戸田先生は、学生部結成大会(一九五七年)で言われた。
 「この中から、半分は重役に、半分は博士に」
 一人ももれなく、次代の指導者にと期待された。この一言を、私は真剣に受けとめた。
 「人を育てよう!」「無数の博士を必ず、断じて出してみせる!」
 そう祈りに祈った。身を挺して、人材を育てた。
 戸田先生の指導を聞き流し、忘れ去ってしまう愚かな幹部もいた。しかし私は、戸田先生の一言一言を、全部「真剣勝負」で受けとめた。弟子が実現しなければ、師の宣言を虚妄にしてしまう。インチキな世界になってしまうからである。
 なにげない師の一言でも、自分のものとして深く受けとめ、わが胸中に、ダイヤのごとく光らせ、磨いていくかどうか。
 根本的な一念の持ち方で、すべて変わってしまう。一念三千である。
 これが峻厳な「師弟」の道なのである。

 私は創価学園を創立した。できたばかりで、すべてが未知数の、名もない学園をばかにする人間もいた。そこから今、陸続と「博士」が誕生している。
 「医学博士」「工学博士」「理学博士」「農学博士」「薬学博士」「歯学博士」「経済学博士」「政治学博士」「法学博士」「文学博士」「言語学博士」そして「平和学博士」など、創価学園出身の「博士」は、じつに男女合わせて百六人になった。
 東京校は八十九人。また創立が新しい関西校は十七人。今後も博士号を取得する人が続々と出るであろう。(=二〇〇二年七月現在、学園出身の博士号取得者は、東京港は百十五人、関西公は三十一人、合計百四十六人に)
 短い年月の間に、これだけの結果を出した。これが「師弟の契り」である。「師弟」を決して安易に考えてはいけない。

2000年6月29日、第47回本部幹部会でのスピーチ

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また1年以上ぶりに投稿します。
ある決意をしました。
子どもの幸せに貢献する仕事をしたいと思います。

学生時代から「いつかは起業独立して、社会で実証を示して先生の正義を宣揚できるようになりたい」と思っていました。
また、起業するなら30代のうちにと決めていました。
38歳。
今しかない、と決めました。

池田先生が戸田先生の指導を大切にされて戦ってこられたように、私も弟子として先生の戦いに連なっていきたいです。

「半分は重役に、半分は博士に」