広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

栄光

「広宣流布」とは

 「広宣流布」とは、全人類の平和と幸福を実現する大闘争である。
 それは、理屈でもなければ、格好でもない。
 「苦しんでいる人を、放っておけない」――この迸る思いで、悩める友のもとに駆けつけ、ともに涙し、ともに祈り、ともに立ち上がっていく慈愛と勇気の実践であるといってよい。
 その尊貴な庶民の熱誠の行動によって築かれた正義と栄光の城こそ、わが創価学会なのである。


『わが忘れ得ぬ同志』


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 広宣流布の実像を浮かび上がらせて頂いたような御指導です。

 僕は、「人間革命」にしても、「広宣流布」にしても、漠然とした意味の言葉として使っていると、「何のため」かが不明確になってしまうと思います。
 御書ないし仏法の教義から照らした定義を踏まえた上で、先生の御指導を通してイメージを明確にしておくことが、日々唱題し、活動するのが「何のため」なのか見失わずに前進する基盤になると考えます。
 
 「唱題根本」「日々成長」「生涯前進」「勝つ!」「同志と共に歓喜する」「困難を乗り越える」「悩みに負けない」・・・これらのようなものが僕の人間革命のイメージです。
 そして、その人間革命のドラマの連鎖反応が、僕の広宣流布のイメージです。

自分らしく、堂々と、希望に向かって

 大切なのは、「勇気」である。「努力」である。それこそが「栄光」を生み、「勝利」を生む。
 人生はマラソンである。途上で、皆に少しくらい後れをとったとしても、焦る必要はない。最後に勝てばよいのである。ゴールで勝利のテープを切る人が、本当の勝利者である。そのために、明日から再び、着実に努力し、自分らしく、堂々と、希望に向かって歩んでいただきたいと申し上げお祝いのスピートとしたい。
 くれぐれも身体を大切に、きょうは本当におめでとう!


1994.3.16
創価学園卒業式
(創価中学・高校24期、関西創価中学・高校19期)


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カレーの市民

 きょうは、歴史に残る、第二十三回栄光祭おめでとう。 諸君は、私の宝である。諸君は、私の意志を継いでくれる一人一人である。諸君は、世界に雄飛し、私の切り開いた道を完成しゆく一人一人である。
 そのことを思うと、私は最高の幸福者である。そして、何の心配もないし、何の憂いもない。私の人生の幸福は、王者のごとくである。諸君のますますの成長と健康をお祈りしたい。また、ご家族の皆さま、教職員の方々に、私は心から感謝と祝福を申し上げます。
 きょう七月十七日は、私の出獄の記念日である。その意義も含めか本日はまず、アーマンド・ハマー博士の自伝に基づき、博士のお父さんの話を少ししたい。
 じつは、ハマー博士は、最も多感な青春時代に、お父さんを裁判にかけられ、投獄をされるという、つらく苦しい歴史を刻んでいる。それは、医師であるお父さんが、殺人罪で告訴されたことである。くわしい事情は略すが、患者さんを思ってのお父さんの善意の行動が、曲解された。そしてまた、社会運動に関心をもっていたお父さんを陥れようとする反対勢力の動きもあった。
 ハマー青年は、父の潔白を信じ、懸命に訴えた。だが、父を守るべきはずの弁護士が、これまた悪徳弁護士で、少しも役に立たない。そればかりか、勝てるはずの裁判をかえって不利に進めたのである。また、悪意のマスコミにも興味本位に書かれた。裁判を戦う者にとって、これらは致命傷ともいえる。
 本来は正しき人のため、権力をもたぬ立場の人のために戦うのが弁護士等の職業である。しかし現実は、必ずしも、そうなってはいない。その矛盾した社会を変革するために諸君がいる。今や学園出身者の中からは、多くの弁護士も誕生しており、私はうれしい。その成長と活躍を心から期待している。
 結局、ハマー博士のお父さんは、裁判に負け、有罪の判決を受ける。
 「愛する親が、被告席に座っていたり、囚人服を着せられた姿を平然と正視できる人はきわめて少ないだろう」(アーマンド・ハマー『ドクター・ハマー』広瀬隆訳、ダイヤモンド社)と、ハマー博士は振り返っている。ハマー博士の人生にあって、まさに「悲しくて絶望に満ちた時期であった」(同前)。しかし、当時まだ医学生だったハマー青年は、歯をくいしばって勉強を続けた。
 “今は何もできない。しかし今に見よ!ともかく力をつけよう。学びに学ぼう。そしていつか、父の正義と真実を証明するのだ仇を討つのだ”
 ――私には、そうしたハマー青年の心情が痛いほど伝わってくる。
 私の恩師戸田先生も、そうであられたからである。先生は、権力によって獄死させられた牧口先生の正義を証明するために、一人立たれた。そして私は、戸田先生の正義を証明するために一人立った――。
 やがて、大学を卒業すると、ハマー青年はアメリカから、父の祖国ロシアへ渡る。当時、チフスがはびこっていたこの地で学んだ医療を役立てよう、そしてまた、刑務所の独房に捕らわれの身となったお父さんに、懐かしい祖国の革命後の様子を伝え、励まそう――そうした気持ちがあった。一流の人物は、逆境をバネとして大きく力をつけていく。“もうだめだ”と結論するのは、その人の心の弱さの証明でしかない。
 ハマー青年は、父の投獄という最も悲しい悔しい体験をバネとして、自身の舞台を大きく世界に開いた。「アメリカとソ連の架け橋」としての行動を、雄々しく開始したのである。後に、ハマー青年は、ソ連で事業を成功させ、出獄したお父さん、お母さんをアメリカからモスクワに招いて、親孝行をしている。
 そして、何よりも、世界を舞台にした目覚ましい活躍の姿を通して、父に着せられた汚名をそそいでいったのである。また事実、ハマー博士は有罪判決をくつがえす裁判を起こし、一九四三年に、父の無罪判決を勝ち取っている。(寺谷弘壬『ドクター・ハマーが動いた!』KKベストセラーズ、参照)まことに味わい深い、素晴らしい人生のドラマといってよい。博士の経歴のうえから、諸君の何らかの参考になればと思い、紹介させていただいた。
 「世界を制覇せんとするものは、汝自身の悲哀を制覇せよ」との言がある。私の好きな言葉である。
 多感な青春時代、諸君にも大なり小なり、つらいこと、苦しいことがあるかもしれない。しかし、そこで負けてはならない。強く、また強く耐えながら、学びに学び、力を磨き、人生の勝利者に育っていけばよいのである。私は諸君の活躍を、いつも見守っている。また一生涯、見守っていく。

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4月28日 『女性に贈ることば365日』

 前を見よ
 後ろを見るな
 前には
 希望と勝利と栄光の人生がある


『女性に贈ることば365日』4月28日


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 本当にその通りだと思う。
 池田先生は、「悩み」があることの大切さはたびたび指摘される。御書にも「煩悩即菩提」とあり、煩悩の薪があるからこそ、仏の悟りの智慧の火もあるという一節もある。

 ただ、「悩めばいい」「悩んでるだけでいい」とか、何でもかんでも「悩むこと自体が大切」というのは、ミスリーディング(誤った方向に導くこと)だと思う。
 仏法の教義からすれば、「悩み」は薪であって、それ自体では価値がない。むしろ不幸の源。それをお題目を唱えて、乗り越えていく。それを繰り返して強い心を築いていく。そこに価値があり、幸福がある。
 悩んでるだけじゃ決定的に足りない。祈って、自分の可能性を信じて、前に進むこと。それが仏法の勧める生き方。
 
 前進、また前進!


※今の自分に言い聞かせつつ。

4月10日 『女性に贈ることば365日』

 努力という短い言葉のなかに、勝利と栄光が光っている。


『女性に贈ることば365日』4月10日
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