広宣流布は俺がやる!

      創価学会青年部 牙の大河

広布に走れ(歌詞)

作詞・作曲:山本伸一

一、
広き曠野に 我等は立てり
万里めざして 白馬も堂々
いざや征かなん 世紀の勇者
我と我が友よ 広布に走れ

二、
旭日に燃えたつ 凛々しきひとみ
慈悲と哲理の 地涌の誉れ
ああ革新の 英知は光る
我と我が友よ 広布に走れ

三、
今ほとばしる 大河の中に
語り尽くさなん 銀波をあびて
歴史を創るは この船たしか
我と我が友よ 広布に走れ
我と我が友よ 広布に走れ

華陽の誓い(歌詞)

作詞:池田華陽会有志
作曲:深見麻悠子

一、
今 師とともに 太陽の心で
厳しき冬にも 春の光彩(ひかり)を
先生(ちち)の励まし わが胸光らせ
「広宣の華と舞え! 池田華陽会」

二、
今 師とともに 華の心で
涙の友にも 笑顔咲かせよう
奥様(はは)の微笑み わが胸包みて
「希望の華と舞え! 池田華陽会」

三、
今 師とともに 正義の心で
世界の女性(とも)に 平和の世紀を
華陽の姉妹と スクラム楽しく
「使命の華と舞え! 池田華陽会」
報恩の「華陽の誓い」喜び果たさむ

威風堂々の歌(歌詞)

作詞:大橋幸栄
作曲:不詳

一、
濁悪の此の世行く 学会の
行く手を阻むは 何奴なるぞ
威風堂々と 信行たてて
進む我らの 確信ここに

二、
今日もまた明日もまた 折伏の
行軍進めば 血は湧き上がる
威風堂々と 邪法を砕き
民を救わん 我らはここに

三、
我ら住む日本の 楽土見ん
北山南河は邪宗の都
威風堂々と 正法かざし
駒を進めば 草木もなびく
駒を進めば 草木もなびく

お月さまの願い(歌詞)

作詞 山本伸一


静かな 静かな 大空に
大きな 心を 持ちなさい
大きな 笑顔を 持ちなさい
みんなに 語って 満月が
静かに 静かに 顔出した

おとぎの国から お月さま
あなたは 勉強してますか
母さま 大事にしてますか
みんなを 見つめて お月さま
ほほえみ 挨拶しています

星さま キラキラしたがえて
手に手を とりあい 幸せに
きれいな 歌を うたいましょう
みんなに 語って 満月が
夜空に ロマンをかきました

優しく まるい お月さま
明るく 育ってくださいね
正しく 育ってくださいね
みんなを 見つめて お月さま
うさぎを 乗せて 動きます

静かな 静かな 大空に
あなたを じっと見ています
大きく なるのを 待ってます
みんなに 語って お月さま
おとぎの 国から さようなら


1977.10


YouTube「お月さまの願い」

「友よ強く」の歌

 荒川の記念撮影では、写真を撮ったあと、合唱や踊りも披露された。
 なかでも、高等部員が歌った「友よ強く」の歌は、参加者の心を激しく揺さぶった。
 この「友よ強く」の詩は、山本伸一が青年時代に作ったものであった。
 神奈川の会員宅を訪問した折のことである。
 その家の婦人から、家計を助けるために他県に働きに出ている、十代半ばの子息から来た手紙を見せられた。
 手紙には、一部屋で数人が共同生活しており、勤行をするにも、大変に苦労していることがつづられていた。
 ――タオルと石鹸を持って、風呂に行くと言っては裏山に登り、そこで勤行をしているというのである。
 手紙を読み終えると、伸一は直ちにペンをとった。励まさずにはいられなかった。そして、一詩をしたためた。
 それが、「友よ強く」であった。


 友よ強く 雄々しく立てよ 僕が信ずる君が心を 苦しき仕事 深夜の勉強

 これも修行ぞ 苦は楽し 君が信念 情熱を 仏は じっとみているぞ


 それから二十年近くして、荒川区に住むある学生部員は、先輩の家で、この詩を目にした。
 彼は、大きな感動を覚えた。働き、学ぶ、青春の模範が、そこにあると思った。
 かつてピアノを習い、音楽好きであった彼は、これを歌にして、二部学生に教え、元気づけたいと思った。
 ギターを使いながら曲を考え、楽譜にした。
 出来上がった曲を、皆で口ずさんだ。
 「いい歌だ! 困難に立ち向かう勇気が出てくるよ」
 好評であった。やがてこの歌は、友から友へと静かに広まっていった。
 そして、荒川区の記念撮影会を迎えるに当たって、高等部の担当幹部から、「当日、高等部員で『友よ強く』の歌を合唱したい」との要請があったのである。
 そこで、音楽隊長を務めた有村武志のアドバイスを受け、楽譜を手直しして、この日の発表となったのだ。
 高等部員による「友よ強く」の合唱には、若々しい力があふれていた。
 歌が終わると、山本伸一は、立ち上がって拍手を送りながら絶讃した。
 「うまいね! 感動しました」
 それから、作曲者の青年を呼んで言った。
 「すばらしい曲です。
 このメロディーを永遠に残すために、レコードにしよう」
 高校生たちの間から、歓声があがった。
 感極まり、目を潤ませるメンバーもいた。
 そして、この「友よ強く」の歌は、高等部をはじめ、広く、学会の愛唱歌として歌われていくようになるのである。
 伸一は、行く先々で、喜びの種子を、向上の種子を植え続けた。それが大いなる前進の活力となるからだ。
 〝どうすれば、皆が、元気になるのか。信頼の柱となる力あるリーダーに成長できるのか。
 何があっても退転することなく、幸福への道を歩み抜けるのか……″
 伸一は、どこにあっても、そのことを真剣に悩み、考え続けた。
 法華経の寿量品に「毎自作是念」(毎に自ら是の念を作す)とある。
 これは、仏が、常に衆生をいかにして「悟り」に導くかを考え、法を語り続けていることを説いたものだ。
 伸一もまた、広宣流布に生きる仏法者として、自分も、そうあらねばならないと、心を定めていたのである。
 仏法は、自らの実践のなかにこそ、脈動する。
 自分は、常に何を考え、一念をどこに定めているか――そこに、自身の境涯が端的に表れるといってよい。


『新・人間革命』入魂の章


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 学会歌「友よ強く」の誕生のいきさつが描かれています。
 師弟不二の途を行くため、僕も、「毎自作是念」でいきたい。「先生であればどうされるか」で生き抜きたい。


「リーダー」に関する先生の言葉はコチラ
http://blog.livedoor.jp/taiga0120sokagakkai/archives/1312485.html">
学会歌「友よ強く」
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