広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

誓願

1月17日 『女性に贈ることば365日』

 約束を守る人が、人間としていちばん偉い人である。
 誓いを果たす人が、いちばん苦しそうに見えて、いちばん幸福な人である。


『女性に贈ることば365日』1月17日

決意

 ともあれ、私は、青春時代に、戦って戦って戦い抜こうと決意した。
 傷だらけになろうが、たとえ早死にしようが、かまわない。
 「あれが学会青年部の姿か!」「あれが戸田先生の真実の弟子か!」と賛嘆される模範の生き方だけは残しておきたい。後に続く多くの青年たちのために。そう密かに誓っていた。


聖教新聞2005.4.7付
総東京代表者協議会でのスピーチ

「絶対に勝つ!」

 根本は祈りだ。
 大聖人は「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(御書1352㌻)と御断言である。
 祈りは淡い夢ではない。漠然とした願望でもない。「必ずこうしてみせる!」「絶対に勝つ!」という誓いである。
 その深き誓願の祈りは、因果倶時なるゆえに、磁石に鉄が吸い寄せられる如く、明確に結果が出るのだ。


2009.4.8
随筆 人間世紀の光
桜花の誓い

不退の心

 女子部学生局では、この日、秋の大学祭を前に、幹部会を開催していたのである。
 山本伸一が会場に姿を見せた時、女子学生局長の大谷貴美子があいさつに立っていた。
 彼は、大谷の話が終わるのを待って、マイクに向かった。伸一を初めて目の当たりにしたメンバーも少なくなかった。皆、喜びと緊張が入り交じった顔で、彼を見つめた。
 最初に、伸一の口から出たのは、メンバーの両親らの、健康を気遣う言葉であった。
 「お父さん、お母さんをはじめ、ご家族で、体の具合が悪い人がいたら、残ってください。何か、激励して差し上げたい。
 ともかく、お父さん、お母さんを大切にし、親孝行してください。それが、真実の人間の生き方です」
 仏法が説いているのは、人の振る舞いであり、まことの人間の道である。
 それから伸一は、力強い声で語り始めた。
 「日蓮大聖人の仏法は、『宿命転換の仏法』です。また、『人間革命の仏法』です。そして、『社会変革の仏法』であります。
 自己の、さらに、万人の崩れざる幸福境涯を確立し、恒久平和を築き上げるためには、この正法を弘め、広宣流布していく以外にない。その広宣流布が、日蓮大聖人の『誓願』であり、大聖人の御精神のままに前進する創価学会の『誓願』であります。
 大聖人は、『開目抄』で、広宣流布の『誓願』を果たしゆく烈々たる御決意を、次のように述べられています。
 『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』(御書二三二ページ)」
“諸天善神が自分を捨てるのであれば、捨てればよい! 多くの難に遭うというのであれば、遭おうではないか! わが生命をなげうって戦い抜くのみだ!”との叫びである。
 この御文は、一九六〇年(昭和三十五年)の五月三日、伸一が第三代会長として広宣流布の指揮を執るにあたって、深く生命に刻んだ一節である。ここには、大聖人の透徹した信念の師子吼がある。


 一生成仏という自身の崩れざる幸福境涯を確立し、万人の幸福と平和の道を開くには、広宣流布の「誓願」に生き抜かなければならない。だが、そこには、大難が待ち受けている。ゆえに、「不退の心」が不可欠となる。
 集った一人ひとりの女子学生の前途には、就職、結婚、出産など、さまざまな人生の転機や、環境の変化があろう。
 華やかな世界に目を奪われ、地道な仏道修行に嫌気が差すこともあるかもしれない。仕事などに追われ、気がつくと、学会活動から遠ざかっていることもあるかもしれない。夫や、その家族から、信心を反対されるかもしれない。さらに、組織での人間関係がうまくいかずに、悶々とすることもあろう。
 そこで負け、信心から離れてしまえば、退転の道に堕していってしまうことになる。
 この「開目抄」では、舎利弗などの退転の事例があげられている。
 ――過去世において、舎利弗が六十劫という長い長い間、菩薩道を修め、人に物を施す布施行に励んでいた時のことである。
 婆羅門(司祭階級)の一人が現れ、舎利弗に「眼をくれ」と乞うた。舎利弗は求めに応じて、自分の片方の眼を抜いて与えた。
 婆羅門は、その臭いをかいだ。
 「臭い。いやな臭いだ!」
 そう言って、眼を投げ捨て、踏みつけた。
 “こんな輩を救うことは無理だ! もう、自分の悟りだけを考えて生きよう”
 舎利弗は、六十劫もの間、修行を重ねてきたにもかかわらず、菩薩道を捨てて、小乗の教えに堕したのだ。退転である。
 婆羅門の行為が、あまりにも非道、傲慢であるだけに、世間の法では、舎利弗がそうしたのは、仕方がないと考えるかもしれない。
 しかし、自身の心の中に法があるととらえる仏法では、相手や周囲が良いか悪いかといった、相対的な関係では物事を見ない。常住不滅なる生命の法理のうえから、“自分は何をしたのか”“自己に勝ったのか。負けたのか”に、一切の尺度があるのだ。


 「眼をくれ」と言っておきながら、それを捨てて、踏みつけた婆羅門によって、実は舎利弗の心は、試されていたのである。
 舎利弗は、せっかく長い長い修行を積み重ねてきたが、究極のところで、万人成仏の法を信じ抜くことができなかった。一切衆生に仏性が具わっているという、大仏法の法理を確信できなかった。悪縁に触れて、無明という迷いの生命が、自らの胸中にわき起こり、信心をかき乱されてしまったのである。
 結局、いざという時に、舎利弗は師の教えを忘れ、自分の心に敗れたのだ。
 山本伸一は、言葉をついだ。
 「大聖人は『開目抄』で、さらに『善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし』(御書二三二ページ)と仰せになっている。
 いかなる理由があろうが、信心を捨てれば敗北です。不幸です。地獄のような、厳しい苦悩の生命に堕ちていく。
 どうか、この御聖訓を、絶対に忘れないでいただきたい。妙法は宇宙の根本法則です。それを曼荼羅として御図顕されたのが御本尊です。その御本尊を、信じ切っていくなかに、永遠の幸福の大道がある。
 そして、大聖人は、この御文の後、『大願を立てん』(同)と宣言される。
 この御精神を受け継ぎ、末法の広宣流布のために出現したのが、わが創価学会です。皆さんも、その学会の後継者として、生涯、広宣流布の大願に生き抜いていただきたい」
 皆、一言も聞き漏らすまいと、真剣な表情で耳を傾けていた。
 「大聖人が『善に付け悪につけ』と仰せのように、魔は、“法華経を捨てれば国主の位を譲ろう”“念仏を称えなければ父母の首をはねるぞ”などと、誘惑と脅しを巧みに使い、アメとムチで責め立ててくる。
 しかし、『種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり』(同)と大聖人は言われている。御自身の正義が智者によって破られない限り、いかなる大難にも、決して動ずることはないとの仰せです」


 『新・人間革命』波濤の章

友よ強く(歌詞)

友よ強く雄々しく立てよ
信ずる心を
苦しき仕事 深夜の勉強
これも修行ぞ 苦は楽し
信念 情熱を
仏は じっとみているぞ

友よ負けるな希望を高く
信ずる心を
努力 努力 また努力
あの日の誓い忘れるな
君の意気と若さとで
断じて進め あくまでも

友よ忘るな微笑を
信ずる心を
清らかに 夢みつつ 進みゆく
心の美しさ
ああ わ友よ強く
友よ


「友よ強く」 


*******


 ロースクールで、唱題会運営委員の責任者を1年間務めて、交代したときに親友が教えてくれた大好きな歌です。
 勉強が深夜に及ぶことも多いこのロースクール時代、この歌にある通り、信頼する友と一緒に、その信頼に応えるべく、一生懸命情熱燃やしていきたい思う。



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