荒川の記念撮影では、写真を撮ったあと、合唱や踊りも披露された。
なかでも、高等部員が歌った「友よ強く」の歌は、参加者の心を激しく揺さぶった。
この「友よ強く」の詩は、山本伸一が青年時代に作ったものであった。
神奈川の会員宅を訪問した折のことである。
その家の婦人から、家計を助けるために他県に働きに出ている、十代半ばの子息から来た手紙を見せられた。
手紙には、一部屋で数人が共同生活しており、勤行をするにも、大変に苦労していることがつづられていた。
――タオルと石鹸を持って、風呂に行くと言っては裏山に登り、そこで勤行をしているというのである。
手紙を読み終えると、伸一は直ちにペンをとった。励まさずにはいられなかった。そして、一詩をしたためた。
それが、「友よ強く」であった。
友よ強く 雄々しく立てよ 僕が信ずる君が心を 苦しき仕事 深夜の勉強
これも修行ぞ 苦は楽し 君が信念 情熱を 仏は じっとみているぞ
それから二十年近くして、荒川区に住むある学生部員は、先輩の家で、この詩を目にした。
彼は、大きな感動を覚えた。働き、学ぶ、青春の模範が、そこにあると思った。
かつてピアノを習い、音楽好きであった彼は、これを歌にして、二部学生に教え、元気づけたいと思った。
ギターを使いながら曲を考え、楽譜にした。
出来上がった曲を、皆で口ずさんだ。
「いい歌だ! 困難に立ち向かう勇気が出てくるよ」
好評であった。やがてこの歌は、友から友へと静かに広まっていった。
そして、荒川区の記念撮影会を迎えるに当たって、高等部の担当幹部から、「当日、高等部員で『友よ強く』の歌を合唱したい」との要請があったのである。
そこで、音楽隊長を務めた有村武志のアドバイスを受け、楽譜を手直しして、この日の発表となったのだ。
高等部員による「友よ強く」の合唱には、若々しい力があふれていた。
歌が終わると、山本伸一は、立ち上がって拍手を送りながら絶讃した。
「うまいね! 感動しました」
それから、作曲者の青年を呼んで言った。
「すばらしい曲です。
このメロディーを永遠に残すために、レコードにしよう」
高校生たちの間から、歓声があがった。
感極まり、目を潤ませるメンバーもいた。
そして、この「友よ強く」の歌は、高等部をはじめ、広く、学会の愛唱歌として歌われていくようになるのである。
伸一は、行く先々で、喜びの種子を、向上の種子を植え続けた。それが大いなる前進の活力となるからだ。
〝どうすれば、皆が、元気になるのか。信頼の柱となる力あるリーダーに成長できるのか。
何があっても退転することなく、幸福への道を歩み抜けるのか……″
伸一は、どこにあっても、そのことを真剣に悩み、考え続けた。
法華経の寿量品に「毎自作是念」(毎に自ら是の念を作す)とある。
これは、仏が、常に衆生をいかにして「悟り」に導くかを考え、法を語り続けていることを説いたものだ。
伸一もまた、広宣流布に生きる仏法者として、自分も、そうあらねばならないと、心を定めていたのである。
仏法は、自らの実践のなかにこそ、脈動する。
自分は、常に何を考え、一念をどこに定めているか――そこに、自身の境涯が端的に表れるといってよい。
『新・人間革命』入魂の章
*******
学会歌「友よ強く」の誕生のいきさつが描かれています。
師弟不二の途を行くため、僕も、「毎自作是念」でいきたい。「先生であればどうされるか」で生き抜きたい。
「リーダー」に関する先生の言葉はコチラ
http://blog.livedoor.jp/taiga0120sokagakkai/archives/1312485.html">
学会歌「友よ強く」
なかでも、高等部員が歌った「友よ強く」の歌は、参加者の心を激しく揺さぶった。
この「友よ強く」の詩は、山本伸一が青年時代に作ったものであった。
神奈川の会員宅を訪問した折のことである。
その家の婦人から、家計を助けるために他県に働きに出ている、十代半ばの子息から来た手紙を見せられた。
手紙には、一部屋で数人が共同生活しており、勤行をするにも、大変に苦労していることがつづられていた。
――タオルと石鹸を持って、風呂に行くと言っては裏山に登り、そこで勤行をしているというのである。
手紙を読み終えると、伸一は直ちにペンをとった。励まさずにはいられなかった。そして、一詩をしたためた。
それが、「友よ強く」であった。
友よ強く 雄々しく立てよ 僕が信ずる君が心を 苦しき仕事 深夜の勉強
これも修行ぞ 苦は楽し 君が信念 情熱を 仏は じっとみているぞ
それから二十年近くして、荒川区に住むある学生部員は、先輩の家で、この詩を目にした。
彼は、大きな感動を覚えた。働き、学ぶ、青春の模範が、そこにあると思った。
かつてピアノを習い、音楽好きであった彼は、これを歌にして、二部学生に教え、元気づけたいと思った。
ギターを使いながら曲を考え、楽譜にした。
出来上がった曲を、皆で口ずさんだ。
「いい歌だ! 困難に立ち向かう勇気が出てくるよ」
好評であった。やがてこの歌は、友から友へと静かに広まっていった。
そして、荒川区の記念撮影会を迎えるに当たって、高等部の担当幹部から、「当日、高等部員で『友よ強く』の歌を合唱したい」との要請があったのである。
そこで、音楽隊長を務めた有村武志のアドバイスを受け、楽譜を手直しして、この日の発表となったのだ。
高等部員による「友よ強く」の合唱には、若々しい力があふれていた。
歌が終わると、山本伸一は、立ち上がって拍手を送りながら絶讃した。
「うまいね! 感動しました」
それから、作曲者の青年を呼んで言った。
「すばらしい曲です。
このメロディーを永遠に残すために、レコードにしよう」
高校生たちの間から、歓声があがった。
感極まり、目を潤ませるメンバーもいた。
そして、この「友よ強く」の歌は、高等部をはじめ、広く、学会の愛唱歌として歌われていくようになるのである。
伸一は、行く先々で、喜びの種子を、向上の種子を植え続けた。それが大いなる前進の活力となるからだ。
〝どうすれば、皆が、元気になるのか。信頼の柱となる力あるリーダーに成長できるのか。
何があっても退転することなく、幸福への道を歩み抜けるのか……″
伸一は、どこにあっても、そのことを真剣に悩み、考え続けた。
法華経の寿量品に「毎自作是念」(毎に自ら是の念を作す)とある。
これは、仏が、常に衆生をいかにして「悟り」に導くかを考え、法を語り続けていることを説いたものだ。
伸一もまた、広宣流布に生きる仏法者として、自分も、そうあらねばならないと、心を定めていたのである。
仏法は、自らの実践のなかにこそ、脈動する。
自分は、常に何を考え、一念をどこに定めているか――そこに、自身の境涯が端的に表れるといってよい。
『新・人間革命』入魂の章
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学会歌「友よ強く」の誕生のいきさつが描かれています。
師弟不二の途を行くため、僕も、「毎自作是念」でいきたい。「先生であればどうされるか」で生き抜きたい。
「リーダー」に関する先生の言葉はコチラ
http://blog.livedoor.jp/taiga0120sokagakkai/archives/1312485.html">
学会歌「友よ強く」