年部に、学会の全責任を担うという自覚がなければ、いつまでたっても、後継者として育つことなどできません。
 今、かつての青年部が学会の首脳となって、縦横無尽に力を発揮して戦っているが、皆、青年部の時代から、全学会の責任をもつ決意で、私とともに必死になって働いてきた。その自覚と行動があったからこそ、今、学会の首脳として、立派に指揮をとることができるのです」
 それは、伸一の実感であった。彼は、一部員であったころから、戸田の広宣流布の構想を実現するために、学会の全責任を持とうとしてきた。その自覚は班長の時代も、青年部の室長の時代も、常に変わらなかった。
 もちろん、立場、役職によって、責任の分野や役割は異なっていた。しかし、内面の自覚においては、戸田の弟子として、師の心をわが心とし、学会のいっさいを自己の責任として考えてきた。それゆえに、戸田の薫陶も生かされ、大いなる成長もあったのである。
 この見えざる無形の一念こそが、成長の種子といってよい。
 種子があれば、養分を与え、水をやり、光が注いでいけば、やがて芽を出し、大樹に育っていく。だが、種子がなければ、どんなに手をかけても、芽が出ることはない。
 伸一は、愛する青年たちの胸中に、全学会を担い立つ“使命の自覚”という、成長の種子を植えたかったのである。


『新・人間革命』青葉の章


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 昨日の「11・3 国分寺の日」記念総会、幹部指導忘れられないだろーなと思う。
 「師弟の道」と「師弟不二の道」の違いについて、『人間革命』脈動の章の一節を引いての指導。

 弟子が立つ“時”。
 もはや、上から降りてきた目標や指針を帳尻を合わせるように「こなす」ようでは、学会に未来はない。


 全学会を担い立つ“使命の自覚”ってやつ、うん!!!


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「約束を守る」人、「誓いを果たす」人

 決意はたやすい。が、それを実現することは容易ではない。
 反逆者たちも、皆、口がうまかった。それぞれに立派な決意を述べていたが、結局、裏切っていった。
 口ではない。行動である。結果である。事実である。
 一旦、約束したことは必ず実行する――これが私の、また恩師戸田先生の精神である。
 また国際社会における信義の根幹でもある。
 口先だけでは通用しない。その場しのぎの言葉や、ソロバン勘定だけではかえって信頼を失ってしまう。軽蔑の対象となる。
 日本が国際社会において信用を得られるかどうかも、結局、こうした基本を大切にしているかどうかにかかってこよう。
 私は世界に多くの友人をもっているが、一流の人は皆、約束を違えない。私も、同じ信念できた。だから互いに安心し信頼できる。ゆえに、多くの友情が花開き、実を結んできた。
 「約束を守る」人が人間として一番偉い人である。「誓いを果たす」人が、一番苦しそうに見えて、一番幸福な人である。


『創立者とともに』VOL.1
1991.5.5
創価教育同窓の集い


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 一番できてないことだ。

 やばいなー。

 
 最後には勝つ、最後には勝つ、最後には勝つ!!!

 行動!行動!!行動!!!



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