広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

病気

「きっと変えられる」

「勇気づける名人」

 サンティアゴ博士が、《力による支配》に敏感なのは、理由がある。
 「私が生まれ育ったプエルトリコは、ずっと他国に植民地化され、従属を強いられてきました。かつてはスペインが支配し、後にアメリカが来て支配しました。政治的にも、宗教的にも、常に誰かに従うことを強いられ、私の人生の先には自由も開放もないように見えたのです」
 自分の人生、自分たちの社会の未来を、自分で決められないという閉塞感!
 「そんな時に、良師に出あい、私の人生は変わりました。心理学のカルロス•アルビズ博士(カルロス•アルビズ大学創立者)です。私は十八歳でした。尊敬できる素晴らしい師にめぐり会い、スポンジのようにあらゆることを吸収して学んだものです」
 アルビズ先生は、どんか人だったのだろうか? 
 博士によると、あふれんばかりの愛情をもち「人を勇気づける」名人であられたようだ。具体的には?
なにより先生は〈人の話をすすんで聴く〉人であった。ただ頑張れと言う以上に、話を聴くことこそが相手への敬意である。
 「博士はよく学生を自宅に招待してくれました。そういうことをする人は当時、まれでした。『あなたのことを教えてください』と、学生たちの話を熱心に聴いてくれるのです。ある土曜の晩など、夜中の三時まで、さまざまなことを語り合ってくださいました。忘れられません」

力に頼ると、心が鈍感に

 勇気づける――これこそ指導者の根本条件であろう。
 たとえば職場。
 部下を命令だけで動かそうとすれば、部下の体は従っても、心は従わず、動きは悪くなる。それを見て「彼は、やる気がない。自発性がない」などと決めつける上司がいる。部下の自発性を抑圧しているのは自分なのだと気づかない。
 「力」に頼った分だけ「心」は痩せて鈍感になるのだろうか。
 その反対に、こんな上司もいる。客とトラブルになり、おそるおそる失敗を上司に報告した。怒られるかと思ったら、「そうか!私の出番だな!まかせとけ!」。部下が上司を尊敬し、勇んで働いたことは言うまでもない。
 みなに敬意を払い、勇気を贈ったほうが、うまくいくのだ。職場も、家庭も。国も、世界も。
 そして、勇気を贈る一番のものは〈感謝〉ではないだろうか。「あなたがいてくれてよかった」「あなたのおかげで助かったよ」と。自分が必要とされているという実感が、人を元気づける。
 アメリカ創価学会のジョモ・ソーン男子部長も、ビートリス・ロペス女子部長も、プエルトリコに故郷(ふるさと)をもつ。
 ロペス女子部長のお母さんは十三歳の時、お父さんとともにプエルトリコからニューヨークに来た。しかし、父の暴力癖のため、同居できず、きょうだいは、ばらばらに引き取られることになった。少女はカトリックの尼僧のもとに居候し、学校に通った。スペイン語しか話せないため、居候の場でも、学校でも、孤独だった。なにもかもが、みじめだった。島に飛んで帰りたかった。泣きながら、島に残るお母さんに電話した。病床にあったお母さんは、そのたびに「あなたは大丈夫よ。素晴らしい子よ。あなたが私の誇りなのよ」と言ってくれた。
 私が頑張っていることが、お母さんの支えになっているんだ!
 生きる力がわいてきた。
 母に必要とされ、感謝されたことが彼女を救ったのである。
 母の「ありがとう」に「ありがとう」――彼女は今、晴れ晴れと勝利の人生を歩んでおられる。

「感謝」から「幸福」が

 ありがとうは〈奇跡の言葉〉である。口に出せば、元気が出る。耳に入れば、勇気がわく。
 私自身、毎日、朝から晩まで「ありがとう」「ありがとう」と言い続けている。
 外国に行った時も、「ありがとう」の言葉だけは現地の言葉で伝えることにしている。「サンキュー」「メルシー」「ダンケ」「グラシアス」「スパシーバ」「謝謝(シェシェ)」。それを、心を込めて、きちっと相手の目を見て言っているつもりである。
 「ありがとう」を言うとき、聞くとき、人は心のよろいを脱ぎ捨てる。人と人とが深いところで通い合える。
 「ありがとう」が非暴力の真髄なのである。
 「ありがとう」の中には、相手への敬意がある。謙虚さがある。人生に対する大いなる肯定がある。前向きの楽観主義がある。強さがある。「ありがとう」と素直に言える心は健康である。だから「ありがとう」を言うたびに、あなたの心は光ってくる。体にも生命力がわく。
 サンティアゴ博士が師匠に捧げる感謝の熱さに、私は感銘した。
 自分が、どんなにたくさんの人やものに支えられて生きているか――ありがたいと思う、その自覚が、感激が、その喜びが、さらに幸せを呼ぶ。
 〈幸せだから感謝する〉以上に〈感謝するから幸せになる〉のである。
 「祈り」も感謝しながらの祈りこそが、最も大宇宙のリズムと合致し、人生を好転させていく。
 「ありがとう」と言えない時、人の成長は止まっている、成長している時、人は他人のすごさが見えるからだ。成長が止まると、人の欠点ばかりが目につくからだ。
 家庭でも「こうあってほしい」「こうあるべきだ」と、自分の思い通りの妻や子供に変えようとしないで、まず「ありがとう」と言ってはどうだろう。
 ある婦人は晩年、病んで、家族の名前さえ思い出せなくなった。しかし、医師が「人生で一番幸せだったのはいつ?」と聞くと、はっきり答えた。「娘が生まれた時です……うれしかった!」。それを聞いた娘さんの眼から、涙がどっと、ほとばしった。
 「ありがとう、お母さん。その一言で十分です」
 そして自分の子供をいつも叱ってばかりいたことを反省した。「そうだ、この子が生まれた時、生まれてくれたことだけで私は幸せだった!」
 それなのに、いつか自分の中の「理想の子ども」に、この子を合わせようとしていた。百点の理想像と比べての減点主義。いつも「ここが足りない。あれがもうちょっと」「どうして、こんなことができないの!」。
 そんなお母さんだったのに、子どもは一生懸命、こたえようとしてくれた。優しくしてくれた。ありがとう。本当は、あなたが生きていてくれるだけで、お母さんは幸せ。あなたはそこにいるだけで、お母さんを幸せにしてくれている。ありがとう。
 ――彼女は新しい目で子どもを見た。すると「ありがとう」「うれしい」の材料には、こと欠かなかった。
 朝、ぎりぎりだけど起こせば起きる。それが実は「すごいことなんだ」と感動した。ご飯も好ききらいはあるけれど、成績も良いとは言えないけれど、「今日も学校に行ってくれて、ありがとう」「今日も笑顔を、ありがとう」。
 何もなくても「いつも、ありがとう」。「無事の一日」にありがとう。「当たり前」を「当たり前」と思う心は傲慢だと気がついたのである。
 病を宣告されてはじめて、今まで健康を「当たり前」と思い、少しも感謝していなかったと気づいた人もいる。
 だからたまには、しっかりと目を見て「お父さん、いつもありがとう」と言ってみてはどうだろう。お父さんも黙って食べていないで、奥さんに「いつも、ありがとう」と言ってみてはどうだろう。照れくさくても言ってみれば、そこから何かが変わっていく。

「きっと変えられる」

 「人生の道に立ちはだかる壁を乗り越えるには、『必ず勝てる』という楽観主義が必要です。そして楽観的になるためには、楽観的な人たちと交流することです!」
 サンティアゴ博士からの励ましである。
 私たちには仏法の楽観主義に生きる多くの友がいる。だから、きっと変えられる。自分を変えられる。一家を変えられる。職場を変えられる。地域を変えられる。社会と世界を変えられる。
 変革の夢は、あきらめなくていいのだ。

2004.5.29
人生は素晴らしい(抜粋)


*******


※サンティアゴ・ネグロン博士はアメリカの自治領であるプエルトリコの学者。

 大学に入りたてのころ、国連研究会の1つ上の先輩から、この切り抜きを渡されたことが懐かしい。
 整理していると、偶然その切り抜きのコピーが現れました。

 その先輩からは、たくさんの期待と、たくさんの励ましをもらいました。

「『自分が苦しいときに、どれだけ人のことを想えるかが勝負』って決めて戦う先生のようにいこう」
「みんなの意見を引き出すリーダーになってほしい」
「大河しかいない」
etc...

 感謝です。
 ありがとうございます。

 そしてみなさんにも、ありがとうございます!!
 法科大学院留年という惨敗を喫してしまいましたが、来年5月の一発合格を目指して、戦います!!

京都の「紅の秋」

京都の「紅の秋」

 「燃えて生きよ」と告げていた。
 「ひた紅に生きてみよ」と歌っていた。
 華よりも華やかに、金襴の錦よりも豪奢に、京の秋色(しゅうしょく)は、柔らかな炎を噴あげていた。
 光の具合によって紅葉(もみじ)の枝に、金、銀、瑠璃、玻璃(はり)、瑪瑙(めのう)、珊瑚、赤真珠。七宝の輝きが、全部見えた。

 秋の京都は、久しぶりだった。
 昭和六十一年の十一月。京都の青年平和文化祭に出席するためである。
 文化祭の日の午前、友のすすめで、洛北の錦秋の庭を、しばし歩いた。
 天を衝く北山杉や、苔むした庭石の緑の上にも、落葉の緋色が鏤(ちりば)められている。紅葉(もみじ)を透かして見る空は、一足ごとに万華鏡のように変化し、青空は小さな無数の青の花びらとなって、赤の舞踏と戯れていた。

 「春は桜、秋は紅葉(もみじ)」
 自然を友に暮らした王朝人は、心まで、その色に染めなして生きた。
 光源氏の君の、あの絶唱。
 運命の人・藤壺の中宮を喪った時、彼は底なき悲しみを古歌に託した。
 「深草の野べの桜し心あらば
   今年ばかりは墨染に咲け」
 野べの桜よ、心あらば、この春ばかりは喪の色に咲け、わが心の色に染まりて咲け。
 紅葉もまた、心を映して咲いた。
 あるときは人生の慶事に纏う紅衣(ころも)となり、交歓の宴の帳となり、平穏な温もりの灯(ひ)ともなった。
 またあるときは修羅の雷火の色となり、鬼女の紅涙ともなり、身を焼く愛染(あいぜん)の焔となった。
 何より、王朝文化の華麗の底には、死を見つめ、人生の無常を見つめる仏教哲学の根があった。
 「死を見つめてこそ、生は輝く」。秋の紅葉(もみじ)は、その象徴であった。

 紅葉(こうよう)は、葉の熟年であり、老年と言える。
 「もみじ」は、本来「もみづ」(もみいづる)という動詞だという。秋の風や時雨が、ひと葉ひと葉の中から、それぞれの色を「揉み出して」いく。人も年齢とともに、よきにつけ悪しきにつけ、心の底のものが表に出てくるように。
 秋が暮れると、葉の中の葉緑素は壊れて、緑は消える。すると、緑は消える。すると、緑に隠れて見えなかった黄色の色素が表に出てくる。これが黄金(きん)の葉となる。
 紅い色素は、葉の中の糖分が変化したもの。日光による光合成でできた糖だ。いわば「自分の体に貯えた太陽」を燃やしているのが紅葉(こうよう)なのである。
 蛍が、わが命の中の光を振り絞り、吐き出し尽くして、逝くように――。
 秋という蒔絵を彩る木の葉の朱も金箔も、生涯の最終章を飾る渾身の光だ。
 千葉(せんよう)が舞い、万葉が謡う、生の最後の祭りなのだ。

 紅葉(もみじ)は、自らの姿で語っている。
 「人よ、あなたよ、炎(も)えて生きよ。死ぬほど生きよ。ひた紅に生きてみよ。
 生命に貯えた人生の春を燃やし、夏を燃やし、悩みを燃やし、惑いも焼き切り、希望を燃やし、全知全能を燃やし尽くして、生きてみよ。
 いのちある限り、前へ前へ、年とともに、いよいよ華やげ。最後の最後のその日まで、鮮烈に、前のめりに、死を焼き滅ぼすくらいに激しく生きよ。
 その炎が、古き後悔も傷も、過ちさえも浄化する。その聖火こそが、次の世までも照らしゆく光となる。夕焼けの荘厳が、明日の晴天を約束するように」と。
 紅葉(もみじ)は、木々の夕映えなのだ。

 庭を行くと、池にも、遣水(やりみず)にも、楓(かえで)が散り掛っていた。
 色葉匂えど、ちりぬるを。
 水を染めて浮かぶ紅。水の底に沈む紅。水に影を映す紅。三重(さんじゅう)の絵重(えがさ)ねが、流れに揺れては砕けた。
 身を一部、朽ちさせた葉もあった。しかし、病めるとも、負けずに燃えていた。
 病は死とは違う。病は生の一部なのだ。だから人生、病む日もある。病と心と、どっちが勝つかの競争だ。がんの告知をされて、ある女性は宣言した。「私の本当の人生が、きょう始まりました」と。

 私は思う。苦しみを耐え抜き、乗り越え、格好わるく、もがきながらも、気取りも、小さなプライドも捨てて、すさまじく命を燃やし切る。そこにこそ人間の尊厳があり、喝采を贈るべき勝利があると。
 ある葬儀。遺族は「父は一生を立派に戦い、逝きました。きょうは晴れの門出です」と、涙の万歳三唱で送り出した。
 ある欧州の青年は、ファシズムと戦い、牢獄での拷問にも耐え抜いて死んだ。人目を避けた、近しい人だけのわびしい埋葬。捧げる花もない。荒れ野の片すみに彼を埋める瞬間、一人が思わず拍手を鳴らした。皆が、「そうだ、友よ聞け」。彼の美しき人生に熱い拍手を捧げ続けた。
 見上げると、楓も掌(てのひら)の形をしている。燃え尽きた一葉(いちよう)が枝を出発(たびだ)つ時、見送る仲間は喝采を贈るかのように、風に、さんざめくのだろうか。

 庭にいたのは二十分ばかりか。
 御礼を言って立ち去ると、やがて雨が降り始めた。雨もまた良い。
 冷たい時雨に降られるたびに、紅葉(こうよう)は、いよいよ華やかに、いよいよ深き色に染まるからだ。
 京の染色が、染汁(そめじる)に何度もつけて、紅を八入(やしお)に染めていくように。

 夕には青年文化祭。古都に、新しい力が燃えていた。
 「この炎を、君よ生涯」と祈らずにいられなかった。
 楓は「心は変えで」の樹とも詠まれた。誓いを深く胸に染め、「変わらぬ心」の象徴でもあったのだ。
 無常の人生だからこそ、「変わらぬ心」で、ひた紅に生きる。そこに京都の美の心があり、日本の美の真髄があろうか。その心を今、だれよりも真実に生きているのが、わが友であると信ずる。
 人々の幸福のために、身の平安もかえりみず、軽侮(けいぶ)の時雨にも耐え、そしりの霜にも耐え、誇り高く燃えて生きてきた、あなたたち。
 ただひたすらに「きょうもまた、あすもまた」と。「きょうもまた、あすもまた」と。
 その真紅の人間絵巻こそ、いかなる紅林(こうりん)にもまさる絢爛の錦である。


1999.11.28
池田名誉会長の写真紀行 光は詩う
第8回 京都の「紅の秋」

8月30日 『女性に贈ることば365日』

 「病気になって、初めて人生について深く考え始めた」という人は少なくない。病気になって、改めて家族の大切さ、愛情の大切さに目覚めることも多い。
 病気さえも人生を豊かに彩る糧としていくことができる。


『女性に贈ることば365日』8月30日


*******


 もし、あの人に病気がなかったら、仲良くならなかったかもしれない。
 あの人のよさも、よわさも気付けなかったかもしれない。
 もっと、たくさんのことに気付かなきゃいけなかった。

忍耐と進歩

スランプがあっても
 その病気を 僕は
  忍耐と進歩という薬で癒してみせる


『若き友へ贈る』
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