広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

青年

人生と社会の堂々たる大勝利者と

 日蓮大聖人は、若き南条時光に「願くは我が弟子等・大願ををおせ」(御書1561㌻)と仰せになられました。
 戦後、19歳で入信した私が、命に刻んだ御聖訓です。
 当時、無数の青年の尊き命を奪った戦争の傷跡は、あまりにも深かった。わが家も空襲で破壊され、私自身も肺病で苦しみました。しかし偉大な戸田先生の弟子として、私は広宣流布の大願に立ち上がった。
 ありとあるゆる難を受けながら、妙法を持った一人の青年がどれだけ強くなれるか、どれだけ民衆の幸福に尽くし、世界の平和のために仕事ができるか、悔いなき歴史を残してきました。
 何ものにも負けない、この「人間革命」の勇気の力を、私は後継の青年に譲り託します。
 君たちは勝つために生まれてきた。
 皆を幸福にするために生まれてきた。
 一人ももれなく、妙法とともに、学会とともに、明るく充実した青春を生き抜き、人生と社会の堂々たる大勝利者となっていただきたい。


2010.11.3
青年文化総会へのメッセージ


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理想主義と現実主義

 理想主義と現実主義――洋の東西を問わず、これは古来、永遠の人間のテーマであるが、現実を踏まえぬ理想は幻想と言わざるをえない。そのようなか弱き理想主義だけでは、所詮、現実の勝負には勝てない。勝負は、どこまでも荒れ狂う現実のなかにあることを忘れてはなるまい。
 しかし、だからといって理想を失った現実は、ただ醜いものになってしまうであろう。理想なき現実主義のみでは、未来の展望を大きく開くことはできないのも事実である。ゆえに現実主義と理想主義、この両者のいきかたをふまえた中道主義でなければ、現実の諸問題を乗り越え、理想を実現していくことはできないことを、『三国志』をとおし、われわれは銘記できるのである。


『私の人間学 上』



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全学会を担い立つ“使命の自覚”

 伸一の言葉には、次第に力がこもっていった。
「戸田先生の時代、青年部は学会の全責任を担い、常に学会の発展の原動力になった。戸田先生の言われた七十五万世帯は、誰がやらなくとも、青年部の手で成就しようという気概があった。そして、各支部や地区にあっても、青年が布教の先頭に立ってきた。また、何か問題が生じた時に、真っ先に飛んで行き、対処してきたのも青年部であった。すべてを青年部の手で担ってきました。
 だから、戸田先生も、『青年部は私の直系だ』と言われ、その成長に、最大の期待を寄せてくださっていたのです。
 しかし、学会が大きくなり、組織が整ってくるにつれて、青年が壮年や婦人の陰に隠れ、十分に力が発揮されなくなってきているように思えてならない。端的に言えば、自分たちだけで小さくまとまっていく傾向にあることが、私は心配なんです。青年部に、学会の全責任を担うという自覚がなければ、いつまでたっても、後継者として育つことなどできません。
 今、かつての青年部が学会の首脳となって、縦横無尽に力を発揮して戦っているが、皆、青年部の時代から、全学会の責任をもつ決意で、私とともに必死になって働いてきた。その自覚と行動があったからこそ、今、学会の首脳として、立派に指揮をとることができるのです」
 それは、伸一の実感であった。彼は、一部員であったころから、戸田の広宣流布の構想を実現するために、学会の全責任を持とうとしてきた。その自覚は班長の時代も、青年部の室長の時代も、常に変わらなかった。
 もちろん、立場、役職によって、責任の分野や役割は異なっていた。しかし、内面の自覚においては、戸田の弟子として、師の心をわが心とし、学会のいっさいを自己の責任として考えてきた。それゆえに、戸田の薫陶も生かされ、大いなる成長もあったのである。
 この見えざる無形の一念こそが、成長の種子といってよい。
 種子があれば、養分を与え、水をやり、光が注いでいけば、やがて芽を出し、大樹に育っていく。だが、種子がなければ、どんなに手をかけても、芽が出ることはない。
 伸一は、愛する青年たちの胸中に、全学会を担い立つ“使命の自覚”という、成長の種子を植えたかったのである。


『新・人間革命』青葉の章


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 昨日の「11・3 国分寺の日」記念総会、幹部指導忘れられないだろーなと思う。
 「師弟の道」と「師弟不二の道」の違いについて、『人間革命』脈動の章の一節を引いての指導。

 弟子が立つ“時”。
 もはや、上から降りてきた目標や指針を帳尻を合わせるように「こなす」ようでは、学会に未来はない。


 全学会を担い立つ“使命の自覚”ってやつ、うん!!!


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人生には「時」がある。

 「自分が、やらなければ!」――この責任感に立つ時、若き生命は、無限の力を発揮する。
 また、青年は、「自分の出番」「人生のチャンス」を、自らつくり、確実につかみ、勝つことである。
 人生には「時」がある。自分が全力で走るべき「時」を、逃してはならない。その「時」をつくり、掌中に握らねばならない。またとない「チャンス」を前に、気がつかなかったり、遠慮する。また体裁を考えたり、怖じ気づく。萎縮する。行動に移せない――それでは、偉大なる人生は歩めない。自分自身の戦いに勝てない。深く大きな自分を築けない。
 その意味で、どうか諸君は、全員がつねに「人生のチャンス」を勝ち取る「勝利の人」であっていただきたい。「勝利の勇者」であっていただきたい。


『創立者とともに』VOL.2
1992.5.5
創価教育同窓の集い


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 間違いなく「今」がその「時」。
 
 ダメダメだけども、明るく前向きに、最後の勝利を信じて勉強しよう!そうしよう!!!



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学会の闘士であれば

 「大作、いいか。絶対に命に刻んでおけ。学会の闘士は、この御聖訓を忘れるるな!」
 今回は、入信の直後、わが師・戸田城聖先生から、烈々たる気迫で魂に打ち込んでいただいた御金言を共々に拝したい。
 法華経の涌出品第十五には「昼夜に常に精進す 仏道を求めんが為めの故に」(法華経466㌻)と説かれております。
 これは、大地より出現した無量千万億の地涌の菩薩が、無数劫という過去から、師匠である仏の智慧を習い修めてきた。その修行の姿を説いた経文です。
 地涌の菩薩は、無量の長い時間、昼夜を問わず一心に「師弟の道」を精進し、巍々堂々たる境涯を開いたのです。この法華経の一文を受けられて、日蓮大聖人は仰せになられました。
 「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書790㌻)
 すなわち、今、末法の我々は、この瞬間瞬間の生命の内に億劫の辛労を尽くしゆくのだ。それが南無妙法蓮華経の唱題行なのである、との御文です。
 それまでの仏道修行は、「無量劫」という想像を絶する長遠な時間をかけて行わねばならないとされてきました。そうではなく、南無妙法蓮華経と唱えることによって、わが「一念」に「本来無作の三身」、すなわち、もともと(本来)自分自身に具わっている、ありのまま(無作)の仏の生命を湧き上がらせることができる。
 いわば、永遠を一瞬に凝結して行ずる修行が、私たちの唱題行なのです。


御書と師弟 第3回 「御義口伝」と青年
永遠を一瞬に凝結しゆく唱題行
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