広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

職場

“いてもらいたい人”

 山本伸一は、来賓と精力的に言葉を交わし、名刺交換していった。
 伸一の汗は、スーツの襟にまで滲んでいた。
 彼の後ろには、「創大祭」の実行委員長である押山和人という学生がついて歩いていた。
 押山も一期生で、来春には四年になる。だが、卒業後の進路について、まだ、真剣に考えてはいなかった。
 就職活動をするにしても、先輩もいないために、よく状況がつかめず、まだ先のことのように感じていたのである。
 しかし、創立者の姿を見て、押山は目の覚める思いがした。
 “先生は、本気になって、ぼくたちの将来に心を砕き、就職の問題も学生自身よりも真剣に考えて、手を打ってくださっているんだ。
 よく、『諸君のために道を開く』と、先生は言われるが、今、まさに、体を張って道を開いてくださっている!”
 押山は、創立者の姿を生命に焼き付ける思いで見ていた。彼の胸には熱いものが込み上げ、太い眉の下の大きな目が、何度も曇った。
 この日、伸一は、体育館に集った、ほとんどの来賓とあいさつを交わしたのであった。
 さらに、このあと、彼は「創大祭」を記念して行われた、卓球大会やテニス大会にも、相次いで出場した。
 伸一は、疲れ果てていた。しかし、そんな素振りは全く見せずに、学生と対戦した。
 夕方からは、教授の有志の招待を受け、構内の合掌造りの「万葉の家」で、食事をともにしたのである。
 最初に、教授の代表があいさつに立った。
 この教授は、感無量の面持ちで語った。
 「私は、本日、創立者の姿を拝見し、心の底から感動いたしました。山本先生は、全来賓と会われ、時に、深く、深く頭を下げておられた。学生の未来を開くために、すべてを捧げるご決意が、痛いほど伝わってまいりました。私は反省しました。その慈愛が自分にはあったのか、と。先生は、身をもって教師の精神を教え、創価大学の建学の精神を体現してくださった……」
 真の共感は、行動のなかに生まれる。
 第三回「創大祭」の祝賀会で、創大生の進路を開くために、身を粉にして各企業の代表者と対話する山本伸一の姿を目の当たりにして、学生たちは、就職という壁に体当たりする決意を固めていった。
 年が明け、四期生を迎えた一九七四年(昭和四十九年)の五月一日、会社訪問が解禁になると、一期生たちは、一斉に就職活動に動き出した。
 創価大学の職員たちは、一期生が二年生になった年の秋から、公務員試験の資料を収集したり、教員などから縁のある会社を紹介してもらい、あいさつ回りを重ねてきた。
 だが、当初、求人はなかなか集まらなかった。しかし、山本伸一の奮闘が次第に実を結び、新設の大学としては、かなり多くの企業が門戸を開いていったのである。
 ところが、七三年(同四十八年)の暮れから景気は悪化し、しかも、大卒予定者は史上最高といわれていた。就職戦線も激戦となっていったのである。
 会社訪問が解禁されてほどなく、創価大学を訪れた伸一が、校舎のロビーを歩いていると、三十人ほどの学生が、就職の求人票を張った掲示板の前に集まっていた。
 彼は話しかけた。
 「どう、いい会社はあったかい?」
 振り返った学生は、声をかけたのが伸一だと知って、やや緊張した顔で答えた。
 「それが、思い通りの会社がないんです」
 伸一は、笑顔を向けながら言った。
 「すべて希望通りの会社なんて、ないのが普通だよ。
 むしろ、自分のあげた条件のなかで、一つでも二つでもかなえば、よかったと考えるべきだ。仕事は趣味とは違う。
 月給をもらうんだから、大変なことや苦しいことがあるのは当然です。どんな会社でもいい。そこで、頑張り抜くことが大事だよ」
 「はあ……」
 学生たちは、少し納得がいかないような声で返事をした。皆、いわゆる一流企業でなければならないと考えていたのだ。
 「君たちは、有名な大企業なら、安定していると思っていないかい」
 皆が頷いた。
 青年に必要な素養は、外形にとらわれず、内実を見極める眼である。
 山本伸一は、学生たちの就職に対する考え方を正しておかなければならないと思った。
 「世の中に安定している会社なんて、一つもありません。社会が激動しているんだから。
 日々激戦に勝ち抜くために、どの会社も必死です。発展している会社は常に商品開発や機構改革などを行い、真剣に企業努力をしています。
 たとえば、食品会社にしても、医薬品の分野に進出したり、生き残りをかけて、懸命に工夫、研究し、活路を開いているんです。どの業界も、食うか、食われるかの戦いです。
 昨日まで、順調であっても、今日、どうなるかわからないのが、現実なんです。
 大会社に入っても、別会社への出向もあれば、人員整理もある。また、倒産することだってあるでしょう。
 だから、“この会社に入れば安心だ。将来の生活が保障された”などと考えるのは間違いです」
 学生たちは、真剣な顔になっていた。
 “挑戦”を忘れ、“依存”の心をもった人が何人いようが、発展の力とはならない。
 伸一は言葉をついだ。
 「就職する限りは、どんな仕事でもやろうと、腹を決めることです。
 たとえば、出版社というと、多くの人は編集をイメージするが、会社には経理もあれば、営業もある。また、受付もあれば、清掃や営繕を担当する部門もある。
 有名出版社に入ったとしても、どこに配属されるかはわかりません。また、自分の好きな部署に配属されても、部署は、状況に応じて変わっていくものです」
 皆、頷きながら話を聞いていた。
 「社会も企業も、常に変化、変化の連続です。
 その時に、自分の希望と違う職場だから仕事についていけないとか、やる気が起こらないというのは、わがままであり、惰弱です。敗北です。
 就職すれば、全く不得意な仕事をしなければならないこともある。いやな上司や先輩がいて、人間関係に悩み抜くこともあるかもしれない。
 しかし、仕事とは挑戦なんです。そう決めて、職場の勝利者をめざして仕事に取り組む時、会社は、自分を鍛え、磨いてくれる、人間修行の場所となります」
 山本伸一の口調は、語るにつれて、厳しさを増していった。
 伸一にとっては、創大生は皆、最愛のわが子である。実社会の試練に、決して負けないでほしかった。そう思うと、自然に、言葉に力がこもるのであった。
 「私は、青年時代に、戸田先生の会社に、少年雑誌の編集者として勤めました。編集長にもなりました。
 ところが、先生の会社は経営不振に陥り、私がやることになったのは、全く畑違いの、 最も苦手な金融の営業でした。
 しかし、どうせ働くならば、その道の第一人者になろうと、毎日、泣くような思いで、懸命に努力しました。苦労の連続でした。
 でも、それによって、戸田先生の事業を再建することができたんです。また、そのなかで、実に多くのことを学びました。それが、私の人生の力となっています。
 会社を、ただ、給料をもらうためだけの場と考えるのは、使用人根性です。その考え方だと、一定の給料であれば、一生懸命に働くことは損だということになる。それでは、結果的に会社の“お荷物”になってしまう。
 君たちには、全員、職場の勝利者になってほしいんです」
 学生の一人が尋ねた。
 「職場の勝利者になるうえで、何を心がけるべきでしょうか」
 伸一は言下に答えた。
 「自分がいる、その場所で信頼を勝ち取ることだ。その部署で、第一人者になることです。
 また、仕事で実績をあげることは当然だが、まず、朝は誰よりも早く出勤し、掃除ぐらいして、元気なあいさつで、皆を迎えることだよ。朝に勝つことだ。
 遅刻なんてもってのほかだし、あいさつができない者は、それだけで社会人失格だ。
 もう一つ大事なことは、どんな立場であれ、自分が会社を担っていくのだという決意で、全体観に立って、仕事をしていくことだ。
 どこにあっても、受け身ではなく、主体者、責任者の自覚をもつ――実は、これが、自分を大成させるかどうかの決め手でもある。
 君たちが、誇り高き、わが創価大学の一期生として身につけてきたものは、まさに、その精神じゃないか」
 山本伸一は、居合わせた三十人ほどの学生一人ひとりに視線を注いだ。
皆、凛々しく、たくましい顔立ちをしていた。
 彼は、微笑を浮かべながら言った。
 「就職に際しては、なんとかなるだろうという甘い考えを捨て、絶対になんとかするのだと決めて、自分の将来の道を切り開いてください。
 就職する会社は小さくとも、あるいは、有名ではなくとも、いいではないか。
 どこであれ、入った会社で、君たちが核となって、後に続く創大生のためにも頑張り抜いてほしい。それが、一期生の責任です。
 よく牧口先生は、こう言われていた。
 『人間には、三種の人間がいる。
 ――“いてもらいたい人”“いてもいなくても、どちらでもよい人”“いては困る人”』
 創大生は、どの職場にあっても、“いてもらいたい人”にならなければいけないよ。
 私も、諸君の未来のために、全力で応援していきます」
 伸一は、その場にいた全員に、「就職の前祝いに」と言って、心ばかりの小遣いを渡した。
 一期生は、創価大学に入学した時から、就職は厳しいものになることは覚悟していた。
 創大生たちは、よくこう語り合ってきた。
 「新設の私立大学で実績がないだけに、一流といわれる企業は、創大生を採用しないと思う。
 でも、ぼくは、山本先生の創立した大学の建設に尽力したくて、創大を選んだ。悔いなどない」
 「そうだよ。どんな仕事をして生きるようになってもよい。覚悟はできている」
 しかし、伸一の励ましを受けた一期生たちは、後輩のために、なんとしても就職の道を開きたいと決意した。それもまた、自分たちに課せられた、パイオニアの戦いであると思った。
 皆、勇んで就職活動に取り組んだ。だが、事前に、その会社について、話を聞くべき卒業生の先輩はいなかった。
 自分で、ここぞと思う会社と連絡を取り、訪問していったのである。
 勇気を振り絞って、自ら戦いを起こす――そのなかでこそ、人間は磨かれ、自身を輝かせていくことができる。
 大手企業は、あらかじめ採用する大学を指定しているのが普通だった。
 創大生が、会社を訪問しても、「おたくは指定校ではありませんので、採用枠がありません」と断られることも少なくなかった。
 しかし、創大生は毅然としていた。
 「わかりました。私は結構です。でも、後輩たちには、平等に採用のチャンスを与えていただけませんでしょうか。
 優秀な後輩たちが続いております。どうか、来年まいります後輩については、よろしくお願いいたします」
 その精神は、二期生にも、三期生にも受け継がれていった。
 こうした創大生の姿は、企業の人事関係者などの心を、強く揺さぶったようだ。重役がその態度に感銘し、創価大学の採用枠を設けた企業もあった。
 どこにあろうが、ダイヤモンドはダイヤモンドである。その輝きは、決して失せることはない。そして、必ずいつか、人の目にとまるものだ。
 ともあれ、一期生は開拓魂を燃え上がらせ、就職活動に果敢に挑んだ。それは、断崖絶壁を素手でよじ登るかのような、厳しい挑戦といえた。
 そして、内定を勝ち取った報告が、次々と就職部に寄せられていったのである。
 新設大学の一期生としては、異例なほど、一流企業への内定が多く、最終的に、就職率は百パーセントを達成した。
 また、この年も、前年に引き続き、公認会計士試験に二人が合格したほか、外務公務員上級試験にも一人が合格し、大きな話題となった。 創大生のなかには、並みいる有名大学の学生とともに採用試験を受け、一番の成績を取り、大学の評価を大きく変えた人もいた。さらに、入社式で新入社員の代表として決意を語った人もいた。
 また、入社後の奮闘ぶりに、上司から、「あなたを見ていると、創価大学の認識を改めなくちゃいけないね」と言われた女子の卒業生もいた。まさに、皆が創立者の自覚で、勇敢に、開拓の道を歩んでいったのである。その姿、その生き方のなかに、創価の人間教育が脈動していた。そこに各企業も、やがて高い評価を寄せるようになっていくのである。


『新・人間革命』創価大学の章

就職

 おうおうにして、親が社会的に偉くなると、子どもにしっかりと信心をさせない場合がある。
 学会のおかげで福運をつけ、偉くなったにもかかわらず、その恩を忘れてしまうのか。または社会に見栄をはってしまうのか。
 私事で恐縮だが、我が家では、絶対にそうさせなかった。恩師・戸田先生の指導通り、信心根本、学会中心の生き方を子どもたちに教えてきた。
 就職先を考える際にも、妻は子どもたちに「有名な企業などに行くことも反対はしないが、創価学会のために働きなさい。絶対に創価学会の組織から離れてはならない。また、できることならば、創価学会に尽くしていけるところで働かせてもらいなさい。これが一番のご恩返しであり、広宣流布につながる道だからです」と話していたようだ。
 もちろん、企業がいけないと言っているのではない。皆が学会の関連の職場で働く必要もない。要は、精神である。
 「見えっぱりには本当の信心はできない」ということである。
 社会的に偉くなればなるほど、その分、感謝して広宣流布に一層、尽くしていくのが本当の信心ではないだろうか。


1999.1.18
全国青年部幹部会でのスピーチ

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